2-3 あなたは何者?

 ユッカはすばやく前を向く。


 どたどたどた!

 坊主ととんがり頭がそれぞれ、イトとユッカ目がけて突進してきたのだ。よく見ると手に長い棒のようなものを持っている。

 主義や流派などみじんも感じさせない乱暴な動きで振り上げられる、棒。

 ぶぉんっ!


「とりゃっ」


 イトの軽やかな声。坊主の攻撃をいともたやすく躱すと、そのまま右足を伸ばして坊主の足に引っかけさせる。


「ぐわっ?」


 どさっ!!

 恐らくイトとユッカ以外、何が起きたのか分からなかっただろう。

 ぐるりと回転させられた坊主はあっけなく床に倒れ伏した。

 棒を奪い取ったイトは、坊主の背中を踏んづけて首に棒を当てる。


(お見事です。刃物なら死んでいたでしょうね)


「どこ見てんだ、女ァ!」


 とんがり頭がユッカ目がけて棒を振り下ろす。がっ、と鈍い音。ユッカの右肩に直撃したのだ。


「女をいたぶる趣味はないんだが……へ?」


 この程度の痛みで倒れるようなユッカではない。

 肩に乗った棒を掴むと、口の端を歪めてみせた。


「同感ですね」


 左手で棒の先端を握りしめ、そのままとんがり頭ごと手首を勢いよく返した。

 ぶぉぉんっ!

 ……どさり。


「わたしも、人間をいたぶる趣味はありません」


「ユ、ユッカー!?」


 何故だか慌てたのはイトである。


「どうして避けないんだよ!」

「この方が確実に仕留められるからです」

「君って奴は……」


「く、くそっ! この足をどけろ!」


 イトの足元で坊主頭が喚いている。

 イトがばきっと両手で棒を折ると、坊主頭はぽかんと口を開けた。


「ということで諦めて帰ってくれないかな? この後、からあげ修業編が始まるから」


「……いえ、始まりませんからね?」


 ぶー、とイトは口を尖らせつつも、坊主頭から降りた。

 坊主頭はちゃんと心も折れてくれたようで、伸びたままのとんがり頭をかつぐ。


「くそっ! 帰るぞ!」

「ぐふぅ」

「覚えてろよ!」


「料理以外の覚えは悪いから、どうかな」


 ひらひらとイトが手を振った。満面の笑みで、三人を見送る。




   ◆




「つまり、祖父の代から続いてきた店を、いわれのない借金のカタとして取り上げられそうになっている……と」


 はい、とミエーレは声を振り絞った。


 ごろつきたちが退散した後。

 三人はテーブルを囲んで座り、ミエーレが語り手となって経緯を説明したのだった。


「あいつらはこの店をいかがわしい飲み屋にするつもりなんです。そんなことになったら、先祖に顔向けできないと思って、なんとかやってきました」


 ミエーレの背中は再び丸まってしまっている。 


「元々、僕は学者を目指していました。だから料理はまったく習ってこなかったんです。不慮の事故で両親が亡くなってしまい、僕しかいないと思って店を継ぎましたが……全然うまくいかなくて……」


 その視線は、イトとユッカには、合わない。 


「わざわざ夢を諦めたのに、結局この店も失うことは苦しいです。だけど今日は少しだけ楽しかったです。ありがとうございました」


 イトがユッカの方へ顔を向けた。

 何か言いたげだが、ユッカは静かに首を横に振る。


(通りすがった人生すべてに関わることなんてできません。あなたが『勇者』を捨てたというのなら、なおさらです)


 ふぅ、とイトは細く息を吐き出した。


「ミエーレ。さっきのからあげは冷めた頃かな」

「え? はい、たぶん」


 イトが立ち上がる。


「夜食用に持ち帰りたいんだ。冷めたからあげは衣がやわらかくなってしまうけれど、味がなじんで、揚げたてとは違う良さがあるんだ」




   ◆




 ユッカたちが安くもなく高くもない宿を見つける頃には、すっかり陽は落ちていた。

 部屋は隣同士である。

 廊下でそれぞれの扉の前に立つ。


 ユッカは、イトへ顔を向けた。


「あなたは何者ですか? 料理人? それとも、勇者?」


 イトが微笑む。


「おやすみ。明日は食堂候補の建物を探しに行こうね」

「……。おやすみなさい」


 イトが自室へ消えたのを見届け、ユッカも扉を開ける。

 小さな個室だが眠るだけなら十分だ。


 読書灯らしき小さなランプをつける。

 開くのは『勇者のレシピ』だ。

 ぱら、ぱら。

 繰り返し、何十年と読んできた。



 

 ……ぎぃ。

 しばらくして、隣の部屋の扉が開く音が響いてきた。

 落ち着いた足音が遠ざかって行く。


「仕方ありませんね」


 ユッカは本を閉じて、すっと立ち上がった。




   ◆




 月は丸く、とても高い位置で輝いている。


 ユッカが向かったのは『夜明亭』だ。

 門扉にはイトが立っていた。


「来てくれると思った」

「そんなに信頼されても困ります」


 ユッカは眉間に皺を寄せる。


「他人を簡単に信用してはいけません」

「ははっ。それでも、僕は人間の心を信じつづけたいんだ」


 ――行くよ。


 ユッカでは決して感情を読み取れない声が、合図だった。




 ばんっ!




