3-2 悪巧み
◆
翌日の昼下がり。
「『夜明亭』、新装開店のお知らせでーす!」
「……です」
「今、クッキーをお配りしていまーす!」
「……ます」
(……何故?)
ユッカは首を傾げた。
イトから噴水広場で『夜明亭』の改装オープンを宣伝すると聞いて様子を見に行ったところ、イトの隣にはおどおどとしたグレタの姿もあったのだ。
前髪はピンで留めているのか、額がはっきりと見えていた。今にも泣き出しそうな表情でクッキーの入った袋を籠に抱えている。必死な様子で道行く人々へ差し出していた。
「おはようございます。新手の拷問ですか?」
ユッカは近づいて行くと、イトへ声をかけた。
「拷問とは人聞きの悪い」
「嫌がることをさせていたら、拷問でしょう」
「す、すみません。私が、お願い、したんです……」
グレタが慌てた様子でユッカへ頭を下げてきた。
「グレタさんがわたしに謝る理由は何もありません。とはいえ無償で労働させてしまっているのは事実なので、後で食事を提供します」
「すみません……」
ユッカとグレタが話していると、ずかずかと、誰かが大股で近づいてきた。
「おや、誰かと思ったらグレタちゃんかい!」
髭をたくわえた中年男性だ。どうやらグレタとは人見知りらしい。
「久しぶりに顔を見た気がするなぁ」
「す、すみません」
中年男性に対してもグレタは平謝りをしている。
「やっぱりお母さんに似てべっぴんさんだな。グレタちゃんも聖女役に立候補すればいいんじゃないか? なにせ、母さんだって聖女役をやったんだから」
「へっ?」
グレタが間の抜けた声を漏らした。
そこでぱんっ、と両手を叩いたのはイトだ。何やらいたずらを思いついた子どものように表情を輝かせている。
「そうか! その発想はなかった!」
はぁ、とユッカは溜め息をつく。
(また何かよからぬことを企んでいますね……)
「聖女役に立候補するのに、特別な資格は必要ないんだよね?」
「は、はい。そうですけど……」
「よし。あとで申し込みに行こう」
グレタが口をぱくぱくさせている。顔色もみるみるうちに蒼くなっていく。
(やはり、拷問なのでは?)
とはいえ、ユッカもユッカで口を挟むつもりは毛頭ないのだった。
◆
「トマト……クリーム……えぇと……すみません」
「決められないならトマトソースにしますね。食べ慣れているでしょうし」
「すみません。お願いします……」
クッキーを配り終えたイトとグレタが『夜明亭』へ来たタイミングで、先に帰っていたユッカは、一人前ピザの仕上げにとりかかる。
正確には、イトたちはクッキーを配ったその足で、役場へ行ってきたらしい。無事に、とは言えないだろうが、グレタの聖女役への応募は完了したようだ。
「僕は照り焼きチキンがいいな」
「承知しました」
パンタイプのピザ生地はかんたんに仕込める。
小麦粉、イースト菌、塩、それからオリーブオイルさえあればいい。
捏ねて発酵させておいた生地をふたつに切り分けて丸める。
濡れ布巾をかけて少し休ませる間に、リクエストのあったソースと具材の支度にとりかかる。
トマトソースはガーリックの風味を利かせたほんの少し甘めのタイプに変更した。
モッツァレラチーズは二種類使う。
セミハードタイプは生地と一緒に焼いてとろけさせる。
フレッシュタイプは焼き上げてから、バジルの葉と一緒にピザの上に散らす予定だ。
照り焼きチキンはあらかじめ作ってソースごと冷蔵庫に入れてある。
玉ねぎを薄切りにして、コーンの缶詰と共にしっかりと水気を切っておく。
焼く前にはマヨネーズもかける。
なお、焼きのりはまだ売っている店が見つかっていない。
(さて、成形しましょうか)
休ませたことでゆるんだパン生地を、打ち粉を振った台の上に置いた。
麺棒で均一に丸く伸ばして、それぞれ、ソースを塗り、具材をバランスよく配置する。
そのタイミングでオーブンの予熱が完了した。
天板をオーブンへ滑らせれば、あとは焼き上がるのを待つのみだ。
「オレンジジュースとコーヒー、どちらがいいですか?」
「オレンジジュース! コーヒーは、食後で」
「見事なふてぶてしさですね。グレタさんも同じでいいでしょうか」
「す、すみません。お願いします……」
ユッカが出来上がったピザとオレンジジュースをテーブル席へ運ぶと、イトは快哉を叫んだ。
「いただきます! うん! 美味しい! 甘辛いものとマヨネーズの相性って抜群にいいよね!」
照り焼きチキンピザは名前の通り、照りが眩い。一見地味になってしまうところをコーンの黄色が彩ってくれている。
トマトピザはフレッシュのチーズとバジルの葉が湯気をまとって潤んでいた。
「グレタさんは、いかがですか? お口に合いますでしょうか」
「あの、美味しい、です……。今まで食べたなかで、一番、美味しいです」
グレタがユッカを見上げて、わずかにはにかんだ。
(……笑えたんですね)
そして、やわらかな雰囲気になる。
通りすがりの中年男性がお節介な思いつきを口にしたのも、分からなくはない。
