★ 内に潜むウソの声
午後3時。
フィアーは暇そうに空ビンをチリンチリン鳴らし、ラズリーはミルクたっぷりのコーヒーでアフタヌーンティーを楽しんでいる。
と、事務所の電話がジリリと鳴った。
フィアーは左手で受話器を取り上げると、たばこを吸いながら気だるげに言った。
「こちら、フィアー探偵事務所だ」
『……ああ、良かった。繋がった。私はベネットと申します。屋敷から50ポンドが盗まれまして、フィアーさんに調査を依頼をお願いしようかと思っております』
「つまり、50ポンドを回収し、それをそのまま依頼料として俺のポケットに入れて良い、と。そういうお話ですね? ただちにお引き受け……もしもし。もしもーし!」
フィアーの耳元で電話がガチャリと切れた。フィアーは大慌てで交換局に問い合わせる。
「……オホン。こちらは、世界一謙虚な名探偵フィアーと申します。先程まで連絡を取っていたベネット氏をお繋ぎいただけますか?」
交換手は苦笑いして返事をした後、フィアーの電話をベネット氏の電話へと繋げた。呼び出し音が続いた後、カチャリと受話器を取る音がフィアーの耳に響く。
『もしもし、私がベネットです。……ああ、フィアーさん。電話が突然切れてしまい、申し訳ありません。先ほどつまずいて、自宅の電話線を引っこ抜いてしまったのです。ところで、フィアーさんは最後になんとおっしゃいましたか? 大事なことを聞き漏らした気がしまして』
「……いえ、お構いなく。電話が切れる直前、俺はあなたを褒めちぎっていたのです」
そばで聞き耳を立てていたラズリーは、「うそばっかり」と言いながらフィアーのむこうずねを蹴った。
一方のフィアーも、受話器を片手で持ちながら、もう片方の手でラズリーの足から素早くスリッパを抜き取った。そのまま浴室へとスリッパを投げ捨てる。
ぷりぷりしながら浴室へと走るラズリーの背中に、フィアーは中指を立てた。そして受話器を持ち直し、ベネット氏との会話に集中する。
「屋敷から50ポンドが盗まれた、という話でしたね。状況を教えて下さい」
『昨日の午後です。書斎の引き出しから、50ポンドが消えていました。私は3人の使用人を疑っております。料理人のグリーン、メイドのハリス、それから庭師のテイラー。しかし、証拠がなくて困っております』
「なるほど。でしたら、依頼料は謙虚に5ポンドとしましょう。ベネット氏だけの特別価格です。では、これからそちらに向かいます」
フィアーはチリンと電話を切ると、ポケットに財布を滑り込ませた。ラズリーも靴を履き替えて外出の準備をする。
「ねえ、フィアー。1つ聞きたいんだけど」
「なんだ? はやく言ってくれ。俺は瓶ソーダを選ぶので忙しいんだ」
「ベネットさんへの特別価格だって言ってたけど、うちの依頼料は基本5ポンドだよね?」
フィアーはラズリーに瓶ソーダを押し付け、彼女を事務所から追い出した。
◇ ◇ ◇
ベネット邸は、ケンジントンの静かな通りにあった。大きな屋敷であり、庭には手入れの行き届いた植木が並んでいる。
玄関前では、すでにベネット氏が立って待っていた。50代くらいの紳士であり、身なりも礼儀もわきまえている。
フィアーは人を食った調子で自己紹介をした。
「先程はどうも。俺は謙虚な5ポンド名探偵、フィアーです。隣にいるのは、本日無料の相棒、ラズベリーです」
「……ラズベリーです。はじめまして」
「お二人とも。ようこそお越しくださいました。こちらへどうぞ」
ベネット氏は、2人を書斎へと案内した。重厚な家具が並び、壁には本が詰まった本棚がある。
ベネット氏は机の引き出しを指さして言った。
「金が盗まれたのは、この机に入っていたものです。親戚に送ろうと準備していたものでした」
「何があったかを教えてもらえますか?」
「はい。私は昨日の午後2時頃から、家中を歩き回ってつまらない仕事をしておりました。その間、屋敷には鍵をかけておきましたので、他に出入りはありません。書斎に戻ったのは午後5時。引き出しを開けたところ50ポンドが消えていることに気がついたのです」
ラズリーは、指紋を付けないようハンカチ越しに引き出しを調べた。鍵はなく、少し手に触れるだけで引き出しは簡単に空いた。
「ベネットさん。これなら誰でもお金を盗めちゃいますね」
「いやはや、面目ない。まさか使用人が盗むとは思っていませんでしたから」
ラズリーはくりくりした瞳をベネット氏に向けて続けた。
「使用人たちのアリバイは、どうなっているんですか?」
ベネット氏は視線を落とすと、深刻な表情で続けた。
「料理人のグリーンは、午後ずっと台所にいたと証言しました。メイドのハリスは2階の部屋を掃除していたと主張し、庭師のテイラーは庭で仕事をしていたと言っています。誰かがうそをついているはずですが、誰も口を割りませんでした」
◇ ◇ ◇
