★ 消えた令嬢、2つの真似事

 ルイシャムの大通りに面した高級仕立て屋『マダム・ローズ』の前で、フィアーが腕を組んで店の看板を見上げていた。


 隣ではラズリーが、アオザイの裾を跳ねさせながらショーウィンドウに顔を近づけている。


「わぁ、このドレスすてき! 今度のパーティーに着て行きたいな」


「パーティーだと? 誰が友達のいないおまえを招待するんだ?」


「べーっ! フィアーだって高校の卒業パーティーに呼ばれなかったくせに!」


 フィアーはぐいっと中指を立て、ラズリーはぺっと舌を出して応戦した。ひとしきり暴言を投げあった後、2人は仲良く『マダム・ローズ』のドアを開けた。カランカランとベルが鳴り、上品な香水の匂いが漂ってくる。


 店内には、若い女性が一人、カウンターの前で険しい表情を浮かべていた。長い桃色の髪を丁寧に結い上げ、流行の夜会風ドレスを身に着けている。


 彼女は2人に気づくと、スカートの裾を軽く持って優雅に一礼した。


「ようこそ当店へ。フィアー探偵事務所の方でしょうか?」


「その通りです。俺の名前はフィアー。隣にいるのは、友達が1人もいないラズベリーです」


「いえ、違います。私の名前はラズベリー。隣にいるのは、高校のパーティーに呼ばれなかったフィアーです」


 2人は互いの欠点をなじって口論し始めた。若い女性は、少し戸惑った様子で不毛な争いを聞く羽目になる。


 やがて、店内は静けさを取り戻した。若い女性は2人と握手を交わすと、少し真面目な顔になって言った。


「わたくしは『マダム・ローズ』の店主、クラウディアです。亡き父よりこの店を受け継ぎ、経営しております。電話でお話しした通り、わたくしの妹のことでお力をお貸しいただきたいのです」


 クラウディアは2人を店の奥の応接室に案内した。革張りのソファに腰を下ろすと、彼女は膝の上で手を組んで話し始めた。


「妹の名前はヴィクトリアと申します。3日前から行方がわからなくなっておりまして」


「警察には届けを出しましたか?」


「ええ、もちろん。でも、担当のリムリック警部も手を焼いているご様子で……それで、ロンドンで評判の探偵にもお願いしようと思いました」


 あからさまなお世辞にも関わらず、フィアーは心底嬉しそうに口角を持ち上げた。たばこに火をつけると、インテリを気取って静かに煙を吐き出す。


「妹さんが消える前、何か変わったことはありましたか?」


「はい。……実は、妹は2週間ほど前から、急に屋敷のメイドとして働き始めたんです」


「メイド?」


 ラズリーが目を丸くすると、クラウディアは小さくうなずいた。


「わたくしたちは、ウィンターボーン邸に住んでおります。父が亡くなってから、わたくしと妹の二人暮らしでした。ところが妹は突然、『メイドの仕事を学びたい』と言い出しました。執事のブレイクに頼み、妹は使用人として働き始めたのです」


「家主が自宅で下働きを始めたと。ずいぶんと変わった趣味ですね」


「わたくしも止めましたが、妹は聞きませんでした。そして3日前の朝、妹は自室から姿を消したのです。部屋には『ごめんね』とだけ書かれたメモが残されていました」


 フィアーは空きビンをチリンチリンと鳴らしながら考え込んだ。


「執事のブレイクは、失踪した妹さんについて何と言っていましたか?」


「それが、よくわからないのです。なぜなら、妹が失踪した日、ブレイクもまた姿を消したからです。まるで駆け落ちのように……」


 クラウディアの目が潤んだ。ラズリーは慌てて彼女の手を取った。


「泣かないでください、クラウディアさん。大丈夫、私がついてますから。依頼はフィアーに任せて、私たちはここでゆっくりしましょう」


「おまえは、『名探偵の仕事』を学ぶべきだな」

 

