第五章 私はあなたで、あなたは私。

第1話

「……助けてあげて下さい。お願いします」


 もう何度目になるのだろうか。白い部屋の中で、私は目の前の椅子に座る女性カウンセラーに頭を下げた。無機質な、細菌一匹すら住めないような怖いくらいに白い部屋だった。床や天井、目の前の机も椅子も全てがその色に染まっている。カウンセリングの度にこの部屋に通されるが、私はこの部屋が大嫌いだ。膝の上に置いた両手を握りしめる。「皆、苦しんでるんです。あの花のせいで」奥歯を噛み締めながら言った。


「頭をあげて下さい。瑠衣さん」


 澄んだ声が鼓膜に触れる。違う。私は、瑠衣じゃない。


「何度も言うように、冬の帳村なんて村はこの世に存在しないんです。この五年の間、私達が何もしなかった訳じゃないことはご存知でしょう? あなたが指し示す場所にまで職員を派遣し、実際に写真もお見せしましたよね? あそこには村なんてありません。ただ、深い森が広がっているだけなんです」


 そんなはずはない。現に私はこの目でみたのだ。いや、今だって意識を向ければすぐそこにある。私が縋るように目を向けると、白衣に身を包んだ女性は、哀れみを孕んだ目を向けてくる。綺麗に茶色に染められた髪が胸元の辺りまで流れように白衣に垂れていた。女性は右手を持ち上げて、テーブルの上に置かれていた一枚の画用紙を手に取った。そこにはついさっき私が描いた冬の帳村が広がっている。


「幻覚や幻聴、それに妄想」


 それをみながら女性がぽつりと口にする。


「全ては雪忘花のせいなんです」

「あなたは幼少期からずっとそれに悩まされている」

「私が、もう一人の私が、捕まるかもしれないんです」

「瑠衣さん、聞いて」

「助けてあげて下さい……どうかお願いします」

「一度落ち着いて」

「あの施設は何かおかしい」

「わかったわ。だから、深呼吸して」

「早く助け出さないと皆捕まるかもしれない」


 言い終える頃には、私は白いテーブルに身を乗り出していた。女性は大きく目を見開いたが、その時には私は机に飛び乗っており、女性を椅子ごと押し倒していた。白い床に雪崩れのように二人して転がる。だが、即座に私は身体を起こし、女性の両手首を掴んだ。


「だから私を早くここから出してよっ!もう一刻の猶予もないの!行けば、何か出来るかもしれない。私ならきっと……だから出してよっ!」

「誰かきて早くっ!」


 女性が叫んだのと同時に白い扉が開き、部屋の中に入り込んできた二人の男性職員に私の身体はあっという間に押さえつけられた。


「新奈ーーっ!」


 左肩に注射針を刺され、意識が溶けるその瞬間まで私は叫び続けた。

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