「それを聞いて安心しました。歴史のある食堂を赤の他人が受け継ぐことに少なからず重圧を感じていましたので」
「重圧? 何を言ってるのさ」
「イトは黙っていてください」
「……あ、あの」
グレタが両膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「ユッカ、さん」
「何でしょう」
「……い、いえ、何でもないです。すみません。ピザ、美味しい、です」
◆
ユッカの出かける先は、市場と川辺だけではない。
(……これは、すばらしいですね)
ほぅ、とユッカの頬がわずかに上気する。
訪れたのは南側の地区。目的は、手芸用品店だ。
右の壁際にはびっしりと反物。左の壁際には色とりどりのボタンやレース。店の奥では、片眼鏡をかけた、性別不明の老年の店主が編み物をしている。
ユッカは、薔薇の模様がかすかに見える黒い反物を棚から抜き出した。
ずっしりと重たい。
(これで新しいワンピースを作りましょう)
常に長袖、素肌を決して晒さない。
その肌にはびっしりと封印が刻み込まれているからだ。勇者によって施された、永遠に解けない魔法。
ユッカを守ると同時に、世界へと放り出した魔法だ。
ゆえに、ユッカは衣服を己自身で縫い上げてきた。
初めの頃はミシンで真っ直ぐに布を縫い合わせることさえ難しかったが、今では難なくこなせる。
(このくるみボタンもいいですね。もしくは、たまにはレースをあしらってみるのもいいかもしれません。リコルドにこんな立派な手芸用品店があってよかったです……)
店内を何周もしていると、ちりんとベルが鳴った。
香水の淡い香り。
ユッカがちらりと顔を向けると、入ってきたのはキアラだった。
とはいえ顔見知りですらない。はしばみ色の瞳と視線が合うとなんとなく会釈だけして、ユッカは再び棚へと視線を戻す。
キアラが店主へ声をかける。
「頼んでおいたものを受け取りに来たんだけど」
声だけで、華やか。
どうやらキアラはこの店の常連らしい。
「そうそう、これこれ。いつも無理を聞いてくれてありがとう」
「今度は何を縫うんだい?」
「聖女祭用のドレスよ」
(まだ聖女役に決まった訳ではないのに、自信たっぷりですね)
幼なじみと聞いていたが、グレタとは真逆だ。
「金の飾りボタンも一緒にどうだい。繊細なつくりが、きっと気に入ると思うよ」
「そう? 見せてちょうだい」
じゃらじゃら、と、ガラス瓶からフェルト台の上にボタンが出される。
その音に反応してユッカもまた視線を向けた。
「お嬢さんも見るかい」
店主がにこっと微笑みかけてくる。
「……よろしいでしょうか」
「もちろんだとも。うちに来てくれるのは、初めてかい」
「はい。越してきたばかりです」
そっとユッカはカウンターへと近づいた。
ひとつひとつボタンを吟味するキアラの隣に立つ。
「運がよかったわね。この店で買えない材料は何もないわよ」
「キアラ、褒めすぎ」
「だって」
キアラが微笑むと背景に花が咲くようだ。
(……迫害する側というのは、大体、それ以外の人間からの評価が高いとはいえ)
ユッカのなかに違和感が生じる。
気に留めなくてもいいレベルの違和感だ。飲み込んでしまえば、すぐに忘れてしまう。
何故だか手芸用品の話題で盛り上がってしまい、何故だか、ユッカとキアラは一緒に店の外へ出た。
「たっぷり買い込んだわね」
「おかげさまで。店員さんがふたりいましたから」
「ふふっ。お褒めの言葉、ありがとう」
挨拶をして、ユッカとキアラは別方向へ歩き出した。
石畳の道を歩いて行くと、徐々に荷物の重みで肩が痛くなってくる。
(たまには、どこかで休憩でもしましょうか)
辺りを見回す。この界隈には、テラス席のあるカフェがいくつかあるようだ。
ユッカはふと、足を止めた。
「信じられない!」
聞いたことのある声だと思ったら、グレタを迫害していた三人組が視界に入ったのだ。歩きながら何かを相談しているようだ。
「あのグレタが聖女役に立候補しただなんて。気持ち悪い」
「一度、痛い目に遭わせないと分からないんだろうな」
(……痛い目には何度も遭っていると思いますが)
こんな往来で悪だくみを相談するとは、頭が悪すぎる。
「あなたたち、何を話しているの」
すっ飛んできたのは、いや、前方から歩いてきたのは、イトではなかった。
キアラだ。
「キアラ。キアラもそう思うでしょう?」
「そう思うって、何が」
「グレタのことよ。考えたんだけどね、顔に、一生消えない傷をつけるってのはどう?」
(……気軽に提案する内容ではないですね)
「馬鹿じゃないの? そんなことしなくたって選ばれるのはあたしよ。余計なこと考えたり、行動に移したりしないでちょうだい」
キアラはぴしゃりと一喝して踵を返した。
「ま、待ってよキアラ」
「そうだぜ。俺らはキアラのためだと思って」
取り巻きたちは慌ててキアラの後を追いかけて行く。
「……」
ふぅ、とユッカは細く息を吐き出すと、寄り道はせず帰ることにした。
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