 ラズリーは「やなこった」と言わんばかりに、ぺっと舌を出した。


 ◇ ◇ ◇


 その後、3人はハイゲート地区にあるウィンターボーン邸を訪れた。立派な門の奥には、広大な庭園と石造りの屋敷がそびえ立っている。


 玄関につくと、クラウディアが改めてフィアーたちを出迎えた。


「まずは、こちらまでご足労いただきましたことを、ウィンターボーン邸の女主人としてお礼申し上げます。まずは、お二人を妹の部屋へご案内しましょう」


 彼女は二人を2階の最奥の部屋へと案内した。部屋は整然としており、ベッドの上には一枚のメモが置かれていた。


 フィアーは目を細めてメモを眺めた。


「確かに『ごめんね』とは書いてあります。しかしながら、ずいぶんと短いメモですね。文面は他にありますか?」


「いえ、これだけです。ですが、わたくしはこの一言で妹が駆け落ちしたことを察しました。筆跡も妹のものに間違いありません」


 ラズリーが部屋の中を見回していると、クローゼットの中から何かが落ちた。拾い上げると、それはメイド服の一部だった。


「このワンピース、かなり新しいですよね?」


「ええ。妹がメイドになると言い出してから、新調したものです」


 フィアーは窓の外を眺めながら言った。


「執事のブレイクについて、もっと詳しく教えてください」


「ブレイクは10年前から、屋敷で働いております。今年で28歳、とても真面目で頼りになります。背は高く、声は低く、落ち着いた性格です。妹がメイドになりたいと言ったとき、最初は反対していましたが、最終的には折れて指導してくださいました」


