第31話 これからの歌 千首
帰還の報告を直接うけたマンヨウ王はヨロズハの瞳をじっと見つめ返した。そして目だけ動かしてアイイロ、オウドと目を合わせた。最後にヨロズハに視線を戻すと、冠を正した。
「よくぞ戻った。後ろの二人もヨロズハを助けてくれたのだろう。建物に入れ」
マンヨウ王はそう言い残すと部下二人を残して踵を返した。少しずつ小さくなっていく王の背中。王が王宮の扉を閉めると、オウドが愚痴る。
「なんだ?ヨロズハ歓迎されてないのか?」
ヨロズハは首を横に振る。マンヨウ王の口ぶり、声色そして表情からマイナスの感情は微塵も感じていなかった。彼女がマンヨウ王の声色から読み取ったのは賛辞だった。ただ褒められるようなことはしていない、それが彼女の中で疑問だった。
三人は王の部下たちに続いて門の敷居を跨いだ。風がそよいだのにヨロズハは幼き日を一瞬思い出した。朱の髪一族がまるごと王宮に引き入れられたときの感覚だ。
ヨロズハが王宮から出立した時は青々と茂っていた木々や茂みも茶色が目立つようになってきている。草むらを移動する虫達の気配もない。
そんな変化を横目で感じながらヨロズハはいよいよ扉の前についた。
ここまで三人を先導した大柄な武官の男は取手に手をかけると、ニカリと笑って言った。
「ヨロズハ。マンヨウ王は寂しがってたぞ」
茶化すようにそういわれ、ヨロズハは頬が緩みそうになった。分厚い木の扉が開けられる残り二枚扉を開ければもうそこは王がいつも会議で使う大きな広間だ。
マンヨウ王の部下二人はそこで立ち止まり、ここから先は三人のみで行くように伝えた。ヨロズハは胸に手を当て、息を深く吸い込んだ。胸が高鳴る。首筋に汗が伝う。
そんな様子にアイイロはヨロズハの肩に手を置いた。
「飾らなくていいんでしょ。どうせ王の前なんだから見透かされるわよ。言葉で向き合うのはあなたの得意とするところでしょう」
オウドが同調した。
「あの王様がすげぇのは一目見てわかった。でもヨロズハが胸を張れない相手じゃねぇだろ」
三人は最後の扉まで進んだ。朱色の扉だ。花の紋様が刻み込まれている。ヨロズハが取手に手をかけると、扉は一人でに開いた。
中は荘厳が建物の形をしたような内装だった。大きな格子窓から陽光が刺し、石の床照らしている。高いところには王座の置かれ、その周り、一段低いところに椅子が並べられていた。
ヨロズハは最初王座を見上げた。しかしそこにはマンヨウ王の姿はない。ヨロズハが少し目を丸くしていると、右端の方から声が聞こえた。
「こちらだ。そこらの椅子に掛けよ」
マンヨウ王は冠を被り、正装だ。いつもと違うのは王座ではなく、臣下の座る椅子に座っているということだ。
最初戸惑ったが、ヨロズハは言われた通りにマンヨウ王の向かいにある椅子に腰掛けた。
一方オウドはそれに続こうとしたが、アイイロに止められる。アイイロはオウドを連れ立って王とヨロズハから少し離れた椅子に腰掛けた。
視界の端でアイイロ達が着席したのを見計らったかのように、王は口を開く。
「どんな歌が集まった?」
各地を回り、人々の暮らしや思いの乗った歌を集めてくる。それが任務だ。ヨロズハは胸を張ってたくさんの木簡を取り出した。十数枚にも及ぶそれを、マンヨウ王は受け取り、興味深げに眺めた。
「ほう、木こりの歌か。なるほど、この木こりは家族を養っているのか。全身全霊で木に向き合っているのが伝わってくるな。専門職の民はやはり仕事に誇りを持っていると見える」
「はい。その男は私が会った中で一、ニを争う穏やかな人物でした」
