第二話 からあげは二度揚げするとからっと仕上がる

2-1 どんなものでも受け入れると言ったのでは?

   ◆




 風が吹いている。

 心地よく、通り過ぎていく。


 ユッカはそっと瞳を閉じた。


(……この町でならやっていけそうな気がします)


 大地や風が歓迎してくれない土地ではうまくいかない。

 説明しがたい感覚を経験値に変えて、これまでやってきた。


 そんな思いを胸に、しばらく、新たな町の空気に身を委ねる。


「ユッカ!」


 遠くから静寂を破るように忙しない足音が近づいてくる。

 誰かは分かっていたがぎりぎりまで瞳を閉じていると、がしっと両腕を掴まれてぶんぶん揺さぶられた。


「ちょ、ちょっと、いきなり何をするんですか、イト」


 目の前の快活そうな青年をようやく睨みつけて抗議する。

 ぱっ、とイトはユッカから離れた。


「すごくよさそうな食堂を見つけたんだ。この町の食の指針になるんじゃないかな」


 イトが、エメラルドグリーンの双眸を輝かせる。

 今の彼の背丈はユッカよりも低いので、結ばれた長い金髪が、子犬のしっぽのように左右に揺れるのがよく見えた。


 彼は、少し前にその死で王国中を深い悲しみに包んだ、大勇者その人である。

 何故だか生き返ったらしく、しかも若返ったのだという。

 そんな彼が約六十年前ぶりに、元魔王であるユッカの前に現れたのは先日のこと。


 紆余曲折を経て、ユッカとイトはふたりで食堂を開くことになってしまった。

 ふたりがやってきたのは、フィウーメ川のほとりにあるリコルドという名の町。中堅都市で、治安も比較的いいという話だ。


「つまり、そこで食事をしたいということですね」

「大正解」

「いいでしょう。連れて行ってください」


 まだ仮の宿も決まっていないが、ユッカはイトの提案に乗ることにした。




   ◆




 目的地は、煉瓦造りで歴史を感じさせる外観だった。

 とはいえところどころ割れていて修繕されないままになっているし、前庭の雑草は伸び放題だ。

 塀の切れ目、門扉には背丈の低い金属製の看板が立っている。そこには『夜明亭』と刻まれていた。


 ユッカは食堂を一通り観察して、口を開いた。


「……よさそう、でしょうか?」

「創業三十年。ということは、二代目が後を継いでいるくらいだと思うんだ。味に深みが出てくる頃だよ」

「はぁ」


 ユッカは、生返事になってしまう。


(どちらかというと、二代目にやる気がなくて、衰退していっているように見えますが……)


「入ってみよう」

「あっ、イト」


 くしゃくしゃと軽やかに雑草を踏みつけ、イトはためらわず突き進む。

 ユッカは諦めて続いた。ポーチに蜘蛛の巣が張っているが見ないふりをする。


 ぎぃ、と扉が軋む。金具が錆びていそうなぎこちない音だ。


 店内は外観通りの広さだ。

 キッチンの手前と右側にはカウンター席。テーブルクロスのかけられたテーブル席は全部で五つ。席と席との感覚は、広め。

 左奥には、小さなステージとグランドピアノ。

 天井の中央には豪奢なシャンデリアが煌めいている。


 キッチンの奥では、ピザ釜が沈黙していた。


「……」


 店主らしき青年がキッチンの中に立って皿を磨いている。

 ユッカたちの入店に気づいているだろうに、こちらへ顔を向けてもこない。


「座っちゃおうか」


 意に介さない様子で、イトはテーブル席についた。木版のメニューを手に取る。


「か……」


 たちまち、イトがわなわなと震えはじめた。


「か?」

「からあげがある! なんてことだ! この店は当たりだよ」

「……」


 たしかに、ユッカの食堂ではからあげがメニューになかった。

 なお、メニューに入れなかったことについて、特に深い意味はない。


「くっ。なんてことだろう。ハンバーグとからあげは僕の二大好物なんだ」

「著書にも書いてありましたね」

「交互で夕食に出てきても問題ないくらい好きなんだ……ッ!」


 イトは拳を握りしめた。


「からあげが好きな人って、異様にからあげが好きですよね」


 ユッカは発言してから、あまりに当たり前のことを言ってしまったとにわかに反省する。しかし、それはそれでイトの何かを刺激したようだ。


「そうなんだよ。どんなからあげでも僕は受け入れる」

「よく分かりませんが、注文してしまいましょうか」


 とはいえ、店主はこちらに来ようともしない。

 ユッカは立ち上がるとカウンターへ近づいた。


「からあげランチをふたつ注文したいのですが」

「……からあげですか」


(?)


