第53話

「お前だけでも……殺す」

 先程、マーシアの水弾丸で死んだと思った大男が、腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がりつつある。

「キャーーーー!ッ」

 意表を突かれたらしいマーシアが、自分の頭上に、鋭い爪を伸ばした手を振り上げた大男を見上げ、悲鳴を上げてへたり込んだ。

 奴の爪の威力は、さっき騎士団の女性が、鎖帷子ごと切り裂かれたのを見て知っている。

 ロニーは、頭のフラつきも体の痛みも我慢して全力で駆け出した。

 マーシアを守るため、振り下ろされる爪をそらせるか、最悪でも鎖帷子を纏った自分の体で斬撃を受けるべく、突進して体当たりを試みる。

「おおおおおーーーーーっ」

 体当たりで大男を両腕で抱えた瞬間、突如、何かに叩き付けられたかの様な猛烈な突風を受けて大男がよろめいた。

「ロニーさん、大丈夫だから手を離して」

 吹き飛ばされそうな突風の中、懸命に大男を捕まえるロニーは、猛烈な風の中で優しく語りかける風精霊シルフの声を聞いた。ロニーが手を離すと、猛烈な突風を受けて十パスル(約三メートル)は放り投げられて地面に転がる。

 次の瞬間、爆音と共に、大男が彼の背丈の倍近い高さまで上がる大きな炎に包まれた。

 この世の物とは思えない、苦痛に満ちた絶叫が響く。

 ロニーは起き上がろうと藻掻いたが、ギルバートにボコボコにされた怪我の痛みもあり、立ち上がれない。懸命に藻掻いていると、マーシアが駆け寄って体を支えた。

「ロニー君、ゴメンね。有難う……大丈夫?」

 マーシアが、心配そうにロニーの目を見つめる。気恥ずかしさでロニーは少し俯いた。

「あ、うん、大丈夫。マーシアさんに怪我がないなら、それで良いから……」

 マーシアに支えられながら、ロニーは大男を見た。

 ロニー達の見つめる前で、大きな炎に包まれ、轟音を上げて燃える大男が崩れ落ちていく。

「ロニー君! ゴメンなさい! 私とした事が術に巻き込むなんて! 大丈夫?」

 アリシアの心配そうな叫び声が聞こえた。こんなに焦った彼女の声を聞くのは初めてだ。

 声の方向を見ると、道からアリシアが走ってくる。

「酷い怪我ね。治療術を使うわ」

「あ、いえ、大丈夫です……」

「ロニー君、油断は禁物よ。こんな酷い怪我を放って、悪化したらどうするの?」

 アリシアは屈んで、戦いで酷い痣の出来たロニーの頬にそっと手を当てた。

 アリシアの早口の治療術が終わると、ロニーの体の痣や傷が癒えていく。

「……これで良いわ。痛みは取れたと思うけど、念の為に病院でも診て貰って」

「有り難うございます」

 治療術を受けて、体の痛みがほぼ取れた。魔力切れ間近のせいで頭が朦朧とするが、何とか失神だけは免れている。ロニーに心配が無い事を確認したアリシアが、マーシアを見た。

「マーシア、敵の死を確認するまで油断してはいけないと、何時も言ってるでしょう? この仕事を続けるつもりなら、気を付けなさい」

 アリシアが、少し厳しい口調で注意した。

「……ごめんなさい」

 今の言葉はマーシアには効いた様だ。声に元気が無い。

「分かれば良いわ。怪我は大丈夫?」

「あたしは大丈夫……ねぇ、母さん。さっき風精霊アネモスに言われて気付いたんだけど、どうしてこいつらは母さんの精霊でも、正体を見抜けなかったんだろう?」

 マーシアが顔を上げて、ギルバートを見る。

「それは、私も気になってたの。今後のためにも調べないと……」

 アリシアがギルバートの死体の傍に行き、屈んで死体を調べ始めた。ロニーとマーシアも手伝う。アリシアは、遺体の服の内側を見てすぐに何かに気付いた様だ。

「ここまでやるとは……凄いわね。焦げて分からない所も多いけど、入れ墨で作った高度な結界というかまじないよ。多分、これは正体や気配を隠すまじないね」

 アリシアがギルバートのズボンの裾をめくったり、靴を脱がせたりして丹念に調べる。

「……なるほど。ズボンも靴も見えない部分に同じ様なまじないがある。多分、身につけるもの全てに同じ事をしてると思うわ。これに、あの店にあった強烈な結界が合わされば、強力な魔法の道具や精霊でも、正体を見抜くのは無理だったでしょうね」

 アリシアの声には、落ち着きの中にも驚きが感じられる。

 彼女はギルバートの調査を終え、顔を上げて不思議そうにロニーに尋ねた。

「ロニー君、こんな強敵をよく倒せたわね。どうやったの?」

「地面の水溜まりを使って、雷精霊の電撃を当てました。帰る途中にギルバートとの戦い方をマーシアさん達と相談したんですけど、昨夜の雨で地面が濡れているのを見て思いついたんです。水は電気を通す。マーシアさんは水精霊を使われますから、協力をお願いしたんです」