「執事の写真はありますか?」


 クラウディアは申し訳無さそうな表情を浮かべて首を振った。フィアーは舌打ちしてから話題を変える。


「執事の部屋に案内していただけますか?」


「では、1階の使用人部屋に行きましょう」


 クラウディアに案内されて、フィアーとラズリーは1階の質素な部屋に入った。ここもまた整理されており、机の上には日記帳が一冊置かれていた。


 フィアーはページをめくった。日々の業務が丸みのある筆跡で記録されている。だが、2週間前から記述が変わっていた。


『お嬢様のメイド訓練を開始。彼女の熱意には感心するが、令嬢がこのような仕事をすることに、やはり違和感を覚える』


『お嬢様は電話応対の練習を希望された。奇妙な要望だが、嫌な気分にはならない。私の声真似をするお嬢様の姿が、可愛らしいからだ』


『お嬢様の声真似が、驚くほど上達している。まるで私が話しているかのようだ』


 フィアーは日記を閉じると、クラウディアに向き直った。


「声真似ですか。なぜ、妹さんは執事に突然こんなことを?」


「わかりません……ただの遊びかと」


「そうでしょうか? 家主が電話応対の練習をするのは珍しいと思います。電話に出るのは使用人にまかせておけばいいのですから」


 その時、玄関のベルが鳴った。クラウディアが玄関を開けるやいなや、リムリック警部が入ってきた。


 彼はラズリーを見つけると、顔をほころばせた。


「やあ、ラズベリーちゃん。ここで会うとは奇遇だね」


「こんにちは、リムリックさん! この事件の担当なんですね!」


「そうだよ。これが私の仕事だからね。……おや、フィアーもいるのか。まあ、予想はしていたよ。事件があると、君は勝手に首を突っ込んでくるからね」


 フィアーは不愉快そうに首を振って返した。


「俺様を差し置いて最初に小娘に話しかけるとは……さてはおまえ、ロリコンだな?」


「馬鹿を言うな。信頼できる順番にあいさつしているだけだ」


「友達のいないやつと、部下のいないやつとで、仲良くしておけよ」


 リムリック警部は皮肉めいた笑みを浮かべながら、フィアーの暴言を一言一句書き留めた。その後、ページをめくって事件の説明をする。


「ヴィクトリア嬢の行方について、新しい情報が入った。3日前の朝、ルイシャム駅から列車に乗ったのが目撃された」


「行き先は?」


「ブライトン方面だ。一方で、ブレイクについては何も。この屋敷に写真が1枚もなくて、捜査が難航しているんだ。クラウディア嬢の証言が頼りだが、いかんせん骨が折れる」


 フィアーはたばこを吸いながら、じっと考え込んだ。


「ブレイクとヴィクトリア嬢が一緒にいるところを目撃した者はいなかったか?」


「目撃されたのはヴィクトリア嬢だけ。ブレイクは影も形もない。私は、2人が別行動をしてブライトンで合流するものだと考えているんだ」


「ま、その説もあるな。俺は別のルートを睨んでいるが」


 フィアーは、クラウディアに向き直って尋ねた。


「この3日間、執事から連絡はありましたか?」


「いいえ、何も」


「電話もありませんでしたか?」


「ええ……あ、待ってください。一度だけ、ブレイクから電話がありました。『急用で実家に帰る』と」


 フィアーは興味深そうに片眉を持ち上げた。


「連絡はいつありましたか?」


「失踪した当日の昼過ぎです。わたくしが電話を受けました」


 フィアーは空きビンをチリンチリンと鳴らすと、何かを思いついたかのように早口で尋ねた。


「ではお尋ねしますが、その電話は本当にブレイクからでしたか?」


「ええ。間違いありません。あの人の声は特徴的ですから、屋敷の者ならすぐにわかります」


「そこが盲点なのです」


 クラウディアは怪訝そうな表情を浮かべて尋ねた。


「盲点とは、どういう意味でしょう?」


「この事件の真相がわかった、という意味ですよ!」


 ◇ ◇ ◇


 フィアーはたばこをくわえると、室内をゆっくり歩き回りながら続けた。


「あなたは、妹のヴィクトリア嬢が失踪したと言いましたが、これはウソですよね?」


 クラウディアは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに優雅なほほ笑みをフィアーに向けた。


「いえ、失踪しました。だからこそ、わたくしはあなたに連絡を入れたのです」


「誤魔化さなくても結構ですよ。ヴィクトリア嬢は俺の目の前にいるのですから」


 その場が凍りついた。ラズリーは目を丸くして、フィアーとクラウディアを交互に見やる。


「えっ、どういうこと? この人は、クラウディアさんじゃなくてヴィクトリアさん?」


「そういうことだ」


 クラウディアは首を横に振って反論した。


「何をおっしゃっているのですか? わたくしはクラウディアです!」


「いいえ。あなたはヴィクトリア嬢です。3日前に出ていったのは、姉のクラウディアであり、あなたは姉の真似事をしているのです」


 リムリック警部は、フィアーの説明を手帳に書きつけながら尋ねた。


「面白い意見だ。推理を続けてくれ」


「俺が最初に気になったのは、執事ブレイクからの電話でした。クラウディア……いや、ヴィクトリア嬢は、失踪当日に執事から電話があったと言いましたが、その論拠は『特徴的な声の低さ』になっています。ですが、この声を使える人は、もう一人います。ブレイクの声色を練習した『お嬢様』です」


 フィアーは空ビンをチリンチリン鳴らしながら続けた。


「日記には声真似を練習している『お嬢様』のことが書かれています。しかし、彼女の正体はどこにも書かれていない。だからこそ、俺たちは彼女のことを、失踪した妹ヴィクトリアだと思いこんでいたのです」


 ラズリーは怪訝そうな表情を浮かべてフィアーに尋ねた。


「でもさ、ここにいるのはヴィクトリアさんだよね? つまり、失踪したのは姉のクラウディアさんで、電話をかけてきたのもクラウディアさんってこと?」


 フィアーは静かにうなずいてから、ラズリーに返答した。


「ああ、そうだ。俺たちが案内された部屋は、2階の最奥だ。普通、最奥にいるのは屋敷の主――すなわち、女主人であるクラウディアの方だ。ヴィクトリアは、姉クラウディアの部屋を、失踪した妹の部屋として俺たちに紹介したんだよ」


 フィアーは、目の前の娘を見据えて丁寧な口調で続けた。


「あなたがヴィクトリアである証拠は他にもあります。あなたが見つけたメモですが、『ごめんね』という短文では人間の筆跡は決められません。にも関わらず、あなたは断言した。なぜなら、あなた自身がこのメモを書いたからです」


 目の前の娘は、それ以上話を聞きたくないとばかりにうつむいた。しかし、フィアーはわれかんせずとばかりに、推理をペラペラと続ける。


「姉クラウディアがなぜメイドの真似事を始めたのか、についても説明しましょう。メイドになることで、ブレイクと少しでも長い時間を同じ場所で過ごしたかったからです」


 ラズリーはぱっと手を上げてフィアーの説明を中断する。


「ちょっと待って。その説明、おかしくない? だって、クラウディアさんとブレイクさんは、女主人と執事の関係でしょ? 好きなだけ一緒にいられるし、その気になれば結婚だってできると思う」


