2‐2 世界一美しい茶色

 再び、イトは物言わぬ店主と向き合う。

 ユッカはその様子を黙って見ていた。


(あぁ。イト、あなたという人は……)


 恐らく、ユッカは苦虫を嚙み潰したような表情になっているだろう。

 振り返らない限り、イトはそれには気づかない。


「僕の名前はイト。不躾なのは承知で言わせてほしい。一度、僕にからあげを作らせてくれないか」


 こうやってこの青年はおせっかいな性分を発揮しては、人々に慕われてきたのだ。

  

「……。かまいませんが」


 店主はようやく我に返ったらしい。じとっとした表情で頷いた。


「失礼するよ!」


 イトがカウンター席の脇からキッチンへと入った。


「君の名前は?」

「ミエーレといいます」

「ミエーレ。味付け済の鶏肉はある?」

「こちらに」


 冷蔵庫から出された金属製のボウルには、茶色に染まった鶏もも肉が入っていた。


「よし、それなら話は早い。揚げ鍋を使わせてもらうよ」


 先ほどからあげを揚げたばかりの鍋には、まだ冷めきらない油が残っている。


「やっぱり」


 何かを確かめてから、イトが呟いた。


「油温度計がないんだね」


 ミエーレが俯く。


「壊れて、そのままです。だから揚げ物はしたくなかったんです……」

「大丈夫だよ、ミエーレ」


 イトがミエーレの肩をぽんと叩いた。


「菜箸があれば。もしくは、揚げ衣の残りがあれば、だいたいの温度は判る。たとえば」


 イトは乾いた木の菜箸を手にすると、油へと突っ込んだ。

 そしてぐるぐるとかき混ぜる。

 ごくわずかに、菜箸から小さな泡が浮かんだ。


「これだとまだ低すぎる。からあげを揚げるには、菜箸から静かに絶え間なく泡が出てくるくらいが適温だ。火をつけるよ」


 しばらく待ってから、もう一度、イトが菜箸を油へと突っ込む。


 しゅわ……。かすかな音と共に、菜箸から気泡が立ち昇ってきた。


「これくらいがいいかな。もっと温度が上がると、泡はさらに激しく出てくる」

「……すごい」


 若干引いていたように見えたミエーレが、イトの言葉に耳を傾けはじめた。

 すみれ色の瞳に、わずかに光が点る。


「さて。肉の漬け汁は、少しだけ残して捨てる。それから片栗粉を全体に、気持ちたっぷりめにまぶす。しっかり、混ぜる。ほら、ねとっとしてきた」

「……こんなに片栗粉を使ってよかったんですね」


 指先にはねっちょりとした片栗粉。

 にかっ、とイトが歯を見せて笑った。


「ミエーレ。菜箸で、油の温度を見てくれないか? 少し時間が経って、温度が上がってるかもしれない」

「分かりました」


 菜箸を受け取ったミエーレは、恐る恐る菜箸の先を油へと差し入れた。

 しゅわ……。


「よさそうです」

「よし。じゃあ、鶏肉を入れていこう」


 イトは鶏肉をひとつ手に取ると、少し引っ張って表面積を増やした。

 しゅわー。

 そのまま、油鍋へ優しく、次々と入れていく。しゅわー。

 鶏肉からは激しく泡が立つ。泡で鶏肉が見えないくらいだ。


「鶏肉を入れることで油の温度が下がってしまうから、ちょっとだけ火を強めよう」


 イトが少し身を屈めて、コンロのつまみを回す。


「一度に入れすぎても同じ状況になるから、二回に分けて揚げる。次はミエーレにやってもらうから見ててくれ」

「はい!」


 油の温度を見極めて、イトは火力を弱めた。

 一瞬にして師弟のような関係になったふたりを、ユッカは、黙って眺めていた。


(結果として、美味しいからあげを食べることはできそうですね)


 しばらくして鶏肉の表面が揚がってくると、イトは菜箸でからあげを持ち上げて、ぴっぴっと軽く油を切ってバットに取り出した。


「このまま置いて、余熱で中心まで火を通す。今のうちに、油の温度をさっきよりも高くしておこう」

「……あの」


 ミエーレがおずおずと口を開いた。


「イトさんは、料理人なんですか」

「うん。そうだよ」

「すごいですね。お若く見えるのに……」


 ミエーレが肩を落とす。  

 ユッカは色々とつっこみたくなる気持ちをぐっと堪えた。


(比べてはだめです。この人、実際は高齢で、生き返った勇者なんですから) 


「ありがとう。さて、そろそろ油の温度を確認してみようか」


 イトは見た目には言及せず、爽やかに切り返した。

 菜箸を油に突っ込み、ぐるぐるとかき混ぜてから、鍋の中心で鍋底から少し浮かせて止める。

 しゅわー! さっきとは比べものにならないくらいの気泡が生まれた。


「よしよし」


 満足そうに何度も頷くイト。

 そして、次々と鶏肉を二度揚げしていった。


 しゅわしゅわー!

