第三話 炭水化物祭り

3-1 ピザ、試作の日々

   ◆




 薄暗い食堂。

 カウンター席には、一人用サイズの小さなピザが並べられていた。

 トマトソースをベースに、たっぷりのモッツァレラチーズと新鮮なバジルを乗せたもの。

 クリームソースをベースに、えび、いか、あさりといったシーフード。

 それから照り焼きチキンとマヨネーズのコントラストが鮮やかな変わり種。


「さて」


 黒ずくめの女性、ユッカはピザを前に立つと、顎に右手を遣る。

 リコルドという中堅都市で食堂『夜明亭』を引き継ぐことになり、改装作業に追われていたが、いよいよ開店の日が迫っていた。

 基本的なメニューはこれまで営んできた食堂と同じものにするつもりだ。

 しかし『夜明亭』にはピザ釜がある。となれば、活かさない道はない。


 ほかほか。ほかほか。

 焼きたてのピザは猛烈な勢いで食欲をそそる香りを放っている。

 ほかほか。ほかほか。


 トマトピザをピザカッターで六等分に切り分けて、一切れを手に取ると、くるくる丸めた。大口を開ければ一口で食べられるサイズ感だ。

 ぱくり。


(酸味の強いトマトソースにしましたが、とろけたモッツァレラチーズとの相性で考えると少しパンチが強すぎますね。チーズのコクを活かすなら、もう少しトマトソースの酸味を抑えた方がいいかもしれません)


 次に、シーフードクリームピザ。


(えびはぷりぷり、いかはやわらかく、食べやすく仕上がりましたね。クリームソースも玉ねぎの甘みがよく効いています。これは完成形でいいかもしれません)


 それから、照り焼きチキンピザ。


(やはり、醤油と砂糖の甘辛い味つけはやみつきになりますね。これまでは醤油をあまり使ってきませんでしたが、今後は積極的にレシピに取り入れていくとしましょう。鶏肉もピザに乗せるならむね肉ではなくもも肉の方が食感のアクセントになりますね。欲を言えば……市場で刻みのりを手に入れられれば、トッピングに使いたいところです)


 ちらり、と静かなピザ釜へ視線を送る。

 今はまだレシピの試作段階なので、ピザ釜ではなく、オーブンで焼いた。


(余裕ができたらどんどんバリエーションも増やしていきましょう)


 口元が、ほんの少しだけ緩んだ。




   ◆




 レシピの試作は重ねていく必要があるが、行き詰まらないよう、程々の気分転換は必要である。

 ということでユッカは外に出て、フィウーメ川のほとりを散歩することにした。


 リコルドは一年を通して気候が安定している。晴れの日の割合も高いらしく、今日も空は雲ひとつない晴天だ。


 川辺はのどかな雰囲気で、家族連れや恋人らしき二人組が思い思いの時間を楽しんでいるようだった。

 黒髪、黒目、黒い服のユッカはそれなりに目立ちもするが、今さら気にすることではない。


(大人数で食べられるようなサイズも一応用意しておいた方がよさそうですね)


 歩きながらも考えるのは、ピザをはじめとしたメニューのことだ。

 やがて前方に大きな橋が見えてきた。

 ユッカは顔を上げる。上げて、下げた。

 橋の下が何やら騒がしかった。


(あれは……)


 三人の男女に囲まれて、ひとりの少女がうずくまっているように見えた。

 年頃は全員似たような感じで、十六、十七歳くらいだろうか。

 しかしどう見ても一人に対して友好的ではない。


「お前、生意気なんだよ。グレタのくせに」


(今の時代、つるんで威張る集団というのは三人で一組なんでしょうか)


 ユッカは『夜明亭』の店内を壊滅的な状態にさせたごろつきたちを思い出す。正確にはもうひとり関与していたが、破壊行動の時点では仲間から離脱しているのでカウント外だ。


「どんくさくて見てるだけでむかつく。視界にも入れたくないのよね」

「分かる分かるー」


 ユッカは離れた場所から静観していた。

 すると、橋の上から四人目が参加してきた。


「何してるの、あなたたち」


 はっきりとした、よく通る、凛とした声だった。


「そんなのに構うことないんじゃない? 時間の無駄よ」


 四人目の金髪が光を受けて輝く。

 背筋がすっと伸びた様は堂々たるものだ。リーダー格というのも頷ける。


「でも、キアラ」

「行くわよ」


 三人組はしぶしぶ堤防から上がる。そのとき、うずくまる少女に何か捨て台詞を吐いたようだったが、ユッカには聞こえなかった。


 グレタ、と呼ばれた少女はまだ動かない。


 そこへささっと誰かが駆け寄っていった。

 うなじでひとつに結ばれた金髪が軽やかに揺れるのを見て、ユッカは深く溜め息を吐き出す。


「大丈夫かい!?」


 どこからか騒ぎを聞きつけたのだろう。イトが、ためらうことなくグレタへ手を差し伸べていた。


(まぁ、あなた勇者ならそうするでしょうね)