「主従関係としては、好きなだけ一緒にいられる。だが、恋愛関係としては不可能だ。なぜなら、ブレイクはだからな」


 ラズリーは、ハッとした様子で身を引いた。彼女の頬はみるみる赤くなっていく。


「えっ!? そ、それって……女性が女性と付き合ってるってこと?」


「そういうことだ」


 フィアーは、1階のブレイクの部屋を指さしながら続けた。


「ブレイクの日記に書かれた文字は、女性のように丸みのある文字だった。ブレイクの声は低いが、そういう声質の女性も少なからずいる。むろん、背の高い女性も。そして、『ブレイク』の名前は男性でも女性でも使えるんだ」


「つまり、姉のクラウディアさんはのブレイクさんと恋仲になって駆け落ちした、ってこと……よね?」


 ラズリーは、顔から火が出るほどに恥ずかしそうな顔になると、ぱっと自分の手のひらに顔を埋めた。指先の隙間を少し開き、自分の表情を見られないようにしつつ、ヴィクトリア嬢へと話しかけた。


「あ、あの、すみません……。私一人で騒いじゃって」


「いえ、気にしないでください。わたくしも、姉と執事の関係を知ったとき、同じことをしましたから……」


 ヴィクトリアはゆっくりと顔を上げた。無理してフィアーたちにほほ笑みかけたが、瞳には憂いが浮かんでいた。


「姉クラウディアは、昔からブレイクのことが好きだったのです。父は厳格な人だったため、女性と女性の恋愛など絶対に許さなかったでしょう。そのため、姉はブレイクへの恋心をわたくしにだけ伝えていました。ですが、父が亡くなり、姉はついに行動に出たのです」


 ヴィクトリアは静かに言葉を続けた。


「3日前、姉はわたくしに電話で駆け落ちのことを伝えてきました。姉が低い声の練習をしていたのは、万が一知らない人が電話を取っても、ブレイクだと思わせるようにするためです。一方で、わたくしにとっても問題でした。姉が『女性と駆け落ちした』などと周囲に悟られるわけにはいきませんから。ですので、わたくしは姉の真似事をしながら、姉の居場所を探すことにしました」


 リムリック警部は手帳をパタンと閉じると、少し呆れた口調で詰め寄った。


「ブレイクの写真が出てこなかった理由が、ようやくわかったぞ。女性と女性の駆け落ちを警察に知られないようにするため、君は出し渋ったのだな!?」


「その通りです……申し訳ございません」


「警察をもっと信頼していただきたい。おかげで、何日も無駄足を食ってしまったよ」


 ヴィクトリア嬢は、恥ずかしそうに写真を手渡した。そこに写っていたのは、主従関係を超えた仲睦まじさを見せるクラウディアとブレイクだった。


 ◇ ◇ ◇


 屋敷を出て、フィアーとラズリーは通りを歩いていた。フィアーのポケットには、依頼料が膨らんでいる。


 ラズリーは、ポケットの膨らみをチラチラ見やりながら言った。


「ねえ、フィアー。晩ごはん食べて帰ろうよ。せっかくお金をいっぱい持ってるんだからさ」


「ま、たまには美味いもんでも食うか。どこにする?」


「駅前のレストランがいい!」


 ラズリーは嬉しそうにフィアーの手を引っ張って続けた。


「そういえばさ、あのレストランのウェイトレスさん、双子なんだって。二人とも背格好も声もそっくりで、お客さんがよく間違えるんだって」


「また入れ替わりの話か? 先ほど交換事件を解決したというのに、この始末。言っておくが、一口交換しようと言われてもお断りだぞ。おまえは、俺の好物ばかり奪い取るからな」


「じゃあ、フィアーの料理にキノコが入ってても食べてあげない」


 フィアーはやれやれといった表情を浮かべて両手を広げた。


「どこかの世界に、優しいラズリーはいないものか? 俺が持ってる毒舌の方と交換しようぜ」










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