第13話

 外に出ると、橙色にうっすらと青みの混じったグラデーションがかかった綺麗な空が頭上に広がっていた。空気は澄んでる分だけ冷たくて上着を羽織って来なかったことを後悔した。沙羅と言い合いになって突発的に部屋を飛び出したものだから、今の私は上はニット一枚に下はスウェットというよく分からない出で立ちだった。


 足を進める度に、きゅっ、きゅっ、という降り積もったばかりの新雪を踏みしめる音が鼓膜に触れる。足元に目を向ければ、その雪の白さが普段よくみる螺旋階段や白い部屋を私の頭に思い起こさせる。考えるから駄目なのだ。おかしなものをみたり、聞いたりしてしまうものは、余計な事を考えるからだ。私はそこから舵を切るように、運動場を歩きながら沙羅のことだけを考えるようにした。


 沙羅は、私にとってのひかりそのものだった。子供の頃から共に施設で育ち、どんな時だってその持ち前の明るさで、深い海の底へと沈みこんでいくかのような心境で生きてきた私の心を照らし、手を差し伸べてくれたのは沙羅だった。


 自分の恋愛対象が男の子ではなく、女の子だと気付いたのは、十四歳の時。十五歳の誕生日を迎えるまでは施設の外にほとんど出ることが出来ない、まるで水槽のような小さな世界で暮らしてきた私達にも、勿論色恋沙汰のようなものはあって、時折誰々と誰々が付き合ったらしいよという噂が食事時などに流れてきた。でも、私には男の子を好きになるというイメージがうまく分からなかった。人から聞いた話や村の中で時折みる寄り添って歩く夫婦というもののかたち、男と女の身体の違いから、なんとなくやんわりと男と女が想いを寄せ合うのだろうと漠然としたイメージは湧く。けれど、それから派生する恋や愛のかたちというものを自分の中にもどこかにないかと探してはみたけどそれはどこにもなくて、無理して作ろうとして出来上がったものはあやふやな輪郭で、それは恋や人を好きになるという感情と呼んでもいいのすら分からない出来栄えだった。


 沙羅には言っていないが、実は湊と私は一日だけ付き合ったことがある。それより前から湊に好意を抱かれていたことには私も気付いていて、昼食を取り終えたあと食堂を出てすぐにある階段の踊り場に呼び出され、私は告白された。湊のことは私も人として好きだった。だから、二つ返事にいいよと言って差し出された手を私はそっとにぎりしめた。でも、人を好きになったことがない私が、人を好きになるという感情を知りたいと思って、深く考えずに付き合ってしまったことを、その日の夜には後悔した。どう頑張っても湊を異性として好きだという感情を自分の中から見つけ出すことが出来なかったのだ。もしかしたら私は雪のせいで心が壊れてしまい、人を好きになることが出来ないのかもしれない。そんな私とずるずる付き合い続けても湊は幸せにはなれないし、傷付けた結果以前のような関係にすら戻れないかもしれない。別れるなら早いほうがいい。そう思い、翌日には別れを告げた。湊は、なんてことない顔をして笑ってくれたが、瞳の奥に悲しみの色が宿っていたことを私は今でも覚えている。


 でも、それから一年が経ち十四歳の誕生日を迎えてから数日がたったある日、いつものように眠りにつこうとしていると、沙羅が「寒くて眠れないから一緒に寝させて」と言って、二段ベッドの上の階から降りてきた。一つの枕に二人で頭をのせ、ショートパンツの先から伸びた沙羅の素足が布団に入るなり私の足に絡みついてくる。私はスウェットの長ズボンを履いていたのだけれど、その肌の感触が服越しにでも分かった。その瞬間、私の鼓動はゆるやかに騒ぎ立てた。小さな、とても、小さな変化だった。沙羅と同じ布団で寝る事は初めてではない。まだ身体の小さかった頃は、それこそ毎日のように一緒に寝ていた。けれどお互いにベッドが与えられてからは、そんな機会は無かった。布団は一つのまゆのようだった。その中で私は確かに沙羅の体温を感じた。一つの繭の中に、体温を発する二つの身体と脈打つ二つの心臓がある。艶のある黒い髪から放たれる甘い匂いが夜の匂いと溶け合って、沙羅の息遣いが肌に触れる。少しずつ、ほんの少しずつ、心臓の波が大きくなっていった。


 以前から、沙羅のことは人として好きだった。私にとっての沙羅はひかりそのものだったし、人として好きなのは湊と同じだ。そう思ってた。けど、そうじゃなかった。「ねぇ、沙羅。私も寒いからもっと近くによってもいい?」意識とは無関係にその言葉が溢れており、身体を寄せると心臓が大きく跳ねたのだ。もっと、近くに。もっと、触れたい。もっと。もっと。胸の中で熱を持ち始めた気持ちが途端に溢れかえり、その時になって私は初めて気付いた。あぁ、私は女の子が好きなんだ。それから、私は沙羅のことが好きなのだと。あとになって沙羅自身も私のことを恋愛対象としてみてくれているという事を知り、私達は付き合うことになった。私は、昔から湊にだけは嘘をつきたくなくて、隠すことすらも嫌で、自ら告げた。罵声を浴びさせられても仕方ないと思っていた私に、湊は「そっか、良かったよそれで。俺にとっては二人とも大切な人だから」と言ってくれたのだった。

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