第5話

 考えた事がない訳じゃ無かった。まず私達は共に大城という名字だ。でもそれは、一つ下の歳の子にも大城という名字の女の子がいた為に然程気にしていなかった。けれど、私と湊は、髪型や、男性と女性として身体の違い、そういった点を除けば似ている部分が多かった。肌の白さや、指の長さ、そして何よりも似ている部分は顔だった。目は大きく、高い鼻梁、顔の輪郭、耳の形まで数え始めるときりがない程だった。それは周りからみてもそうだったようで、湊の身体が今よりも男性らしい身体つきになる前、まだ声変わりもしていない頃は、湊だと思って私に話しかけてくる子がいたくらいだった。恐らく、逆も然りだと思う。


 でも、雪が降る日に生まれ、生まれたことすら忘れられてしまった子供達を集められた施設の中で生きる私達にとっての兄弟や姉妹という関係性は、どこか遠いもので、ある種物語の中だけにしか存在しえないようなものだったのだ。頭を整理していると、手のひらを合わせて打ち鳴らす乾いた音が聴こえた。


「新奈!」


 呼びかけられて、目をやった。私の双子の兄であるという湊に向けて。大城湊。その隣に書かれた続柄という欄にはそう書いてあった。


「新奈、頼む。今はしっかりしてくれ。俺だってびっくりしてるよ、どうしたらいいか分かんなくなってる。でもこんなチャンスはもう二度とないと思う。だから、今は出来る限りの情報を抜き取らないと! 頼むよ」


 縋るような眼差しを向けられ、私はちいさく頷いてから湊に呼ばれるまで自分の立っていた入り口近くテーブルへと向かった。開いたままになっていたファイルに手をかけたが、入り混じった感情のせいでとてもそんな気分にはなれず、ファイルを元に戻した。その時だった。


「何を、してるんですか?」


 つめたい声が鼓膜に触れる。その声色は、明らかに湊じゃなかった。嘘だ。嘘だ。職員室の扉が開く音は聴こえなかった。足音も聴こえなかった。途端に心臓を素手で掴まれているかのような心地になる。それから、思う。いつから? 私は一体いつから見られていたのだろう? 振り返れない。怖い。怖い。心臓が暴れまわるうさぎのように跳ね回り、手足に汗が滲んでいるのが分かった。


「もう一度言います。何を、しているんですか?」


 冷たい声が再び鼓膜に触れて、私はぎゅっと目を瞑った。落ち着け。ここで取り乱せばそれこそ終わりだ。私は自分の身を案じてばかりいたが、三島の部屋には湊がいる。そして、今私の後に立っている声の主が三島であることも気付いていた。行かせちゃ駄目だ。湊が大変な目にあう。なんとしても私が食い止めないと。勇気を振り絞って振り返った。


「三島さん、こんばんは」

「挨拶はいいです。私の質問に答えなさい。ここで、何をしているんですか?」


 眼鏡の奥にみえる目がぎゅっと細められ、色を失ったような乾いた瞳を向けられる。私は静かな闇に呑まれそうになりながらも既の所で踏み止まり、口を開いた。


「あの、嘆願書たんがんしょを私は届けたくて」

「嘆願書を? 何についてですか?」


 三島は微動だにせず、間髪入れずにそう問い掛けてくる。我ながら下手な嘘だとは思う。でも、咄嗟に出てしまったものを今更引っ込めることは出来ない。


「男の子達についてです」

「続けて下さい」

「はい。女子達は毎日朝も夜もご飯の支度だったり、家事全般を毎日当たり前のようにしてますよね?」

「それがどうかしましたか?」

「それっておかしいと思うんです。毎日、毎日、女子達は汗を流しながら朝ご飯や夜ご飯の支度をしているのに、男子達は馬鹿みたいに笑ったり、涼しい顔をしながらトランプをやったりして。私は、感謝をして欲しいんじゃないんです。ただ、手伝って欲しくて……だからその、この施設に不満はなかったんですけど、それだけはどうしても変えて欲しくて嘆願書を出しにきました」


 苦し紛れについた嘘だったが、言い始めると自然に感情を込めることが出来た。半分は本当に思っていたことだったからかもしれない。三島は顎の先に手をやり、考えているような素振りをしている。いつみてもパリッとした清潔感の溢れるスーツを着ていると、私はそれをぼんやりと眺めていた。


