1‐3 考えるより先に

  ◆




「これこれ、この味なんだよ~」


 勇者の喪が開けて、食堂の営業は再開した。

 ビーフシチューをあげた常連客が真っ先に来店してくれて、今はトマト煮込みハンバーグを頬張っているところだ。


 とろとろなトマトのベースには旨味がぎゅっと濃縮されている。

 入っているのはトマトだけではない。玉ねぎ、ズッキーニ、たっぷりのきのこがくたくたに煮込まれている。

 そこに入っているのは、少し小ぶりだけどミートボールと呼ぶには大きなハンバーグだ。

 オプションでとろけるチーズを乗せることもできるが、常連客はあまりチーズが好きではないらしく、一度も追加したことはない。


「トマトの酸味が程よく効いてるところが最高だよな」

「そうなんだよ、兄ちゃん。なのにハンバーグも負けていないんだ」

「この大きさがひと口で頬張れる限界サイズってところがいい」

「うんうん、分かってるじゃないか」


 相席して盛り上がっているのは、……イトだった。


「何故あなたはそこにいるんでしょうかね、イト?」


 ユッカは、イトへ視線を向けた。

 イトはえへんと胸を張る。


「仲良くなったんだ」

「いえ、そういう意味ではなくて」


 テーブルの上には煮込みハンバーグ以外にも、パンやビールジョッキが置かれている。

 いつの間にかふたりは酒を酌み交わし、赤ら顔で上機嫌だ。


 食堂の営業は陽の沈みかける頃から。

 酒場一軒目として、また、〆の店として利用する人も少なくない。

 そのためアルコールも提供している。


「兄ちゃんの飲みっぷりは見てて気持ちがいい。勇者も酒豪だったと聞くけれど、負けないんじゃないか?」

「へへっ。おじさんもなかなかだよ」


 きんっ、と飲みかけのジョッキで何回目かの乾杯。


(……生き返った勇者だと知られた日には……)


 絶対に言えない事実を飲み込み、ユッカは天井を仰いだ。

 客が酔っている分、多少のへまをしてもごまかせるだろう。いや、ごまかすしかない。それは確実にユッカの仕事になる。


 そうしているとイトがいつの間にかキッチンへ身を乗り出してきた。


「ところで考え直してくれた? キッチンじゃなくてホールでも、何でもやるよ」


「おいおい、何の話だい」

「ここで雇ってもらうために交渉中なんだ」

「ユッカさんが人を雇うだなんて? 応援するぜ、兄ちゃん!」


 ユッカはイトを睨んでみたが、イトはどこ吹く風といった具合だ。


「ということでポテトサラダ、追加お願い」

「何が『ということ』なのかはさっぱり分かりませんが、かしこまりました」

「ユッカさん、ビールも頼む〜」


 テーブル席から常連客も手を挙げる。流石に常連客を睨むことは、ない。


「はい。少々お待ちくださいね」

「僕が持っていくよ」

「あっ」


 ポテトサラダとビールを受け取り、イトが席へと戻っていく。

 まだまだ宴は続きそうだった。


 そうこうしているうちに何人か客が入ってきて、ユッカは忙しなく働くことになった。




   ◆




 閉店後の静かな店内。

 キッチンから始まり、すべてのテーブルを拭き終えると、ユッカはモップを取り出した。

 床もきちんと拭いていく。きゅっきゅっと、汚れが取れていく音が耳に届く。


 店内の中央で立ち止まると肩を落とした。


(なんだか、いつもより疲れましたね……)


 原因は分かっている。イトの存在だ。

 彼は笑顔で『また来るね』と言って宿へと戻っていった。ユッカが折れるまで粘るつもりでいるのだ。


 掃除を終え、二階へと上がる。


「……ふぅ」


 深く息を吐き出し、椅子に腰かける。

 ロングスカートをゆっくりとたくし上げると、両足にはびっしりと蔦のような紋様が刻まれていた。

 だ。

 これにより、ユッカはこの世界に来たとき与えられたものを失った。役割。魔力。他にもあっただろうが、思い出せない。


(女神は、一体何を考えて勇者を生き返らせたのでしょう……)


 女神とは、彼女と彼をこの世界へと呼び寄せた、人ならざる存在だ。

 この世界を創造したとか、現在も司っているとか言われていて、信仰の対象となっている。


 一度しか姿を目にしたことはない。

 声すら聞いたことがない。


(考えても答えは出ないでしょうね)


 そもそも、ユッカが何故魔王として選ばれたのか。

 六十年以上経った今でも、分からない問題だ。


 シャワーを浴びて寝間着になると、ユッカはベッドへと倒れ込んだ。


『イトウって呼ばれるのはなんだかくすぐったいから、イト、に縮めてくれないかな』

『よし。これで僕は、今までとは別の人間だ』


 イトの弾けんばかりの笑顔が脳裏に蘇る。


(あなたはいいですよね。そうやって、新しい人生を歩むことを選べるのですから)


