2-4 謎とからあげと提案

 布を被ったごろつきが、いつの間にか捕縛魔法を解いて立ち上がっていた。


「ぐふぅ」

「どういうことだ? 風の捕縛から逃れられるだなんて」


 これにはイトも想定外のようだった。

 ばさっ。ごろつきが布を乱暴に外した。ゆっくりと布は地面に落ち、三人目の顔があらわになる。


「ぐふ……ぅ」


「……まさか」


 ユッカの眉間にも皺が寄る。

 角ばった輪郭、落ち窪んだ双眸。それは明らかに人ならざる者の様相を呈していたのだ。


「ヒカリノ……モウシゴ……ウレシイ、ウレシイ……」

「待てっ! 『空に鳥。――」


 しゅばっ!


 イトが僅かに遅かった。

 三人目のごろつきは、跡形もなく消え去っていた。


(魔族……? いや、魔族にしては気配が澄みすぎていた。一体、どういうことなんでしょう……)


 ユッカは己の鼓動が早鐘を打つのを感じていた。

 何年ぶりか分からない、動揺と絶望。まだ己の内に残っているのが信じられない感情だった。

 

「……ユッカ?」


 イトが何かを言いかけたとき、外から慌ただしい足音が聞こえてきた。


 どんどんどん! どんどんどん!


「自警団です! 開けてください!」


 陰鬱さをすべて取り払って、イトは片目を瞑ってみせた。


「さて、あとはミエーレに任せて退散しよう。初日から目立ってはいけないからね」


(どの口が言ってるんですか)


 しかし今は何も言わない。

 ユッカは頷いて、イトと共に、裏口から外に出るのだった。




   ◆




 ユッカは結局、一睡もできずに朝を迎えた。

 憂鬱なまま宿の外に出ると、どこかから戻ってきたイトと鉢合わせてしまった。


「おはよう」

「おはようございま……す……?」


 にこっ、とイトが笑みを浮かべる。


「考えても答えは出ないさ。それに心配しなくてもはたしかに僕が封印したんだから」


 ばさばさっ、ばさばさっ。


「一応匿名でへ報告を入れておいたから、何かしら動いてはくれるだろうし」


 ばささっ、ばさっ、ばさっ。


「……手に何を持っているんですか、イト」

「見て分かるだろう。鶏だよ、鶏。活きのいいやつを買ってきた」


 逆さまに吊るされた鶏が、時々、抵抗するかのように荒々しく羽ばたく。


「『夜明亭』へ行くよ」




   ◆




 『夜明亭』の店内はぐちゃぐちゃなままだった。

 ユッカが無事なカウンター席に座ってしばらくすると、満面の笑みのイトと、真っ青になったミエーレが戻ってきた。


「おかえりなさい」


 表情の差には理由がある。食堂の裏手で鶏を解体してきたのだ。


「さて、たっぷりとからあげを作ろうか! 山盛りからあげ! 夢の世界!」

「はい……」


 ユッカはミエーレに問いかける。


「解体は初めてでしたか?」

「はい。いつも市場の肉屋で肉を仕入れていましたので」


 のろのろとした動作で、ミエーレがコックコートを羽織る。

 イトもまた洗い替え用のコックコートを借りて羽織った。それから、勝手知ったる様子で冷蔵庫を開けて顔を突っ込む。


「すごいや、最高級の醤油がある。料理酒も上等なものばかり。ジンジャーは、昨日の残りで……、あっ、ガーリックもあるね。使わせてもらうよ」


 ぺり、とガーリックの皮を剥くと、イトはカッティングボードの上で半分に切った。


「芯は取って、すりおろしていこう。ジンジャーは皮ごとよろしく」

「分かりました」


 ごりごり、じょりじょり。

 すりおろしてできた液体を、金属製のひときわ大きなボウルへ注ぐ。

 調味料は先にボウルで合わせてしまうようだ。


「醤油、酒、醤油、酒」


(……調味料の名前を歌う癖でもあるんでしょうか)


