台南のドミトリー

犀川 よう

台南のドミトリー

 日本から女ひとりで台湾の松山空港に着くと、空港を出ることなくそのまま国内線の飛行機に乗り換えて台南にやってきた。台北の都会ならではの澱んで熱い空気を一切味わうことなく台南まで来ることができたので、子供時代に地方の実家で過ごしたようなのんびりとした空気をダイレクトに味わえた。そこそこ大きい鉄道駅のような台南空港の建物から出ると、剝き出しの太陽が容赦なく照りつけてきて、本来の自然というものを無遠慮なまでに教えてくれる。わたしはここまで強烈な冷房の中にいたせいで、一刻も早く暑さから逃れたくなり、タクシーに乗って街一番のホテルへと向かった。


 上等なホテルであってもどこか日本の温泉地にあるような感じの南国感があって、親しみやすいホテルであった。部屋の作りはいかにも観光ホテルという感じで上質さより利便性を重視したような素朴な作りだった。ネットで調べた限りでは地下に喫煙ルームがあるようで、室内喫煙のできない台湾では珍しいと思ってこのホテルに決めたのだが、ご時勢のためか閉鎖されていた。わたしは肩をすくめ、地上階から外に出てホテルの隅のさらに隅にある喫煙所で煙草に火をつけた。暑い中で吸う煙草のまずさは香港で知っていたのだが、この台南では南国リゾート気分を味わえるせいか悪くなかった。隣の白人男性が無遠慮にわたしの身体を舐めまわすように見ながら吸っていること以外、良質で心地の良い喫煙時間を過ごすことができた。

 

 台湾の数ある観光地で台南を選んで来たのには理由がある。海を眺めるためだった。理由は馬鹿馬鹿しいくらいにありふれていて、失恋をしたからだ。わたしは高校時代以降、失恋をしたり一方的な片思いが終わりを迎えると、海を探した。その海の前で座り込み飽きるまでずっと海を見るのだ。東京育ちのわたしは、最初は東京湾から始まり横浜や静岡とどんどんと西に向かっていった。どこかでいきなり北に向かい、竜飛岬と青森県の海と青空が好きになり、青森には三、四回くらいお世話になった。その後は台湾に場所を移し、台湾の有名な観光地を転々として恋愛の墓場を探した。台北の淡水から始まり、時計回りに東部の花連や台東、南部の墾丁、高雄と彷徨い、台南へと辿り着いた。その先の台中の山の上にある日月潭という美しい湖も試したが、あまりにも静かで何もなさすぎて心を癒すのには不向きであった。

 結局、台南が一番都合が良いと感じるようになった。そこそこのサーファーがいて、日本人もいて安心できたし、それでいながら誰も話しかけては来ずうるさくない。波は日本海のような勢いと迫力のある荒波で、南国の穏やかさとはミスマッチなのが逆に心を落ち着かせてくれる。台南の海はわたしの求めている癒しにはぴったりであった。


 昼は大変暑いので、夕方くらいになってから財布と飲み物を持ってホテルのレンタル自転車で海へと南下した。道中は虫よけスプレーなど意に介さぬ獰猛すぎる蚊に刺されまくられる。下り坂とはいえ汗だくになりながら二十分くらい漕いでいくと海へと着く。そして砂浜に座り込み、夜になるまで海を見るのだ。何を考えるかはその時次第。ほとんどが失恋についてではなく、次はどんな出会いがあるのかを想像しながらぼんやりと過ごしていた。時には出会いなんていいから、このままこの台南で暮らしてしまおうか、なんて非現実的なことを考えてもいた。

 台南の海は本当に良い。静かなのに止まっていることが一切なく、わたしに何も期待をしてこない。恋愛のような面倒な機微や駆け引きなどなく、わたしの問いに答えてくれる親切さもない。すべてが無いのに似たような動きだけが延々とある世界。その一部として溶け込みながら気持ちが落ち着くまでじっといるのがわたしは大好きなのだ。もしかしたら、この台南の海に来るために恋愛をして、終わらせてきたのではないかとすら感じる恋もあるくらいに、楽しみになっていたのであった。