マンヨウ王は満足げに笑うと、一つの木簡に眉を吊り上げた。ヨロズハはその木簡に何が書かれているかすぐに分かった。今度はマンヨウ王が口を開く前にヨロズハが説明する。
「その木簡は親友の一人が踊りを表現したものです。踊りの民は言葉では表さないのです。私が踊りで表現をしないように……」
「ほう」
「私はこの旅でかつての自分の視野の狭さを痛感いたしました」
「ふむ。続けるのだ」
「でも人々はそれぞれに誇りや思想を持ち、懸命に生きている。そこに得手不得手、領域の違いはあれど、上下はない。お互いに影響を与え合って保たれている。齢十六にして……やっと気がつけました」
マンヨウ王は穏やかな顔でそれを聞いていた。髭を撫で、冠を正すと、ゆっくりと腰を上げた。丁寧に歩き、王座まで登った。王の行動を前にして、ヨロズハは自分が何をするべきか分かっていた。彼女も立ち上がり、一段高いところで王座に座るマンヨウ王の下に跪いた。
マンヨウ王が口を開く。
「大義だ。ヨロズハ。お前は世間を知った。人を知った。繋がりを知った。もうワシを盲信するだけではない……褒美をとらす。お前は何を望む」
一気に空気が張り詰めた。ヨロズハは切り出すのを躊躇した。王宮を出たい、それをここで言っていいものか。
ヨロズハは跪きながらチラリと振り返る。アイイロとオウドが見えた。その後ろにはもっと多くの人が見えた気がした。ヨロズハは目頭に熱いものを感じつつ、微笑んだ。そしてマンヨウ王の瞳を見つめ返した。
「マンヨウ王様。私は王宮を出たく思っております」
「……それが望みか」
「はい。人の繋がりや誇りをもっと知りたく、もっと歌いたく存じます」
「わかった。ワシはそれを許す。ただ三つ頼まれてくれぬか」
ヨロズハは少し目を丸くする。王宮を出る自分に対する願いとは何なのか。
「な、何でございましょう」
「体と喉に気をつけよ。友人や恋人を大切にせよ」
ヨロズハは胃から、胸に、喉に、そして目頭にマグマが込み上げたような気持ちになった。それは雫となって目から伝う。一度流れたらもう止まらなかった。王の前で失礼だとは思いつつも、泣き止むことは出来なかった。
王は呆れたように笑うと、王座から立ち上がり、泣きじゃくるヨロズハの元へとやってきた。冠を外し、懐にしまうと、ヨロズハの朱色の髪の上にポンと手を置いた。
「大きくなりおって。泣くな。まだ最後の頼み事が残っておる」
「は、はい……ぐ……えぐっ……何で……しょ……うか」
「感謝する。ワシからのこの言葉を忘れるな」
ヨロズハは涙を拭い、王を見つめ返す。そして喉の痛みを感じながら答えた。
「承知しました。マンヨウ王」
ふとキー、という声がする。ゴシチとシチゴがヨロズハの方へと弓矢のような速度で飛んできた。
「ゴシチ、シチゴ。お前らアマスベクと一緒にいるんじゃ……」
「相棒だろう。連れて行け」
マンヨウ王はふと思い出したかのように手を叩いた。そしてイタズラっぽく言った。
「まだまだ少し向こうみずであろう、ヨロズハは。こやつを頼んだぞ。ゴシチ、シチゴ。それと……友人達」
アイイロはオウドの頭を押さえつけながら、自分の頭を深々と下げた。
目元を擦りすぎて赤くなっているヨロズハはマンヨウ王に向き直る。王は冠を懐にしまったまま、彼女と相対した。
「ありがとうございます。マンヨウ王。拾っていただいた御恩、旅を許していただいた御恩、一生かけて感謝をします」
「うむ。これからも歌えよ。ヨロズハ」
ヨロズハは歯を見せ、満面の笑みで答えた。
「はい!」
木簡に記すのは キューイ @Yut2201Ag
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