第4話

「新奈お姉ちゃん、沙羅お姉ちゃんが呼んでるよ」


 小さな女の子の声が鼓膜に触れて目を向けると、陽菜乃ちゃんが飲み物が配置されているテーブルの方へと指を指していた。そこにはオレンジ色の液体が入ったグラスを手に持ったままこちらをみている沙羅がいた。陽菜乃ちゃんには、教えてくれてありがとう、と笑みを向けてから沙羅の元へと向かった。


「呼ばれてるって聞いた」

「うん。もうすぐ約束の時間になるから」


 時刻は十九時五十五分になったばかりだった。湊は数分前に食堂から出て既に西館に向かっており、私達もそろそろ職員室前の女子トイレに向かわなければはらない。丸皿やプレートを手にしながら喜々とする子供達の間をすり抜けるようにして食堂から出ていく沙羅の後を私は追いかけていく。女子トイレに入るや否や沙羅がポケットから何かを取り出した。どうやら腕時計のようだった。


「もうすぐ時間だ。カウントするよ」


 沙羅が言った。


「十、九、八、七……」


 秒針が針を進めていく度に、沙羅が口にする。


「三、二、一。鳴るよ!」


 その声と共に、けたたましい警報音が鳴り響いた。湊が火災報知器を鳴らしたのだろう。沙羅は時計の画面を即座にストップウォッチのに切り替えた。私は横目に凄まじい勢いで一番右端の数字が刻まれていくのをみていた。職員達の「はい、皆焦らずに移動してねー。訓練を思い出してね」という子供達に呼びかける声が聴こえたのは、そのすぐ後だった。子供達の泣きわめく声、笑い声が、それに続き、何人もの足音が不規則なリズムを刻みながら遠くなっていく。


「おっけ。一分経った。もし職員がいたら連れ出すけど、居なかったらまた呼びにくるから」

「分かった。沙羅、気をつけてね」

「うん、新奈も」


 程なくして沙羅が職員と話す声が聴こえた。湊の言っていた通り数人の職員がまだ職員室に残っていたようだった。耳を澄ませる。足音からして二、三人だろうか。いや、もっといるのかもしれない。私はそれが遠くなっていくまで息を潜め、それから職員室へと向かった。扉を開け、中に入ると長方形のテーブルが二列になって部屋の奥へと続いており、テーブルには書類やファイルが幾つも立てかけられている。念の為に警戒はしていたが、職員は誰も居なかった。


 湊には、私達が何か知らない情報があるかも知れないから片っ端からファイルや書類をみてくれと言われていた。一番手前のテーブルから手にかけようとした時だった。肩に手が触れて、咄嗟に振り返った。そこには湊がいて、私と目が合うとふっと頬を緩めた。


「ちょっとっ、声かけてよ。心臓止まるかと思った」

「悪い、別に驚かせるつもりじゃなかったんだ。じゃあ俺は三島の部屋に行くから新奈はそっちを頼む」


 湊が部屋の奥へと向かっていくのをみてから、私も目の前の机に立てかけられているファイルに手をかけた。最初のファイルには村で配られている案内表や定期通信のようなお便りなど、特段目を通す必要のなさそうなものばかりが入っていた。それでも、何も知らずに私達は十七年もの間生きてきたのだ。どこに必要な情報があるかは見なければ分からない。だから、ページを捲るしかないと、指先に力を込めていた時だった。


「新奈っ!!」  


 職員室の一番奥にある三島の部屋から湊の声が聴こえて私は急いで向かった。湊の放ったその声色からただ事ではない予感がしたのだ。部屋に入ると、湊は机の上に置かれた黒いファイルを目にしながら呆然としているようにみえた。


「湊、どうしたの?」


 そう呼びかけると、湊はゆっくりと持ち上げた右手を使ってそのファイルを私にみえるようにと向きを変えた。微かにその指先が震えているようにみえたけれど、私はその理由を尋ねないままに言われた通りファイルに目を落とした。


 私の顔写真、名前、年齢、と続く情報の下には概要という欄があり、『齢四歳にして血液中に抗体反応あり、よって大城新菜をαアルファとする』という文言が書かれていた。一体これが何を意味としているのか私には理解出来ず、読み飛ばすことにした。更に読み進めていくと、私が最も求めていた情報が書いてあった。家族構成という欄があったのだ。


「父親の名前は、大城隆二おおしろりゅうじ。お母さんの名前は、大城佳代おおしろかよか」


 一人ずつ、私は名前という情報からその存在を確かめるように声に出して読み上げていった。だが、父親、母親、と続き、更にその下にある続柄という文字の隣にあるそれに目を向けた瞬間、私は言葉を失った。全身の力が一気に抜け落ち、冬枯れし始めた枝から枯れ葉が舞い落ちるように、私はゆっくりと地面にしゃがみ込んでいた。


「ねぇ湊……嘘だよね? ここに書いてあることって嘘だよね」


 私は目の中にたっぷりと水を溜めながら、そう訴えかけた。何故泣きそうになっているのだろう。自分でもその理由が分からなかった。そんな私をみながら、湊は「いや」と呟いた。それから「住所も同じだったよ」と続けた。私は目の前で突如知らされた真実を必死に受け入れようと、少しでも涙を溢さないようにしようと、天井を見上げた。


「俺と新奈は、双子の兄弟だ」


 湊がその言葉を放ったその瞬間、私の頬をつぅっと涙が伝った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る