「なるほどね」

「絶対に悟られない様に、地面の水を敵の足元に集めて水溜まりを作る。敵が水溜まりに足を踏み入れたら、雷精霊ブロンディの力を込めた剣を水溜まりに突っ込んで、必殺の電撃をお見舞いする。術を絶対に当てて奴を倒すには、これしか無いと思ったんです。放電だと避けられるかも知れませんから……ただ、それだけでは足りなくて、義手で殴ってトドメを刺しました」

「酷くやられたみたいだけど、良い作戦だと思うわ。この強敵を倒すなんて大したものよ」

 アリシアが、微笑みを浮かべて素直に賞賛する。

「いえ、まだまだ僕なんか……昨夜、雨が降ってなかったらギルバートには勝てなかったと思います。熱くなってマーシアさんを危険に晒してしまいました。すみません」

 ロニーは、姿勢を改めてひざまずき、深く頭を下げた。

「まぁ……その件は、もういいわ。次にこんな事があれば、この教訓を活かしてね」

「はい、すみませんでした」

 アリシアが、ゆっくり立ち上がった。ロニーとマーシアも続く。

「君達が、馬を駆って町から出たって聞いてどうしようかと思ったけど、馬の足跡を追えて良かったわ。君達の作戦と良い、昨夜の雨に感謝ね」立ち上がったアリシアが、小さくノビをした。「さぁ、後はセオさんに銀灰ぎんかいを渡すだけよ。きっと喜んでくれるわ」

「そうね。首を長くして待ってると思う」マーシアが軽く微笑む。「大変だったけど、誰かの犬になって戦うより、ずっと良かったわ! これからも、困ってる人を助ける仕事だけだったら良いんだけどね……」

「そうしたいけど、タイレル傭兵団は、あまり仕事を選べないから……契約中に辞めるなら大金を払わないといけないし……」

 アリシアが心底残念そうに呟くのを見たロニーは、一つ忘れていた事を思い出した。

「あ、そうだ、アリシアさん」

 ロニーは、腰から下げていた雷精霊ブロンディの精霊籠を外した。

「これは、お返しします。銀灰ぎんかいも取り返しましたし、ギルバートも倒しましたから」

 アリシアが精霊籠を受け取り、微笑を浮かべながらロニーを見た。

「あ……そうね。どう? この子は役に立った?」

「ええ、とても。雷精霊ブロンディのお陰で何度も危機を救われました。良かったら、僕がお礼を言っていたと伝えて下さい」

「君は良い人ね。腕も良いし。また誰かと組む事があれば、君の様な人とご一緒したいわ」

 その時、遠くから多数の馬が掛けてくる音が聞こえてきた。

「何かしら? あの音?」

 マーシアが、訝しげにアリシアに尋ねる。

「騎士団だと思う。配備していた騎士団員が撃退されたって聞いて、精鋭を出すって言ってたから。仮に、ギルバート達が逃げても長くは無かったでしょうね」

 間もなく、逞しい軍馬を駆る騎士団員が現れ、ロニー達の元に集まってきた。

 精強そうな騎士団員が十二名もいる。彼等は、最上級の精鋭部隊の一つである事を示す腕章をしていた。二匹の中級悪魔に繰り出す戦力としては、いくら何でも大げさに過ぎる。

 ロニーにも、ギルバートが騎士団を本気でブチ切れさせたのがよく分かった。

「アリシア殿! 状況は、いかがです?」

 立派な鎧に身を固めたリーダーらしき中年男性が、馬から下りて駆け寄ってきた。

「ギルバート達は倒しました。ここにある死体がそうです。ご確認下さい」

 数名の騎士団員が、キビキビとした動作でロニー達の足下に転がる死体の確認に来た。

「彼は、服や肌に正体を隠すまじないを刻み込んでいた様です。こうなれば魔法の道具でも変身を見破るのは難しいかと」

 アリシアが、ギルバートの刺青を指さした。リーダーが屈んでそれを確認する。

「なるほど。これは詳しく調査する必要があるな」

 リーダーが立ち上がって、険しい表情で呟いた。

「カーチス! ケイト! 本部へ連絡して、すぐ遺体回収の馬車を持って来てくれ。途中で、こいつらが脱ぎ捨てた上着と、別れて逃げた奴らの遺体回収も忘れるな。次に、ラングドン一家の関係先で、こいつらに関わる品は全て押収する様に要請してくれ」

「はっ!」

 リーダーと共にギルバートの死体を調べていた男女が、敬礼のあと馬を駆って戻っていく。

「あの……他の怪物と警備局員けいびきょくいんはどうなりました?」

 騎士団員達がギルバートの死体を調べるのを止めたのを見て、ロニーが恐る恐る尋ねた。

 遺体を回収と言っていたので、倒したのは間違いなさそうだが。

「残りの奴らは警備局員けいびきょくいん達が全て片付けました。彼ら、凄まじいヤル気を見せたらしくて……分かれてすぐ全員討ち取ったそうです。犠牲者もありません」

 リーダーの言葉を聞いて安堵した。ギルバートの強さを見て、協力してくれた人々に犠牲が出ていないか心配だったのだ。

「では皆さん、後の始末は我々に任せて下さい。周囲の安全も我々が確認しておきますので。皆さんのご協力に深く感謝いたします。有難うございました!」

 リーダーは、姿勢を正してロニー達に向かって敬礼した。他の騎士団員達も一糸乱れぬ動きでそれに続く。

 ロニー達も、敬礼を返し「では、後はお願いします」と伝えて町に帰った。

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