フィアーたちは、容疑者の使用人たちから1人ずつ話を聞いて回ることにした。
最初に話を聞いたのは、料理人のグリーンだった。エプロンをつけた40代の女性で、忙しそうに夕食の準備をしている。
「昨日の午後、私はずっと台所で料理をしていました。夕食の準備があったものですから」
「誰かあなたを見た人は?」
「メイドのハリスが、午後3時頃に台所に来ました。お茶を取りに来て、少しだけ談笑をしました。それ以外は、誰とも会っておりません」
2人は調理室から出ると、次にメイドのハリスへ話を聞きに行った。20代の若い女性で、落ち着かない様子で爪先をこすっている。
「私は2階で掃除をしていました。午後3時頃、台所にお茶を取りに行き、10分ほどグリーンさんとおしゃべりしました。その後は2階に戻り、アイロンがけを始めました」
「昨日、あなたは書斎に行きましたか?」
「はい。午前中にベネット様から所用を申し付けられましたので。しかし、午後は一度も入っておりません」
最後に、2人は屋敷を出て庭へと向かった。そこでは、庭師のテイラーがバラの手入れをしていた。彼は日焼けした顔を2人に向けて答えた。
「私は庭で仕事をしていました。最近はずっと、バラの
「誰かあなたを見た人は?」
「私は誰も見かけませんでしたが、他の誰かが私を見たかもしれませんね。バラの垣根に邪魔されて、私からはよく見えないのです」
フィアーたちが屋敷に戻ると、ベネット氏が居間でどこかへ電話をしていた。やり取りはすぐに終わり、ベネット氏は2人に静かに向き直る。
「ああ、フィアーさんたちでしたか。気づかずに失礼。50ポンドを送るはずだった親戚に、送金を待ってもらうよう連絡をしていたのです」
フィアーは壁際の黒い電話機をじろりと見ながら尋ねた。
「こちらの電話は、よく使われている形跡がありますね」
「ええ。仕事やプライベートで大活躍です。しかし、どうも最近は古くなってきたのか、相手の声が聞こえにくかったり、電話線が抜けやすくなっております」
「電話は他にございますか?」
「私の寝室にもあります」
「そちらも見せていただけますか?」
ベネット氏に連れられ、2人は寝室に入った。
室内は清掃が行き渡っており、ベッドの上にはベネット氏のガウンがたたんで置かれていた。隣には居間と同型の電話が設置されていたが、こちらはほとんど使われていない様子だった。
フィアーは電話の側に落ちていた何かをさりげなく拾うと、ベネット氏に話しかけた。
「昨日は、電話を使いましたか?」
「ええ、一度だけ。午後3時半頃に友人のウィルソンから、居間の電話宛に連絡があったのです。彼は出版社に勤めておりますが、今はブライトンに出張しているとのことでした」
フィアーは少しだけ目を細めると、ベネット氏の言葉を聞き漏らさんとばかりに、少し声色を下げて尋ねた。
「その電話、どのくらい話しましたか?」
「5分ほどです。私が受話器を取ってすぐに、彼は私に「ブライトン土産の中で何が欲しいか?」と聞きました。ですが、私は土産物にあまり興味がないので、好きなものでいいとだけ伝えていました。その後、つまらない雑談をして電話を切りました」
「大変興味深いやり取りです」
フィアーは右指をパチンと鳴らすと、そのまま電話機に人差し指を向けて続けた。
「友人のウィルソン氏に、今から電話をかけてもらえますか? 俺の予想だと、ウィルソン氏はやり取りに身に覚えがないと言うはずですよ」
◇ ◇ ◇
フィアーに言われるがまま、ベネット氏は友人が滞在するというホテルに連絡を取った。しかし、ホテルは「ウィルソンという人物は宿泊していない」という一点張りだった。
「そ、そんなはずが……?」
続けて、ベネット氏はウィルソン氏の自宅に電話をかけた。しばらくして、相手先から返事が来る。
『もしもし。ウィルソンです』
「ああ、君か。ベネットだ。1つ聞くが、君はどうして自宅にいるんだい? ブライトンの出張はどうした?」
『出張? いや、出張なんてここ2ヶ月はないぞ』
「待ってくれ。君は昨日、ブライトンのホテルから私に電話をかけて来なかったかい?」
『……何を言っている? 昨日は君に電話をかけたりしてないし、電話を受けたこともない』
ベネット氏は友人としばらく噛み合わない会話をし、静かに電話を切った。彼は不思議そうな表情でフィアーを見やった。
「た、確かにウィルソンは私との会話に覚えがありませんでした。いったいなぜわかったのですか?」
フィアーは黒い電話に視線を向けながら返答した。
「出張中の人間が、忙しい時間帯に
「いや、特には聞こえませんでした。ウィルソン以外の声はありません」
「なるほど、これで俺は確信しました」
フィアーは、左手の小指と親指を立て、受話器のように耳元へと持っていくと、不敵な表情で「ジリリリリ」と言った。