「なるほど。確かに、新奈がそう思っているのも無理もないかもしれませんね。分かりました。一度それは職員一同で検討してみましょう」

「えっ、あっ、ありがとうございます」


 思ってもいない返答だった為に、私は少し取り乱してしまった。


「では、その嘆願書を頂けますか?」


 まずい、と思った。咄嗟についた嘘だ。ずっと前から本当にそう思ってるとはいえ、私は嘆願書など書いていない。


「いや、それがまだ書いてないんです」

「書いてない?」


 三島の目が、少しだけ見開いた。


「はい、それはこれから書こうと思っていた所に三島さんがいらっしゃったので」

「では、その書いてすらない嘆願書をしまい込む為に、あなたはそこのファイルを開いていたのですか?」


 三島が指を指したのは先程まで私がみていた冬の帳村と書かれたファイルだった。そこで初めて私はファイルをみていたことを見られていたのだと知った。


「はい、嘆願書は書くつもりでいたんですけど、それを隠すに相応しい場所を探していたんです」

「隠す? なんの為に? それは嘆願書なのでしょう?」

「私が書いたと誰にも知られたくないからです。男子達は小さな事をきっかけにいじめの対象にしたりするんです」

「では、その嘆願書が仮に誰にも見つけられなかった場合はどうするつもりでした?」

「諦めるつもりでした」

「そうですか。では嘆願書を書いてからまた私の所にまで持って来てください。勿論、君の名前を明かすことはありません」


 聞きながらこのままではまずいと思った。ついさっき火災報知器が鳴り止んだ。火事が起きていなかったと分かれば、職員達が戻ってくるかもしれない。そうなれば三島の部屋にいる湊がバレてしまう。何としても三島を今この瞬間に部屋から連れ出さなければならない。「それでは」と自分の部屋へと向かおうとする三島を呼び止めた。


「あの」


 三島が振り返る。感情を失ってしまったかのようなつめたい瞳が向けられるが、構わず続ける。


「嘆願書のことなんですけど、出来れば今日出したいんです」

「構いませんよ。そこの机に紙とペンがあります。どうぞ、思いのままに書いてください」

「いやです。職員室だといつ職員さんが入ってきてもおかしくないですよね? 私は本当に自分が嘆願書を書いている姿をみられたくないんです。私の部屋で書くので、出来ればそれをその場で三島さんに受け取って頂きたいんです。そうすれば、誰にも見られなくて済むので」


 我ながらめちゃくちゃ理屈だとは思ったが、三島は少しの間をあけてから「分かりました」と呟き、職員室から連れ出すことに成功した。これでその間に湊が職員室から出ることも出来るはずだと、私は歩きながら胸を撫で下ろしていた。部屋に戻ってから、ドアに身体を預けたまま腕を組む三島に見守れながら私は嘆願書を書き上げた。


「これが今の私の想いです。じゃあ、よろしくお願いします」


 嘆願書を三島に手渡す。三島はすぅっと流れるように目を通してから「確かに預かりました」と言った。くるりと背を向けドアノブに手をかけた三島が、その瞬間動きを止めた。


「最後に一つだけ、質問をしてもいいですか?」


 三島の抑揚のない声が、部屋の中に転がった。私は三島の背中に、はい、と声を掛ける。


「今日の警報。あれは、誤作動だったようです。私がこの施設で勤めてからもう二十年以上経ちますが、火災報知器が誤作動を起こしたのは、私の記憶にある限りだと多くても四度目か五度目くらいです。そのうえでお聞きしますが、西館で火災報知器が鳴ったこと、それと君が嘆願書を出そうと職員のファイルを開いていたこと、その二つは偶然ですか?」


 言い終えてから、三島は私に目を向けた。身体半分だけをこちらに向けてきて、鋭利な刃物のような鋭い眼差しで私の胸は突き刺されているかのようだった。


「はい……偶然でしかないと思います」

「そうですか、なら良かった。そうでなければ困るのは君だ」


 ふっと頬を緩めた三島は、そのあと部屋から出ていった。扉の閉まる乾いた音が鼓膜に触れて、私は割れた風船のように全身の力が一気に抜け落ちていくのを感じた。丸テーブルを前にしてしゃがみ込んでいた私は震える指先を抑えようと、貝殻のように組み合わせた。指先から二の腕、それから全身にかけての毛穴が泡立っていた。あの三島の目。鋭利な刃物かのような鋭い眼差し。それに殺意のようなものを感じたのは、この施設で暮らしてきて初めてのことだった。

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