 鶏肉は、再び、そしてさっきよりも激しい気泡に包まれる。


 しっかりと油を切って、イトが手早くからあげを取り出していく。


「はい、できあがり」

「すごい……。見た目からしてこんなに違うなんて」

「その通り。世界一美しい茶色だろう!」


 ほかほかと香ばしい湯気。

 からっと揚がった表面は、わずかに艶めいている。


「食べてみてごらん」


 ミエーレは首を縦に振ると、恐る恐るからあげを口にした。


「……っ!」


 ぴん、とミエーレの背筋が伸びた。


「ユッカもどうぞ」

「いただきます」


 ユッカもカウンター越しにからあげをもらう。

 ふぅふぅ。息を吹きかけて、半分かじった。


「はひ」


(衣はかりっとしていて、からめた下味の醤油がしっかりと効いていますね。中もぷりっぷりで噛みごたえがある。噛めば噛むほど、鶏本来の甘みが湧き出てきます。いい鶏肉をきちんと下処理しているのが分かります。揚げ方は知らなくても、真面目な気質の人間だということが‎伝わってきますね。奥に感じるほのかなジンジャーの風味がアクセントになっていて、……美味しいですね)


「どう? どう?」

「はい。とても美味しいです」

「やったね。さぁ、次はミエーレの番だよ」


 ふたつめのからあげに手を伸ばしたミエーレだったが、ぴたりと止まった。


「ぼくにもできるんでしょうか」

「できるできる。大丈夫、僕がついているから」




 ――そして、たどたどしくも、ミエーレは衣のついた鶏肉を二度揚げした。




「ほら。できた!」

「いい見た目ですね」

「ユッカもこう言ってるし、大成功だ」

「……」


 バットの上で艶めくからあげを、ミエーレは、じっと見つめる。


「揚げたてを食べられるのは料理した者の特権だよ」


 イトに促されて、ミエーレはからあげへ手を伸ばした。


 ふー、ふー。

 ぱくっ。

 もぐ、もぐ。ゆっくりと咀嚼し、飲み込むと、ミエーレは深く深く息を吐き出す。


「……美味しいです」

「よし。これでこの店のからあげランチはクオリティがぐっと上がる!」


 イトが両手を広げて叫ぶ。


「あのっ」

「ん?」

「な、なんで初対面のぼくにここまでしてくれるんですか」

「かんたんだよ。美味しいものを作った方が楽しいからさ。食べた人の喜ぶ顔を見られるからね」

「……」


 イトはユッカを見上げた。


「さて、美味しいからあげを食べたことだし、今日の宿を探しに行こうか」




「だめなんです!」




 突然、ミエーレが大声を出した。


「? ミエーレ?」

「この店はもう終わるんです。おふたりが最後のお客さんで、よかった、です……」

「それはどういう……」


 そのただならぬ様子に、ユッカが口を開こうとしたとき。


 がこんっ!


 入口から乱暴な音が聞こえて、ユッカは視線を向けた。

 いかにも荒くれ者の見た目をした屈強そうな男が、三人。


「おいおい。なんだかいつもと違うにおいがしてるじゃないか。やけに美味そうだな」


 ひとりめは坊主。


「もしかしてからあげか? 俺の大好物だぞ」


 ふたりめは、髪の毛を上に向けて固めている。


「ぐふぅ……」


 三人目は目のところに穴が開いている布を被っている。


「おいおい、絵に描いたような悪党どもだな」


 カウンターから出てきたイトは、つかつかと歩いてユッカの前に立った。


「今、ミエーレに美味しいからあげの作り方を伝授してたんだよ。客じゃないなら帰ってくれないか」

「店主? 笑わせる。ここの店主は俺たちだぜ」

「無関係の兄ちゃんはすっこんでな。痛い目見たくなかったら」

「ぐふぅ」


 はぁ、とユッカは息を吐き出した。

 それから目の前に立つイトの背中へ話しかける。


「わざとですか」

「ん? 何のこと?」

「見つけたのは、よさそうな食堂、ではなくて、困っている食堂ですね?」

「ははは。やっぱりユッカには敵わないや」


 イトは悪びれない表情でストレッチをはじめた。

 さらに、店内中央のテーブルを左右に移動して、空間を作る。


「この町で暮らすと決めた初日にいざこざを起こすだなんて」

「だからこそ、だよ。悪い奴は少ない方がいい」


 ユッカもしかたなく、テーブル移動を手伝う。

 ふたりの行動は異様に見えただろう。ごろつきたちは痺れを切らしたのか大声を上げる。


「何をごちゃごちゃ話してるんだ。さっさと出て行け」

「よく見たらいい女だな。女、お前は残っていいぞ」


(はぁ……。分かってはいましたが、やっぱり、こうなるんですね……)


 ユッカはイトに並んだ。


「ふ、ふたりとも何をするつもりですか。危ないです、逃げてください」


 後ろからミエーレの慌てる様子が伝わってくる。


「ミエーレさん」


 ユッカはゆっくりと振り返った。


「からあげ、何回も復習しましょう。大事なのは繰り返し練習することです」

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