 今後、これくらいのことではツッコまない。そう決めたユッカである。


「じゃじゃーん。今日は、もも肉だけじゃなくてむね肉も揚げちゃうよ。ユッカはきっと、むね肉の方が好きだろう?」


 はっ、とユッカは顔を上げた。


「何故それを」

「いや、何となく。むねとかささみの方があっさりしてるから好きなのかなって」


 ミエーレが、慎重に、肉を同じ大きさに切り分けていく。ボウルの中で調味料を混ぜ合わせ、鶏肉を入れると、しっかり馴染ませる。


「少し休憩しようか」


 イトとミエーレは石けんを泡立てて、しっかりと流水で手を洗った。

 それでもにおいは指先に残っているようで、あはは、とイトは笑う。


「料理あるあるだね。あ、しまった。ユッカ、レモンを串切りにしてくれないか?」

「かまいませんが」


 ユッカは立ち上がってキッチンへと入った。

 怪我をしそうなものはすべて片づけられている。


 冷蔵庫からレモンを取り出して串切りにしつつ、房と皮の境目に半分だけ切り込みを入れた。


「あの、ユッカ? さんも、料理人なんですか」


 おずおずとミエーレが尋ねてきた。


「はい。この町で、イトと食堂を開こうと思っています。今、物件を探しているところです」

「食堂? ということは、おふたりは、敵に塩を送っていたということですか」

「まさか!」


 イトがひらひらと手を振って、否定を表明する。


「競合店は多ければ多い方が発展していくんだ」


(それは『勇者のレシピ』、第四章と第五章の間のコラムですね)


 ミエーレが『勇者のレシピ』を読んでいないと分かったので、ユッカは敢えて触れずにおく。


「さぁ、そろそろ揚げ油の準備をしようか」

「は、はいっ」


 揚げ鍋は、奇跡的に無事だった。

 とっとっとっ。たっぷりの油を注ぎ入れて、コンロの火をつける。


 ミエーレは菜箸を手に取った。

 油へ差し入れ、くるくるとかき混ぜる。しゅわしゅわー。菜箸からは、気泡。


「よさそうです。鶏肉の漬け汁、流します」


 ミエーレの表情は、いつの間にか真剣さを帯びていた。

 ほんの少しだけ残して漬け汁をシンクへ捨てる。

 それから、たっぷりと片栗粉をまぶす。

 ねちゃ、ねちゃ。


 しゅわぁっ! しゅわしゅわー。


 たちまち店内は揚げ物特有の香りに包まれる。

 ミエーレはしゅわしゅわと激しさを増すからあげをじっと見つめて、しっかりと色がついてきたところでひとつずつ油鍋から引き上げた。

 少しの間、余熱で火を通す。


「ごろつきたちはまだ黙秘しているみたいだね」

「……そうですか」


 ミエーレが視線を床に落とした。

 カウンター席に戻ってきたユッカは、笑顔のままのイトを見る。


(一体、いつどうやって情報を仕入れてきたんでしょう)


 イトはそれ以上、何も言わなかった。


「さて、二度揚げをしていこうか」 


 しゅわしゅわしょわしょわ。鶏肉から生まれる気泡は、激しさも勢いも増していく。色も、どんどん濃い茶色に変わっていく。


 ……やがて、皿にこんもりと、堂々たるからあげの山が完成した。

 隅にはちょこんと串切りのレモン。


 カウンター席にミエーレ、イト、ユッカの並びで座る。


「いただきます!」

「いただきます」

「いただき、ます」


 ふぅふぅ。

 息を吹きかけて少し冷ましてから、三人は同じタイミングで、ぱくり、と頬張った。


 もぐもぐ、もぐ。


「美味しい!」

「……!」


(やっぱり、鶏ももよりも鶏むねの方がいいですね。ふたりが丁寧に作業してくれたおかげで、ぱさつかず、しっとりとしていてとても美味しいです)


 ユッカも頷きながら咀嚼する。

 とても美味しいからあげだ。ガーリックとジンジャーの風味が効いていて、どっしりとした味わいがある。


「ミエーレ! 完璧だ!」

「ありがとうございます……」


 ミエーレのすみれ色の瞳が潤んでいる。


「……昨日はうやむやになってしまいましたが、僕は自首しようと思います」

「ミエーレ。それは」

「悲しみに振り回されて、大事なものを自分で壊してしまいました。きちんと償ってから、もう一度、学者の道を目指します。……だから」


 ミエーレはイトたちへ体を向けると、ぴっ、と背筋を伸ばした。


「この食堂、貰っていただけませんか? あ、あの、修繕は必要ですが……色々と……」


 ユッカとイトは顔を見合わせた。


(予想外の展開です、が、……)