 寧ろ間に合わなかったことを心から悔いているに違いない。

 ユッカはふたりへ話しかけようともせず、その場を後にした。




   ◆ 




(とはいえ、流石にこれは予想外でした)


 ユッカが『夜明亭』に戻ると、照明がついていた。

 イトがいたのだ。いや、イトだけではない。


「『夜明亭』は相談室ではありませんよ」


 先ほどイトが助けた少女、グレタも、縮こまって座っていた。

 ダークブラウンの前髪はぼさぼさで長く、顔は鼻の辺りまで隠れている。服がぼろぼろなのは先ほど怪我をしたからだろうか。やせ細っていて、あまり健康的には見えない。

 テーブル席でふたりは向かい合っていた。イトはうんうんと頷きながら彼女の話を聞いているようだったが、顔を上げて、ユッカを見た。


「その通り。ここは社交場だ」

「とても社交場のような雰囲気には見えませんが」

「人と人が出会えば、それだけで社交場さ」


「あの、急にお邪魔して、すみません」


 視線は拳に落としたまま、か細い声でグレタが言った。


「いえ。開業前で何もおもてなしはできませんが」


「彼女はグレタ。子どもの頃、家族と『夜明亭』へよく来ていたらしいんだ! オムレツがすっごく美味しかったんだって」


 そうですか、と答えて、ユッカはキッチンへと回った。

 ケトルへ水を入れて、お湯を沸かす。


「コーヒーくらいなら出しましょう。ミルクをつけた方がいいですか」

「は、はい、すみません」

「僕はブラックで!」


 イトがグレタの話を親身に聞いているところへ、ユッカはコーヒーを運ぶ。


「お待たせしました」

「ありがとう、ユッカ」


 ユッカは早々に離席しようとしたが、視線でイトに引き留められた。


(特に話すことなんてないのに何のつもりですか)


 目で文句を訴えてからユッカは渋々席につく。


「リコルドのことをいろいろと聞いてたんだ。どうやら、今年、三年に一度の聖女祭が催されるらしいんだよ」

「……聖女?」

「は、はい。聖女マリーア様は幼少期、このリコルドで過ごされたそうです。そんな縁があって、祭りを行うようになったと聞いています」


(聞いてませんよ?)


 ユッカはイトを思い切り睨みつけた。

 聖女マリーアといえば勇者パーティの一員であり、魔王を討伐した内のひとりに他ならない。

 つまり、ユッカができるだけ避けたい人物である。


「知らなかったんだ。これは本当だよ」

「……まぁ、今さら、いいですけど」


 ユッカは肩を落とす。


(そもそも、今わたしの目の前にいるのが、勇者ですからね……)


 ふたりにしか分からない会話は、グレタの耳には届いていないようだった。


「聖女役は十五歳から十八歳までの女性ひとりが選ばれて、祭りの主役を務めます。選ばれるのはとても名誉なことです。今年選ばれるのは、キアラ……わたしの幼なじみだと思います……」


 キアラ。

 ユッカは、橋の上から声をかけていた少女の姿を思い出す。

 豊かな金髪、透き通るような白い肌、意志の強さを感じさせるはしばみ色の瞳。


(彼女だといささか感も否めませんが……)


 本物の聖女を知っている身としては首を傾げたくなるが、当然のように黙っておくユッカである。


「グレタ」


 不意に、イトがグレタの名前を呼んだ。

 びくっとグレタが両肩を震わせる。


「ちょっと失礼」


 イトは立ち上がると、グレタの前髪に手をかけて、持ち上げた。

 隠されていた、気の弱そうな薄桃色の瞳が困惑で揺らいでいる。


「あ、あのっ?」

「僕は、君にも聖女役が似合うと思うよ」


 にっ、とイトは歯を見せて笑うのだった。




 ◆




 ユッカは開いたままの『勇者のレシピ』を閉じて、キッチンの壁棚に戻した。

 どんな店でも、店内に飾ることは欠かさない。


 作業スペースには、小麦粉と卵、砂糖、それからバター。パウンドケーキと悩んだが、クッキーを作ることにした。

 ユッカがバターを指で押すと、ぐに、と形が変わった。


(うん、よさそうですね)


 銀色のボウルに、ユッカはバターを落とす。ぼと、という鈍い音。

 ホイッパーでさらにぐしぐしと潰す。

 そこへ、さらさらと細かい砂糖を注ぐと、ボウルを抱きかかえた。


 しゃかしゃかしゃか!


