第16話

 施設の中へと足を踏み入れるとすぐに沙羅が私の元へと駆け寄ってきて、「あのね」と「ごめん」という言葉が闇の中で交差した。先に謝罪の言葉を口にしたのは私だったから、そのまま目を見て言う。


「沙羅、ごめんね。今日の私はどうかしてたと思」


 言い終える少し前に、唐突に腕を掴まれて言葉を遮られた。


「ちょっと待って!言い過ぎたのは私なんだから、先に謝らせて。新奈、ほんとにごめん! 私、絶対新奈のこと傷つけたよね。いや、っていうかずっと傷つけてたんだよね? あー頭の中でちゃんと文章組み立てたのに全然纏まらないや。言いたいことは沢山あるんだけど、とりあえず部屋の中に戻らない? 私もう一時間くらい外にいるから寒くて凍えそう」


 薄暗い闇の中でも、沙羅の身体が小刻みに震えているのが分かった。きっと施設中を探し回ったあとにそれでも私がいないから外にまで出てきて私のことを待っていてくれたのだろう。早く戻ろう、と声を掛けて足早に自分達の部屋へと戻った。


「ごめん!」


 部屋に帰るなり、沙羅は頭を下げてきた。何度も。その度に私も謝罪の言葉を口にした。感情的になってしまったのは私も同じで、何よりも私は自分の沈みこんだ気持ちや、やるせなさのようなものを、全て沙羅にぶつけてしまったのだ。言葉は投げかけなかったとしても、態度で私は傷つけた。


「今朝のことは私がきっかけを作っちゃったようなものだし、お互いに感情的になってしまったってことでもう忘れよ?」


 だから、この言葉を口にした。本心だった。だが、微笑みかけて机の上に置かれている沙羅の手の上に自分の手を重ねようとした時、沙羅が廊下にまで響き渡るのではないかという程の大きな声で「よくない!!」と叫んだ。


「新奈、ずっとひとりで耐えてきたんでしょ?皆が雪が降る日に記憶を忘れて、自分だけがその日のことを覚えてるなんて、そんなの私だったら耐えられないよ。それに私は気付いてあげられなかった。ずっと傍にいたのに気付いてあげられなかった」


 小さな背中が大きく震えていくのを私はぼんやりとみていた。沙羅が放った言葉の意味を咀嚼して胸の中に落とし込むまでに時間がかかった。遅れて、え、という声が零れ落ちていた。


「沙羅、私の話を信じてくれるの?」


 望んでいなかった訳じゃなかった。いや、心から望んでいた。だが、この村で雪の妖精の存在を当たり前のように信じている沙羅には、いつものように変なことを口にしてごめんと頭を下げるつもりでいた。でも、私の心の奥底では、もうひとりの私が必死に叫び声をあげていた。他の誰かではなく沙羅だけには私の置かれている状況を分かっていて欲しいという願いを私は胸の中でずっと聴いて生きてきたのだ。


「当たり前じゃん!」


 私の鼓膜に触れたのは強い意志が込められているような、芯のある声だった。


「なんで? だって、沙羅も他の人達と同じように雪の妖精がいるって信じてたんじゃないの?」

「信じてた……でも、新奈が嘘をつく意味なんてないから。私、新奈が部屋を飛び出してからずっとひとりで考えてた。新奈がなんであんなことを言ったのか、どんな気持ちでそれを口にしたのか。いろんなことを考えている内に頭の中がぐちゃぐちゃになって訳分かんなくなったんだけど、一つだけ私にしか分からないことがあるって気付いたの。どの季節も私は新奈の隣りにいて、ずっといろんな表情をみてきて、いつも疑問に思ってた。どうして冬の間だけ、いや冬が始まる少し前からこんなに気持ちが塞ぎ込んでしまっているんだろう、って。それから冬の間ずっと虚ろな目をして窓の向こうをみていた新奈の姿を思い出した時、もう涙が止まらなくなってた。他の季節はいつも明るい新奈が、冬の間だけ気持ちが沈む。それは雪が降るからでしょ? 皆が、雪が降る日にだけ記憶を無くしてひとりになるからなんでしょ? 新奈がそんなことで嘘をつく意味なんて、どれだけ考えても私は思いつかなかった。だから私は、新奈を信じるよ。ほんとにごめんね……私気付いてあげられなかった。許して」


 言い終えて、身体を抱き締められた時には、私は嗚咽を漏らしていた。他の誰でもない、沙羅にだけは分かって欲しかったことを、やっと理解して貰えた。沙羅、お願い。私のことを忘れないで。その悲痛な叫びは声に出すことすら許されないと思っていた。言えば、私はこの村の中でおかしな人間だという烙印を押される。そうなれば一年を通して孤独を向き合わなければならなくなるかもしれない。それが何よりも怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。


「……ありがとう」


 今の私の心からの声を、時折声をつまらせながらも、何度も言った。背中に回されている手が少しずつ強くなり、「新奈、ごめんね」と潤んだ声が鼓膜に触れて、私は声をあげて泣いた。

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