 店舗面積は申し分ない。

 修繕すれば、今までで一番立派な食堂になるだろう。ふたりで経営するなら、これくらいの広さがあってもいい。

 魅力的な提案だ。

 しかし、すぐに受けるのは早計でもある。まだ他にも望ましい物件があるだろう。


「……少し考えさせてくだ」

「是非っ!」


 ユッカの言葉に被せるようにして、イトが叫んだ。


「イト」

「ありがたい話じゃないか。だって、ここは元々町の人が通う食堂だったんだ。つまり立地的に申し分ないということでもある」

「ですが」


 ユッカは勢いよく立ち上がった。


「僕はここがいい。ここで、からあげもハンバーグも作りたい。そして町の皆に喜んでもらいたい。そうやって、ミエーレのおじいさんやお父さんたちがやってきたことを続けていきたい。競合店が減ってしまうのは、残念だけど……」


 イトとミエーレが、懇願するような表情で、ユッカを見上げる。


「……分かりました」


 はぁ、とユッカは肩を落とした。


「よろしくお願いします」


 それから両手を揃えて、深く頭を下げる。


「やった。ミエーレ、君の食堂は、僕たちが必ず守るよ」


 イトはがっちりとミエーレを抱きしめている。力が強いのだろう、ミエーレはふごふご呻いていた。

 その隣でユッカはマイペースにからあげを食べ進める。半分くらいになったところで、レモンを絞って味の変化を楽しむのだった。


(ぷりぷりのもも肉も、悪くはないですね)




   ◆




 持ち前の明るさを最大限に発揮したのだろう。イトはすっかり町の人々と仲良くなったようで、そのツテで、住む家もあっさりと決まったようだった。


「『夜明亭』から歩いてすぐ。少し古い集合住宅なんだけど、壁から木が生えているところがかっこよくて気に入ったんだ」


 イトは『夜明亭』に入って来るやいなや、掃除中のユッカへと話しかけてきた。


「壁から……木?」


 ユッカは想像しようとしたが断念する。


「近くに酒場もあって、最高な立地だ」

「はぁ。よかったですね」


 イトが家を探している間、ユッカはユッカで、店内を片付けていた。

 食器類は一から揃えないといけないが、調理器具はほとんど無事だった。元々すべて買い揃えるつもりだったのでまったく問題はない。

 ちょうど、壊れたテーブルや椅子も新しいものを搬入したところである。


「ミエーレにも会ってきたよ。元気そうだった」


 自首したミエーレだが、具体的な罪状がある訳ではなかった。

 ただ、ごろつきたちはミエーレの関与を積極的に主張しはじめた。ごろつきたちの自白の裏を取るためにも今は拘置所にいる。期日が過ぎれば、王都へ行き、専門大学を目指すという。

 

 ミエーレからは『夜明亭』は修繕が必要なので無料で譲り受けると言われたものの、それはよくないと半ば無理やり契約金を支払った。

 その金があれば、しばらくは王都でも生活できるだろう。


「そうですか。この町を出るまでは、しっかりと見守っていないといけませんね」

「うん」


 ごろつきの仲間がいないとも限らない。

 ミエーレに気づかれないように、用心棒もする予定だ。


「おじいちゃんっていうのは、孫には甘いもんなんだよね」


 イトが誇らしげに胸を張る。


(もしかして、自分の孫のことを思い出しているのでしょうか)


 静かにユッカは考える。


(それなら会いに行けばいいでしょうに。まったく、何を考えているのかさっぱり分かりません)


 ふぅ、とユッカは息を吐き出した。 


「さて、イト。あらかたの準備も終わりましたし、そろそろメニューを決めていきましょうか」


 ユッカはブラックコーヒーを淹れて、マグカップをイトに渡す。


「はー、美味しい」


 にかっ、とイトは笑みを浮かべた。


「ミエーレからこの話が出たとき、まず、決めたものがあるんだ」

「それはもしかして」

「待って待って。いっせーの、で言おう。いっせーの」


 一呼吸おいて、ふたりは声を揃えた。


「ピザ!」

「ピザですね」

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