 勢いよくかき混ぜていくと、バターと砂糖がどんどん合わさっていく。混ざるだけでは足りない。しっかりと空気を含ませることで、仕上がりがよくなる。

 黄色かったバターが段々と白っぽく変わっていく。

 クリーム状になったところで、溶き卵を少しずつ加えては混ぜる。しゃかしゃかしゃか。とろーり。しゃかしゃかしゃか。とろーり。


「あ」


 ひとつ、材料を出し忘れていたことに気づく。上の戸棚から取り出したのは真っ黒な小瓶。

 蓋を開けて少し振りかけると、バニラの甘ったるい香りが広がった。


(なくてもいいですが、バニラオイルを入れた方が、美味しいですからね)


 小麦粉はそのまま入れればだまになってしまうので、ふるいながら入れる。

 あとは混ぜすぎない。

 ねちゃねちゃとさせてしまえば、バターに空気を抱き込ませた意味がなくなってしまう。

 ホイッパーについたクリーム状のものを木べらでこそげ落とすと、そのまま木べらに持ちかえた。さっくりと、ボウルの奥から手前に向けて木べらを走らせ、底の粉をひっくり返す。時々ボウルのかべに押しつけて、固める。

 ある程度まとまったところで、手で生地を棒状に整えると、冷蔵庫へ入れた。


 オーブンへ予熱を入れたところで、ぎぃ、と『夜明亭』の扉が開いた。


「家まで送ってきた」


 イトだ。グレタを家まで送り届けてきたらしい。


「父親は隣町の魔石鉱山へ出稼ぎに行っていて、母親は病気で昨年亡くなったと。なかなか大変そうだった」


(また、あなたというひとは、他人の人生に首を突っ込んで……)


「そうですか」

「ん? なんかバニラの香りがする」


 くんくん、とイトが鼻を動かした。


「クッキー生地を仕込んでいたところです。今から周りにグラニュー糖をまぶして、カットしてから焼きます」

「ディアマンクッキーか。懐かしい」


 キッチンの上にグラニュー糖を広げると、棒状にしたクッキー生地を転がしながら少し押しつけるようにして、表面にグラニュー糖をまぶしていく。

 それから糸で均等幅にカットしたものを天板に並べて、予熱完了したオーブンへ滑り込ませた。

 たちまち、甘ったるく芳ばしい香りで店内が満たされる。


「はぁ……いい香り……」

「仕方ありませんね」


 焼き上がったクッキーは、表面はこんがりとして、縁のグラニュー糖がきらきらと煌めいている。

 ユッカは、カウンター越しに焼きたてクッキーを差し出した。


「どうぞ」

「切れ端かーい。いや、この切れ端が美味しいんだけどさ」


 さくさく。


「うん、美味しい」


 さくさく。さくさく。小気味いい咀嚼音だ。

 結局切れ端以外の部分も頬張りながら、イトが、ぽつりと呟いた。


「……マリーアは、孫が生まれてからはお菓子作りに目覚めたみたいで、最終的に僕よりも美味しいものを作れるようになっていたんだ」


(なるほど。ここが聖女ゆかりの地だと知らなかったのは、本当のようですね)


 ユッカはカウンター越しにイトを見つめた。


「妻としても母としても、すばらしい女性だったよ」


 イトの表情がわずかに綻んでいる。思い出しているのだろう、聖女マリーアのことを。

 魔王を討伐した後。

 勇者と聖女が結ばれ睦まじく暮らしたという物語は、幾度なく小説や戯曲になっている。


「それはのろけですか」

「うん、そうだね」


 ユッカの覚えているマリーアの姿は、若く、強いままだ。

 赤みがかった金髪にルビーのような瞳。

 聖女とはある意味名ばかりで、戦士のような人間だった。

 どことなく、勇者に似ていたような気がする。……特にお節介そうなところが。


「あのさ、これ、貰ってもいい?」

「構いませんが、どうするつもりですか」

「せっかくだから配らないか? 『夜明亭』の宣伝として」

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