「誰かが別の場所でウィルソン氏の声を真似た、とね」
◇ ◇ ◇
フィアーは居間の電話を指さして尋ねた。
「偽ウィルソン氏から電話がかかってきたとき、あなたはどこにいましたか?」
「ここにいました。電話のベルが鳴って、ここに来たんです」
「居間から書斎までは、どれくらいかかりますか?」
「30秒くらいでしょうか」
「引き出しから物を抜いて立ち去るには、十分すぎる時間ですね」
フィアーは受話器を指でコツコツとたたきながら言った。
「庭師のテイラーを呼んでいただけますか?」
「構いませんが……しかし、なぜ?」
フィアーは窓の奥をじろりと見た。庭師のテイラーがせっせとバラの
フィアーは何食わぬ顔で言った。
「ああ、盗んだ犯人がテイラーだからですよ」
◇ ◇ ◇
ベネット氏に呼び出され、庭師のテイラーが居間にやってきた。彼は土で汚れた手袋をポケットに仕舞って尋ねた。
「ベネット様。いったい何の御用ですか? まだ仕事が終わっていないのですが」
「こちらの探偵さんがおまえに用があるのだよ。正直に答えなさい。いいね」
庭師のテイラーは曖昧な笑みでうなずいた。
フィアーは一歩前に出ると、眉をひそめてテイラーを指さした。
「50ポンドを盗んだのはおまえだろ? ネタは上がってんだよ。さっさと白状しろよ」
ヤンキーのように品性のない物言いを目撃し、庭師のテイラーは少しばかりたじろいだ。
「わ、私ではありません。確かにアリバイはありませんが、他の使用人も同じではありませんか?」
「いや、おまえの条件だけが明確に違う。おまえは、午後3時半に書斎へ侵入して、50ポンドを盗んだんだ」
フィアーは庭師のテイラーに圧をかけながら続けた。
「おまえは、寝室の電話を使って、居間の電話を鳴らした。ベネット氏が出払った隙を狙い、おまえは書斎に侵入して50ポンドを盗んだ。そして急いで寝室に戻り、ウィルソンに扮してベネット氏とうそのやり取りをした」
庭師のテイラーはフィアーの胸ぐらを掴むと、つばを吐き立てて反論した。
「きさま、証拠があるのか?」
フィアーはポケットから小さな物を取り出した。緑色をしており、先が鋭く尖っている。
「バラのトゲだ。寝室は清掃が行き渡っていたにも関わらず、電話の下にトゲがいくつか落ちていた。明らかに最近落としたものだろう。この屋敷でバラを扱うのは、おまえだけだ」
庭師のテイラーは、ぎりりと奥歯を噛み締めた。
だがフィアーは容赦なく追い打ちする。
「証拠は他にもある。居間にかかってきた電話だ」
フィアーは受話器を手に取ると、空中で架空の番号を押し、どこかに連絡を取るまねをした。そして、口をすぼめて甲高い声を作る。
「普通、電話がかかってくると、交換手がこう言うはずだ。『おつなぎしました』とね。だが、ベネット氏によると、ウィルソンはすぐに土産物の話をし始めたそうだ。つまり、この電話は外線ではなく内線だったんだよ」
フィアーは受話器を戻すと、動揺するテイラーの肩をたたいて続けた。
「最後の証拠は簡単だ。この部屋でベネット氏以外の男性は1人だけ。つまり、ウィルソンのまねをできるのは、おまえだけなんだよ」
その言葉を聞いたとき、テイラーは崩れ落ちて白状した。
「……認めます。私がやりました。つい魔が差したのです」
◇ ◇ ◇
夜になり、2人は事務所に戻った。フィアーの懐は依頼料で膨らんでいる。
フィアーが嬉しそうに依頼料を取り出した瞬間、ラズリーは素早くかすめ取ろうとした。だが、フィアーは腕を天井へと持ち上げ、彼女を軽々といなす。
「おまえにはびた一文やらないぞ。ここにあるのは5ポンド。つまり、俺への出張料金だ」
「ケチっ! 私にも少し分けてよ。1ポンドでもいいからさ」
「駄目なものは駄目だ。お嬢様は紅茶でも飲んでろよ」
フィアーはそのまま腕をおろし、ラズリーに向けて手刀をした。だが、当たりどころが悪かったのか、手刀はラズリーの頭にあたり、思わず彼女は涙目になる。
と、そのとき、彼女の頭に名案が浮かび上がった。彼女はペッと舌を出すと、事務所の電話に手をかけた。
「もしもし。――に連絡をお願いします」
途中が聞こえなかったのか、フィアーは怪訝そうにラズリーを見つめた。しばし後、オペレーターがある場所に電話をつなげた。
ラズリーは自分の喉を軽くつまむと、突然、悲鳴のような声をあげて受話器に話しかけた。
「ラズベリーです! フィアーに殴られて、私の5ポンドを取られました! 今すぐ来てください、リムリック警部!」
その言葉を聞いた瞬間、フィアーは女の子のような悲鳴を上げた。大急ぎでドアの鍵をかけ、その上に板を釘で打ち付け、バリケードを築いていく。
数分後に打ち破られることを知らずに。
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