「うわぁ。こりゃ、派手にやったね」


 イトの声は店内と反比例して、明るく軽い。

 倒されたテーブルや椅子。穴の開いたグランドピアノ。

 割れた皿、粉々になったグラス。


 店内中央で縛られて転がされていたのは、ミエーレだった。


「なんてことでしょう」

「ちっとも驚いていないように聞こえるよ、ユッカ」


 ぱっ、と店内が明るくなる。


「おいおいおい! 昼間の兄ちゃんたちじゃないか」


 奥からずかずかと現れたのはごろつき三人組だ。


「お前たちのせいで完璧な計画が狂っちまったんだ。どうしてくれるんだ」

「ぐふぅ、ぐふぅ」


 半日経って回復しているようだが、とんがり頭の髪の毛は崩れて下がっていた。実に間抜けである。 


「この店の評判を落とし続けて、閉店する正当な理由を作るという計画ですか」


 ユッカはミエーレとごろつきたちを交互に見比べた。


「ミエーレさん。料理人を目指すのも悪くないと思ってもらえたようですね」

「……!」


 ミエーレの顔から色が消える。

 一方、イトは肩を竦めてみせた。


「なんだ。そこも気づいてたのか」

「そうでなければおかしいでしょう。あんなからあげランチを提供しておいて」

「うわ。辛辣すぎる」


 ユッカはひと呼吸置いて続ける。


「しかも、昼間の急襲。当事者であるミエーレさんに対しては、危害を加えようとするという意志がまったく感じられませんでした。ミエーレさんもミエーレさんで、そこまで切迫感がありません」


 ユッカは、ミエーレの傍らへと移動した。


「己を被害者に仕立てることで、やむを得ず代々続く食堂を潰してしまうと見せかけて、裏では繋がっていたのでしょう。理由は、そうですね……。学者を目指すための、資金でしょうか。この町から追い出されるふりをして逃亡してしまえば、嘘をつきつづけなくてもいいですから。……ひょっとして両親を手にかけたのもあなたなのでは?」

「それはない!」


 黙秘を貫いていたミエーレだったが、耐え切れなかったらしい。


「父さんと母さんが死んだのは事故だった……。と、突然すぎたんだよ。何も手につかなくなっているところにこいつらが提案してきたんだ。生きていくには金がいる。金さえあれば、夢を諦めずに済むんだ……」


 ぼた。ミエーレの瞳から、大粒の涙がこぼれた。


「……それなのに、どうして、からあげの作り方なんて教えてくれたんだよ……」 


 涙だけではなく、鼻水も流れ出る。

 ミエーレは必死にこらえようとしていたが、とめどなく溢れてくる。


(これまでもずっと、揺らいでいたのでしょうね)


 それはユッカの推測にすぎない。

 しかし、からあげの下処理自体は、丁寧なものだった。それが答えのひとつでもあるように思えた。


「そうだぞ、お前らのせいだ」

「お前らさえ現れなきゃ、ミエーレは計画を止めようだなんて言い出さなかったんだ」

「ぐふぅぐふぅ」


 ユッカはごろつきたちを無視して、ミエーレの縄をぶちりとちぎった。

 その力にごろつきたちが驚いていたが気にはしない。


「救われるべき人間は救いたいと思えるような見た目をしていないし、本当の悪というのは、悪のかたちをしていないものです」

「自己批判のしすぎはよくないよ」


 イトが両腕を組む。

 ユッカは立ち上がって、ごろつきたちと向かい合った。


「それは、あなたの考えすぎです」


 ぎらっ、とごろつきたちの手元が鈍く輝いた。

 昼間は刃物だったが、今は、ナイフのような刃物を武器に選んだらしい。


「うわ、物騒だな」


 イトが両腕を前に突き出す。


「イト。出力が不明な段階で魔法を使うのは控えてください」

「大丈夫、大丈夫。だって攻撃魔法じゃないから」


 余裕たっぷりに、イトは片目を瞑ってみせた。


「『空に鳥。大地に花。海に魚。我、女神の創りたもうた光となりて、祝福を与えんことを――緑風ヴェント』」


 ぶわぁっ、と、風もないのにイトの髪がなびいた。

 ぐるんっ!

 掌中から発せられるのは、透明な鎖だ。

 いともたやすくごろつきたちを捕らえて地面に臥せさせる。


(捕縛魔法ですか。考えましたね)


 それであれば、力を出しすぎてしまっても問題が起きることは少ないだろう。


「ここに来る前に自警団に立ち寄って話は通してある。大人しくお縄につくんだな」

「くそっ」


 鮮やかで、あっという間の出来事だった。

 ミエーレは何が起きたのか理解できていないようで、口をぱくぱくとさせている。


「さて、と」


 イトが、ミエーレに向き合うようにしゃがみ込んだ。

 ごそごそと懐から何かを取り出す。

 それは、からあげの入った器だった。蓋を開けてミエーレに差し出す。


「からあげ、食べる?」

「……え?」

「ここに残しておいたらきっと食べられなくなるだろうと思って」


 ミエーレはゆっくりと起き上がった。

 背を丸めたまま、恐る恐る、からあげに手を伸ばす。


 ……ぱく。

 もぐ、もぐ。


「……冷めても、美味しい、ですね」

「だろう? ミエーレが初めて二度揚げした、貴重なからあげだ」


 ひょいっ、ぱく。

 イトもまたからあげを頬張り、しっかり咀嚼して、飲み込んだ。


「やりたいことを諦めるなんてもったいない。学者になりたいのなら、なればいい。誰もミエーレのやりたいことを止めたりしない」


 そんなふたりを、ユッカは静かに見下ろす。


(本当にそうでしょうか)


 イトやユッカが黙っていたとしても、ごろつきたちは、ミエーレが仲間だと暴露するだろう。そうすればミエーレも何らかの罪に問われる。下手したら禁固刑だ。

 もしごろつきたちがミエーレとは無関係だと主張しても、資金がなく店内をめちゃくちゃにされた現状から立ち直るのは難しい。


「……ぼくは……」


 ミエーレが決意を口に出そうとしたとき。


 がさっ!


「……ッ?!」

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