 今回三回目の台南で突然の出会いがあった。いつものように海を見ながらただ座っているわたしに、一人の青年が英語で話しかけてきたのだ。最初は面倒だと思い、英語が分からないフリをして麦わら帽子を深く被って無視していたのだが、彼はわたしの横に勝手に座ると、わたしと一緒にずっと海を見ているのだ。わたしは気にすることなく、ずっと海を見ていると、彼も何も話すこともなく座り続けていた。わたしがチラっと視線を向けても、彼はわたしを見ることもなく、ただまっすぐ海をみていた。青春ドラマのような一コマがわたしの目の前に存在していて、わたしは自分もと思い少しだけ恥ずかしくなると、笑い出してしまった。

 わたしがしばらく笑い続けても、彼はわたしに話しかけることもなく、黙って海を見ているだけだった。それを見て、わたしはついに気を許してしまい、彼のことや名前などを尋ね始めてしまった。彼は台南市の外れでドミトリーを経営している家族の一員で、暇ができると海を眺めるのが好きな青年であった。顔立ちは優しく、この街の男にしては色白で頼りなさそうな印象であったが、わたしは好印象を持つことができた。これまでの人生でわたしは、男というのはとにかく待つことのできない生き物だと思っていたので、彼の行動が珍しいと思ってしまったのである。

 彼は「いつもは泊りだけのドミトリーなんだけど、今日は夕食会があるから、ウチに来ないか?」と誘ってくれた。善良でどこかあどけない年下の彼に、わたしは興味を持ってしまった。まだ恋愛感情ではないと思う。ただ、その誘いに何か救いを求めてしまったのだ。


 彼のドミトリーはかなり坂を上って行かなければならないので、彼の父親が車で迎えに来てくれ、自転車ごと運んでくれることになった。少なくとも台湾では危険な目に遭ったことはないわたしは、そのまま車に乗せてもらい、彼らのドミトリーへと連れて行ってもらうことにした。大きな車の中には台湾の言葉で「海しかない街」と書かれたステッカーが彼らのドミトリーらしき家の写真に貼り付けられていて、少しだけ笑ってしまった。

 ドミトリーに着くと、中国それも海を渡ってすぐの福建省のお客が多いらしく、中国語が飛び交っていた。わたしはなんとか単語を耳で拾って彼らの言っていることを理解することができた。彼ら曰く、今日はタダでごちそうにらしいとのことであった。ドミトリーを経営する家族は全員英語が達者で、同じようなことをわたしに上手な英語で説明をしてくれた。とりあえずわたしは不自由をすることなく、夕食のお呼ばれを満喫することができそうだと知り、色々な面で安心をした。


 各人の文化によって食事の儀式をしたりしなかったりという多国籍らしい夕食会が始まった。彼の母は息子がわたしを連れてきたことを「でかした」みたいに思っているようで、このまま嫁入りさせられるのではないかと思った。事実、常連らしきドミトリーのお客の一人が、「これで〇〇の家も安泰だな!」みたいな中国語を話すと、お客たちはどっと笑った。わたしも正直、嫁入りはさすがにどうかと思うが、しばらくここに厄介になってもいいかな、とは思い始めていた。台湾にはこれまで何十回も来ているが、このような温かい日を過ごしたのはこの日が初めてだった。


 こんな日々が続けば良いと思ったが、やはり現実は甘くはなかった。彼の母と祖母の手料理は本当に美味しかったので、何かお礼を言おうを台所へ向かったのだが、彼女たちはそこで悪辣な笑みを浮かべながらわたしでもわかるような台湾語で「あの女が来たら、コキつかってやりましょうよ」というニュアンスのことを話し合っていた。わたしはさすがにはないとはいえ、嫁ぎ先候補だったところをいきなり失ってしまったことに、どういう感情でいれば良いのかわからなくなってしまった。ただ、少なくともこの台南で、彼のドミトリーを手伝いをしながら海をぼうっと見るという、わたしが夢見がちに抱いた理想は儚く散っていったのだった。

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