第6話

 消灯時間がいつもより一時間早くなるという通達が入ったのは、夕食を食べ終えてからの事だった。施設内全ての電気系統の点検をする為らしい。普段なら廊下の辺りからも聴こえてくる子供達の声が、まだ夜の九時だというのに静まり返っている。部屋の中には闇が満ち、私は二段ベッドの下で、沙羅は上のベッドで横になっている。


「計画、うまくいって良かったね」

「うん。沙羅のご両親の住所も湊が書き留めてるから、そのメモは明日渡すって言ってたよ」


 三島の部屋に入り込み出生届や名簿を盗み見た湊は、沙羅と私と自分の両親が住んでいる住所を予めに用意していた紙に書き入れてくれていた。


「そっか。じゃあ私」


 沙羅が最後に何を言おうとしていたのか分からない。それは、一瞬の出来事だった。部屋の扉が突然開き、押し入ってきた二人の職員の内の一人が沙羅の左肩に何かを刺すと沙羅はくたびれた人形のようになり部屋から連れ出されたのだ。


「沙羅をどこに連れていくのっ」


 それを止めようとした私は両腕を背中に回され、二人がかりで身体を抑え込まれた。ぎりぎりと骨が軋む音が鼓膜に触れる。私の腕を押さえつける手はそれ程までに力が強かった。


「すぐに車に乗せて運ぶように」と聞き覚えのある声が廊下から漏れてきて、入れ替わるようにして入ってきたのは三島だった。


「なんですか……これ、沙羅が何をしたって言うんですか?」


 私が涙ながらにそう訴えかけると、顔の半分に黒い影を纏ったままに、三島があの目を私に向ける。鋭利な刃物のようなつめたい眼差し。私の心臓はそれで抉り出されそうだった。


「あの子供じみた陳腐な嘘で、私を騙せるとでも思いました?」


 分かっていた。心の奥底では、どこか三島に全てを見抜かれているような、そんな気がしていたのだ。私はそれに見て見ぬふりをした。三島は私の前で腰を落とし、床に抑え込まれいる私の首筋に手をかけた。


「どんな処罰を与えるべきか、あれからずっと考えていましたよ」


 指先にかけられている力が少しずつ強くなるのが分かった。ただでさえ身体を押さえつけられている上に気道が少しずつ狭められていく。


「どうせなら肉体的にも精神的にも強い痛みを伴うものがいい。だから僕は、恐らく君が最も大切に思っているであろう佐藤沙羅を精神病棟に送ることに決めました。彼女には以前から精神に異常をきたしている節があった。ちょうど良かったかもしれない」


 息が、出来ない。苦しくて、何も出来ない自分が悔しくて、涙が出てきた。


「君がまだ子供だった頃、僕が言ったことを覚えていますか?確か……あれは十年以上前」

「三島さん」


 私の身体を押さえている職員の声が、暗闇の中に溶けていく。


「僕は君のことを特別だと言いました。それは今でも変わっていません」

「三島さん」


 もう、どれくらい息が出来ていないのか分からない。視界が、暗くなっていく。


「僕が君に何かをする事はないが、君が僕を怒らせるということは、イコール君の周りにいる人たちが辛い目に合うということをよく覚えおくように。だから、君は今までと同じようにおかしなことは考えず、この施設で幸せに暮らしていればいいんです。そうすれば、僕だってこんな事はしない。したくないんです」

「三島さんっ!」


 三島の声を遮るような大きな声が鼓膜に触れて、首元にかけられていた手の力が一気に緩められた。私は今この瞬間にこの世に産み落とされたかのように大きく息を吸い込み、何度も咳をした。口元の端から唾液が漏れ出て、それと同時に両目の淵から涙が溢れ出していた。 


「何考えてるんですか? あれ以上やってたら……この子は死んでましたよ。この子はαアルファ何でしょう? 重要な被検体だ」

「そうでしたね。つい、感情的になってしまったのかもしれません。その子を離してあげて下さい」


 三島のその一言により、後に回されていた腕が解かれ、抑え込まれていた身体の力がふっと緩められた。私は床に這いつくばるようにして、首元に手を当てたまま何度も咳こんでいた。まだ、息が苦しかった。初めて、死を近くに感じた。気道が締まり、息を吸い込むことも吐き出すことも出来ないあの感覚。次第に遠くなっていく意識。思い出しくもないのに、私の脳内ではその場面が壊れたテープみたいに何度も巻き戻される。


「三島さん、いきましょうか」


 私の身体を抑えていた職員が扉に手をかけながら、そう声を掛ける。三島は「ええ」と言って部屋から出ようとしたが、廊下に足をかけた所でくるり向きを変え、私の方へと歩いてきた。床に倒れ込む私の耳元に呟いて、今度こそ三島は職員達と共に出ていった。ドアの下の隙間から廊下の明かりが小さく漏れている。私は身体を震わせながら、それをぼんやりとみつめていた。三島はついさっきわざわざ引き返してまで私の耳元に口を近付け、こう言った。


「あまり大人を舐めないように。君を殺すことは確かに惜しいが、君を殺すことなど私からしてみれば運動場を這いつくばってる蟻を殺す事と然程変わらないんです。意味が分かりますか? 私は、人を殺すことに躊躇ためらいなんてないんですよ。それを、よく覚えていて下さい」

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