 選べるというのは、それだけで贅沢なことだ。

 選べる側の人間はそのことを知らない。


 ユッカは、すべてが終わってからも、この世界で独り生きていくしかなかった。


『あなたのレシピ本が、心の拠り所でした』


 だからこそ、イトへ告げたことは紛れもない真実だったのだ。




   ◆




 朝起きてコーヒーを飲んでから、市場へ赴くのがユッカの日課だ。


 空は雨など知らないような青さ。

 ほどよく暖かく、過ごしやすさを感じられる一日のはじまり。


 市場へ近づくにつれて賑やかな声が耳に飛び込んでくる。

 この町で一番大きな市場では、肉や野菜を中心に扱っている。空っぽの籐かごも、帰る頃にはいっぱいになっているだろう。

 魚は魚で港に近い市場の方が新鮮かつ種類も豊富だ。今日は、そちらへは行かない予定にしている。


「いらっしゃいませ!」

「安いよ! 新鮮だよ!」


 顔なじみの店主たちがユッカを見つけて手を振ってきた。

 ユッカは小さく手を振り返す。


 こうやって市場が発展して、新鮮な食材を手に入れられるようになったのも、勇者の功績だった。

 元々この国は大地が痩せ、水の濁った、食の美味しさを知らない世界だった。胃に物を入れられれば何でもいいという価値観が多数派だったのだ。

 異世界からやってきた勇者が長年かけて開拓、開発したことにより、今の豊かさがある。


(そう考えると、イトが市場で感激したというのも当然のことでしょうね)


 ふ、と笑みが浮かぶ。


(旅に出て食文化をさらに発展させてくれた方が、この国のためにもなるでしょうに)


 笑みは一瞬にして溜め息に変わった。


「はぁ……」


 買い物の前に腹ごしらえをしようと決めて、ユッカは、なじみの店でスープを買う。

 市場の中央にある飲食スペースに腰を下ろすと、両手でカップを持った。

 じんわりと伝わってくる温もり。

 今日はあっさりとしたコンソメスープだ。中にはベーコン、キャベツ、ポテト、マッシュルームがごろごろと入っている。角切りのベーコンは香ばしく焼かれてからスープに入れられているため、魅惑的な焼き目がついていた。

 スプーンよりも大きな具材はすくうだけでも大変だが、食べごたえがある。どの具材を食べても旨味が濃い。店主は端切れを使っていると言うが、だからこその味なのだろう。

 もぐもぐと咀嚼していると体がぽかぽかと温まってきた。


 周りの人々もそれぞれ串焼きやパンなどを食べていて、色んな香りが混じり合っている。

 混じり合うのは香りだけではなく、話し声や物音もだ。そうやってなんだか分からなくなった雑音でも、何故だか耳に心地いい。


 生まれて、老いて、死んでいく。

 その過程に自分も混ざれるような、そんな気がするからだ。


 決して、その環のなかには入れないというのに。


「ごちそうさまでした」


 両手を合わせて、空になったカップをカウンターへ返す。

 それから食材を買い込んで、ユッカは市場を出た。


 大通りを行き交う人も増えてきた。

 馬車も走っている。


 ユッカの食堂の営業は夕方からだ。

 店に戻って仕込みをすればちょうどいい時間になるだろう。


(……?)


 何かに違和感を覚えてユッカは立ち止まった。

 遠くから、微かに悲鳴が聞こえてきたのだ。加えて、がらがらがらっ、という普段では決して耳にしないちぐはぐな音。


 ユッカは音のする方へ顔を向けた。


「助けてくれぇっ!」


 大人しいはずの馬が暴走した馬車。助けを求める御者。

 蜘蛛の子を散らすように逃げていく周囲の人々。


 どさっ。御者が荷台から振り落とされて地面に倒れうずくまる。

 馬の進行方向には――小さな子どもと、母親らしき女性。

 ふたりとも馬の勢いに驚いて固まっている。


(まずいですね)


 ユッカは籐かごを地面に下ろすとためらうことなく駆け出した。馬に向かって。


「止まりなさいっ!!」


 先回りして両腕を大きく広げる。どんっ! 鈍い衝突音と共に、馬とユッカは倒れ込んだ。


(痛……)


 ずきずきなのか、じんじんなのか分からない。両方かもしれない。

 ユッカは不死だが、痛覚はある。

 当然ながら馬の方が体格もいいため、潰されるような状態になっている。さらに暴れられる可能性もあったが、幸いにもしゅんと大人しくなっていた。


「ごめん。間に合わなかった」


 軽やかさを装った暗い声が降ってきた。

 ユッカの頭側に立っていたのはイトだった。両腕を前に向かって突き出している。


「いいえ、そんなことはありません。助けてくださってありがとうございます」


 イトが魔法を使って馬を落ち着かせたのだと理解して、ユッカは微笑みかけた。


「だけど、痛いだろう」

「いずれ治りますから」


 イトの眉尻は下がったままだ。

 すっとしゃがみ込むと、ユッカの腕に触れる。


(あたたかい……?)


 イトはユッカにも魔法を使っているようだった。

 痛みがゆっくりと引いていく。

 腕だけではなく、全身、じんわりとあたたかい。


 穏やかな波が体の隅々まで広がっていく。

 初めての感覚に、ユッカは身を任せるように目を閉じる。


 しばらくすると、イトが話しかけてきた。


「とは言え、泣いてるじゃないか」


 事態を見守っていた人々がふたりに近づいて輪をつくりはじめた。

 守ってもらえたと気づいた母子が駆け寄ってきて、何度も頭を下げながら泣いている。


 ユッカは他の誰にも聞こえないように、イトへ告げた。


「違います。わたしにも治癒魔法が効くことが、……うれしいんです」

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