1‐4 呪いを解くための呪い

   ◆




「あなたは旅に出るべきなんです、イト」

「やだやだやだ!」


 ユッカの食堂にて。


 駄々をこねているのは、もちろんイトである。

 馬の一件で強力な魔法使いだと知られてしまい――幸いなことに生き返った勇者だとは気づかれていない――町の有力者や魔法学院によるスカウトが絶えなくなってしまったのだ。


 今もスカウトを撒いて、休業中のここへ逃げ込んできたばかり。

 ユッカに淹れてもらったコーヒーにホットミルクを一対一で注ぎ、砂糖をたっぷりと入れた甘いカフェオレを飲みながら拗ねている。


「誰が『ただの人間』ですか。とんでもない魔力量を有している可能性があるのに」

「……うぅ」


 椅子の上にわざと座って、イトは口を尖らせた。

 おかしな話ではあるが、本当にただの人間レベルまで魔力が落ちたのだと考えていたらしい。

 実際に見えている部分についてはその通りだった。

 しかし。

 そもそも異世界から召喚された時点で、尋常ではない魔力量を有していた身である。いくら生き返ったことで減ったとはいっても、大魔法使いに近い力を秘めている可能性がある。例えるならば氷山の一角。

 それが、ふたりで出した結論だった。


 なお、のらりくらりと躱しているおかげで、まだ正体には気づかれていない。


「君は君で、馬を止められなかったらどうするつもりだったんだよ」

「そのときは体の回復を待って食堂をたたみ、次の町へ行きますから」


 はぁ、とユッカが溜め息をつく。


「そもそも、もう十年経ちます。潮時は近いでしょう」


 老いないユッカ。

 人間と時間の流れが違うことを気づかれてしまえば、その場所にはもういられない。転々としながらこれまで生きてきた。確実に、これからも。


「だったら僕と一緒に」

「無理です」


 拒絶の言葉は駄目、ではなく、無理。

 そして、しばしの、沈黙。


 先に口を開いたのはイトだ。


「……僕だって、普通の人間になりたいんだ。君だってそうだろう」


 イトはユッカに視線を合わせなかった。

 ユッカもユッカで、反応はしない。


 治癒魔法で回復したとはいえ、体裁を考えて数日間は休業することにしている。

 本来なら仕込みをしている時間だが、それができない。

 短期間に二回の休業。もどかしい時間以外の何物でもない。


(普通の、人間)


 ユッカは己の手首に視線を落とした。手の甲ぎりぎりまで隠した黒い長袖。その下に刻み込まれたのは、呪いを解くための呪いのようなものだ。


 普通の人間という言葉に感傷は抱けない。

 一体、それが何だったか、ユッカには思い出せない。

 しかしイトにとっては、まだしがみついていたいものなのだろう。


 ユッカは、ゆっくりと瞬きをする。

 ひとつだけ考えを変えることにしたのだ。


「条件があります。雇い主はわたしです。住居は自分で探してください。食堂へは通いで働くこと。報酬は、しっかりと出します」

「……!」


 イトのしょんぼりとした背中が、ぴんと反り返った。


「まずは次の町でだけ。そこで問題がなく、お互いにもっと食堂を続けていこうという話にならない限り、わたしはまたひとりで生きていきます。繰り返しになりますが、あなたとわたしは一緒にいない方がいいですから」

「ありがとう、ユッカ!」


 ぴょんっとイトが椅子から降りて両手を広げる。


(こんな人だと……知ってはいましたが、変わらないものですね)


 小動物のような姿に、ユッカは苦笑するしかない。 


「乾杯しよう、乾杯っ」

「仕方ありませんね。下戸なのでジュースでいいでしょうか」

「そうなの!?」

「そうです」


 正確には下戸ではないが、アルコールはあまり好きではなかった。

 ユッカは冷蔵庫からオレンジジュースの瓶を取り出す。ふたつのグラスに注ぎ、片方をイトへ手渡した。


「僕たちの食堂に、乾杯!」


 イトがグラスを掲げる。

 苦笑しつつも、ユッカは乾杯に応じた。




   ◆




 ユッカは、空になった冷蔵庫を、そっと閉めた。

 窓から朝陽の差し込む店内。

 ひとりでいるところに入ってきたのはイトだ。


「おはよう」

「おはようございます。時間ぴったりですね」


 イトが店内を見渡した。


「告知せずに閉店するんだね」

「いつもそうしてきましたから」


 調理器具も、食器類も、そのまま。

 夜逃げではなくてさながらだ。そして簡単には行けないような遠い場所で、新しい食堂を開く。

 持って行くのは『勇者のレシピ』だけだ。擦り切れるほど読み込んだ一冊は、お守りでもある。


「お客さんたち、悲しむだろうね」

「問題ありません。この食堂の代わりはいくらでもあります」

「……そうかなぁ」


 そうですよ、とユッカは静かに答えた。


「リクエストはありますか? 海の近くでも、山のふもとでも。行きたい場所へ行きましょう」

「うーん。王都付近は避けたいな」

「それはわたしも同じです」


 勇者にまつわるもの。

 魔王に関するもの。それらすべては、王都にあるのだ。


「南の方はどうだろう。常春で過ごしやすいと思う」

「いいですね。寒いのも暑いのも苦手ですから、歓迎します」

「決まりだね」


 ユッカはテーブルの上に世界地図を広げた。


「大河に近い方が食材豊富な印象です」

「海よりも?」

「山もそばにありますから」

「お酒が美味しい土地だといいな」

「それでしたら、……」


 時間はいくらでもある。

 ただ、次の食堂が、イレギュラーになるだけだ。


(誰かと何かをするなんて、考えたこともありませんでした。しかもその相手が勇者だなんて)


 ユッカは敢えて言葉にはせず、イトの意見に耳を傾けるのだった。  

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