(四)欄干の台座に獣面が彫られた階段と、池の美しい石の夢

 三つ目の夢で再び仕事の話に戻ることになる。

 前述したように職を転々とし、三十代後半になって遅ればせながら深い後悔を味わいはじめた。もう「生活できれば仕事はなんだっていい」「長く勤められるところだったら」と言いつつ、それがなかなか叶わない。年長の人と知り合うと、「そんなに仕事変わって大丈夫?」「辛抱が足りんのやないん?」と心配や説教をもらうこともしばしば。

 やがて大学時代の友人の紹介で八歳年上の男性と交際するようになった。中学校の技術科の教師で、「女性に興味がなくてほとんど交際したことがない」「仕事以外どうでもいい。空気のように生きてる」などとのたまう変わり者だった。ある年から離島の中学校の勤務となり、海に面するM市から船で通っていた。私は相も変わらず仕事のことで悩んでいたし、一か月ほど連絡を取り合わなくてもお互い平気という気楽さだったが、私が家具の組み立て工場の仕事で腰を痛め二か月くらいで辞めることになった四十二歳の冬、こんな会話があった。

「今のアパートが好きじゃないから引っ越したい。できれば港の近くに。なんだったら結婚してもいい」

「あなたがそれでいいなら、こっちは別にいいけど」向こうも向こうだが、私の返事もヒドイもんである。M市で仕事を探すか……。

「おれの知り合いが言ってたんやけど、K町の私立の中高一貫校が情報科と厚生科の指導員を募集してるって。教員免許持ってないやつもクラス担任をやらされてるらしいから、仕事はハードかもしれんけど、自由な学校で雰囲気はいいらしいよ。M市からやったら近いし、結婚するにしろせんにしろ、君もM市に来ればいい。いっちゃん、パソコンできるよね? その学校はWindowsウィンドウズのタブレット使ってて、情報科はクラブ活動も──」

「いや、それなら厚生科の方でしょ? 免許持ってない方に応募するって何事よ」

「夜間のビジネス講習でパソコン習ったって言ってたから、いいかと。厚生科は嫌なんやろうと思って」

「それ、結構後悔してるの。やっぱり教授の言ったとおり別の学校に勤めときゃよかったのかなって。あのときは学校には絶対戻らん! の一点張りやったから。……あなたは専門だからできるだろうけど、WindowsだろうがChromebookクロームブックだろうが中高生に情報教えるなんて私には無理よ」

「ま、厚生科で応募してみたら? 腰治るまで引っ越しは待った方がいいかな。でもおれは早く引っ越したいから部屋を探してくれると助かる。ついでにおれの荷物もまとめといてくれたら」

「自分でなに言ってるかわかってる?」


  

 再び校舎に足を踏み入れることになろうとは。何度目の就職活動、面接か。しかし一般企業とさほど変わりはない。校長も一般企業出身の気さくさを全面に出した感じのいいタイプで、指導員として春を待たずにすぐに入ってほしい、とのこと。厚生科の応募者は私のほかに二名いて、年齢(若さ)ならば私の勝利、経験で負ける──といったところだった。


 その夜、印象的な夢を見た。階段は階段でも神社で見かける石段のようなものが登場し、のぼる行為ではなく景色がクローズアップされている気がした。

 欄干の台座には獣面が彫られていた。それは外側を向いていて、狛犬みたいに見えた。それをのぼると、一面に水を張った池のようなところに着く。先へ進むための道も橋もない。あくまでその池を観賞するためのスポットらしい。真ん中に水面から顔を出している円形の石があった。一番、感慨に打たれたのがその石で、表面がところどころ苔で緑色になっていて、そのほかは浅いくぼみに水を湛え、空の色を映している。「地球みたい」と心でつぶやいた。緑と青──そういう色合いだった。うっとり眺めていると、後ろから親子連れがのぼってきたので、その人たちに場所を譲るために私は体をどかす。


 それだけの夢だったが、朝目覚めたとき、やわらかな気持ちに満たされた。特にこれといったストーリーもない映像で安らぎを得るような夢である。良い予感だと読み取り、私は「仕事、うまくいくかも」と思った。「もし採用されなくても、きっと別のいいところが見つかるはず」だと。その一週間後に採用の連絡をもらった。


 現在も、その中高一貫校で働いている。最後の職場になるといいなと思う。いつまでもたわいない夢に引っかかったまま過ごすわけにもいかないが、この三つの夢だけは忘れられないのである。



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自分の夢だから頼りにしてしまうのかもしれない 崇期 @suuki-shu

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