 確認には聞こえない復唱にユッカは首を傾げる。


「はい。からあげでお願いします」

「……」


 ユッカは明るい性格ではない。というか暗い雰囲気なのは否めない。


 とはいえ、目の前の青年は、ユッカ以上に陰気に見えた。

 きちんとコック帽をかぶり、コックコートを着てはいる。背は低くないのかもしれないが猫背で、表情は乏しく、目の下には深いくま。


(注文、受け付けてもらえたんですよね?)


 若干の不安を残しながらユッカはテーブル席へ戻った。


「楽しみだな。歳を取ってからは胃が油を受け付けなくなって、気を利かせた料理人が揚げ物をしてくれなくなったんだ」


 うきうきしているイト。

 見た目と発言が一致していないのは、彼が先日まで八十歳くらいの老人だったからだ。


「……」


 対照的に、静かに待つ、ユッカ。


 店内の客はユッカたちだけ。オーダーは直接通した。忘れられようにも忘れられるものではない。

 ちらりと視線だけキッチンに向けると、一応、調理はしているようだ。


(……ちょっと時間がかかりすぎでは?)


 それからさらに倍の時間が過ぎた頃、ようやく店主がふたりの席に近づいてきた。


「……からあげランチです」


 木のトレイに乗った白い丸皿には、からあげ、千切りキャベツ、串切りトマトとレモン。

 スープはコーンポタージュ。

 小さなカゴには丸パン。


「……ごゆっくりどうぞ」


 店主は詫びることもなく、愛想もなく、足早に去って行く。


「……」

「……」

「イト」

「……」

「どんなからあげでも受け入れるって言いましたよね?」

「コレハ、カラアゲデハ、ナイカモシレナイ」

「何故片言になるんですか」


 千切りキャベツの幅は不揃いで、串切りトマトはナイフが悪いのか断面がぐちゃっと潰れている。カットレモンは、そろぞれの皿で分厚さが違う。

 それだけならまだいい。

 肝心のからあげが、見るからにべちゃっとしていて、変な風にてかっているのだ。


「いただいてみましょうか」


 ユッカはから揚げを口に運んだ。


「一応、火は通っていますね」


 もし火が通っていないとしても、ユッカは不老不死なので、食中毒になっても死ぬことはない。数日間苦しむかもしれないが、食中毒による後遺症は起きない確率が高い。


「見た目通り、揚げ温度が低いようです。恐らく二度揚げもしていないでしょう」

「……そうだよね。そうだよね……」


 観念したかのようにイトもから揚げを頬張った。

 静かに咀嚼しているが、時々、切なそうに溜め息を零す。


 ユッカは丸パンをちぎって口に入れた。


(これは美味しいですね。パンはパン屋から卸してもらっているのでしょうか)


 ユッカも基本的にパンはパン屋から購入している。

 美味しいパン屋を複数知っておくことは暮らしていくにあたって重要だ。


 がたんっ。

 ユッカが静かにパンを咀嚼していると、イトが突然立ち上がった。


「どうしましたか」

「我慢ならない」

「ちょっと?」


 ずかずかと大股でイトは店主目がけて歩いて行く。

 ばんっ! そして、カウンターテーブルに両手を置いて、身を乗り出した。


 いきなりのことに猫背の店主も目を丸くして身を反らしている。


「あ、あの……?」

「揚げ物で大事なのは温度管理だ。低い温度でずっと揚げていれば食材がどんどん油を吸収してしまい、べたっとしてしまう。野菜の素揚げなら低い温度でいいかもしれないけれど、から揚げは中温で揚げてから少し休ませて余熱で火を通し、高温で二度揚げすることによってあの独特の外がからっ、中はじゅわっという食感が生まれる」


 ユッカは天井を仰いだ。


(あぁ……。これは『勇者のレシピ』第二章、揚げ物の基本に書かれていた内容ですね)


 『勇者のレシピ』とはかつてのイトが書いた本で、この国の料理人であれば誰もが読んだことのある料理の教則本。


 しかし、イトが何者か知らない店主からしてみれば、突然客が教則本を早口でまくし立ててきただけだ。ただの変質者以外の何者でもないだろう。通報されてもおかしくない。

 この町に来て早々に通報されるのは、避けたい。

 

「イト」


 ユッカはイトの背後に立った。


「店主さんが困っているでしょう」

「でも、ユッカ」


 イトが振り返ってユッカを見上げた。


「このからあげが正解だと思ってごはんを食べるのは、僕が悲しい」

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