第52話
ロニーは剣を抜き、マーシアもショーテルを抜いて身構えた。
それを見たギルバートが口の端をつり上げ、嘲る様な笑みを浮かべる。
「首が一つ足らんが、すぐにアリシアも殺してやる。騎士団が来るまで時間もあるだろう。さぁ、相手をしてあげようじゃないか! 行け!」
尊大な態度でギルバートが言うと同時に、部下の大男が濡れた地面を思いっきり蹴って、凄まじい早さでマーシアに襲いかかった。踏み込んだ地面から大きく水が跳ね上がる。
「穿て!
攻撃はマーシアの方が早かった。ショーテルを持つ彼女の指先から放たれた水弾丸が、大男の腹を穿つ。大男が苦痛で顔を歪ませ、腹を両手で押さえながら地面に倒れた。
濡れた草と地面に、彼の血がゆっくりと広がっていく。
「ちっ」
ギルバートは苛立たしそうに舌打ちして、ロニーに向かってゆっくり歩き始めた。
「……ギルバートさん、一つ教えてくれないか?」
剣を構え直したロニーが、警戒しながら尋ねる。
「何かね?」
ギルバートが、見下す様な冷たい笑みを浮かべて歩みを止めた。
「どうして、義賊だったラングドン一家に入り込んだんだ?」
「ふ、そんな事か」ギルバートが、少し呆れた様な顔をした。「ラングドンが悪徳商人から盗んだとか言う品を、テッド商会へ売りに来たのがそもそもの出会いだ。あいつらと部下は盗みも潜入の腕も良かった。だから思ったんだよ。こいつらは使えるってね」
「使える?」
「私達が、
ギルバートが、少し遠い目を浮かべる。
「だが、奴らは思った以上に優秀で頭も良かった。盗むだけでは足りなくなってきた事もあってね。納品に来たギルバート君と入れ替わり、私自ら乗り込んで商売を立ち上げて導いたのさ。店が有数の交易都市レンストンにあり、目立ちにくい立地だったのも良かった。集められる物も増えて随分便利になったよ」
つまり、アネット達姉弟が慕った本物のギルバートは、とうの昔に死んでいたのだ。
ギルバートの顔に、嘲るような表情が浮かぶ。
「しばらくは、私の狙い通り上手くいっていたんだがな。奴らは段々と私のやり方に意見するようになった。やれ黒魔法の品は扱うな悪事はするなだの、義賊だとか言ってたがコソ泥如きが偉そうに! 鬱陶しくなったから消してやったのさ。少し惜しかったが、奴の部下と店が残れば、私の目的は達せられるからな」
ロニーの双眸に怒りが浮かぶ。義賊という考えを完全には支持できない。目的は理解できるが、他にやり方は無かったのだろうかと思う。だが貧しい人の為にという心を弄び、最初からラングドン達を都合よく使い、鬱陶しいという理由だけで殺す。本物のギルバートも、一家を利用したいという理由だけで殺す。
人と、その心を見下して虫ケラの様に扱うギルバートを絶対に許せない。虫唾が走る。
「今のラングドン一家は、私の目的の為に私が育てたものだ。ラングドン夫妻を殺したのは悪かったが、私のお陰でアネット達は大商人並の良い暮らしが出来た筈だ。奴らも、邪魔になれば切り捨てるつもりだったが……まさか、私がこうなるとはな!」
ギルバートが、忌々しそうに言葉を吐き捨てて身構える。
「おしゃべりは終わりだ。よくも、私が心血を注いで築いた物を台無しにしてくれたな? 楽に死ねると思うなよ!」
ギルバートが憎々しげにロニー達を睨んだかと思うと、凄まじい早さで迫ってきた。
ロニーは、ギルバートが間合いに入ったと見るや素早く剣を振り下ろす。相手の動きを読んだ上での攻撃だったが、難なく
「くっ!」
ギルバートの動きは早かったが、今のは当てたつもりだった。それを軽く
次の瞬間、斬撃を掻い潜って接近したギルバートの拳がロニーの顔面に炸裂した。明らかに力を抜いたのだろうが、それでもロニーの頭がクラクラする。
何とか転倒だけは避けたロニーだったが、そう思ったのも束の間、剣を握る手と頭を捕まえられ、即座に強烈な膝蹴りが腹に叩き込まれた。
鎖帷子の上からの膝蹴りだが、苦痛で一瞬息が出来なくなる。
「おおっと、すまんすまん。力が入りすぎてしまったな。悪かった。許してくれ」
ギルバートが、薄笑いを浮かべておどけた様に言い放ち、手を離す。
即座に反撃を試みたが、再び剣を軽くかわされ、顔面にギルバートの鉄拳が叩き込まれた。
よろめいて膝をついたロニーだが、すぐにギルバートに無理矢理起こされ、そこからは鉄拳と蹴りが容赦なく浴びせられた。痛撃を受けないよう身を守るのが精一杯のロニーの手を、ギルバートが掴んだかと思うと鋭い足払いが浴びせられ、ロニーは泥水の中に転倒した。
「どうした? 小娘。コイツを助けたければ、いつでも来たまえ」
ギルバートが、ロニーの首を掴んで持ち上げながらマーシアを見る。
「まぁ、そんな事をすれば、すぐにこの犬っころの頭を潰してやるがな! ハハハハハッ」
ギルバートが底意地の悪そうな笑みを浮かべ、心の底から愉快そうに笑う。
ロニーは、何とか反撃しようとしたがボコボコにされた痛みで体が動かない。だが、義手のお陰で剣だけは離さず体力の回復と反撃の機会を待っていた。
そっと目を動かしてマーシアの様子を覗うと、彼女は眼前で繰り広げられる一方的な惨劇に青ざめている様だ。
ギルバートが、ロニーに顔を戻した。
「少しは出来る様だが、若造が私に勝てると思ったか? あぁ? あの小娘と二人がかりなら勝てると思ったか? 馬鹿が! 次は、あの小娘を嬲り殺しにしてやる。お前らの首を見たアリシアが、どんな顔を見せてくれるか楽しみだなぁ?」
ロニーは、ニヤニヤ笑うギルバートに気付かれぬよう、剣を持つ反対の手を、ゆっくりと慎重にギルバートに向けて囁いた。
「
ギルバートの腹を目がけて小さな電撃が走る。だが、これも難なく術の発動の直前に腕を捕まれて他所へ向けられ、空しく樹木に焦げ目をつけて終わった。
「その程度か……小技しか出せない様では 反撃も、もう終わりだな」
ギルバートが、ロニーの首を離した。ロニーの体が力無く地面に横たわる。
横たわるロニーの腹に、ギルバートの強烈な蹴りが叩き込まれた。だが、それを受けてもロニーは再び剣を地面に突いて、よろよろと立ち上がろうとする。
ギルバートが再びロニーの首を掴んで持ち上げ、渾身の力で腹に膝蹴りを入れた。
「ぐはっ!」
ロニーは大きく目を見開いて崩れ落ちた。遠くなる意識を必死でこらえる。
地面に横たわるロニーの頭を、ギルバートが踏みつけた。動けないロニーを、ギルバートが満足そうに見下ろしている。
「今から、あの小娘を八つ裂きにしてやる。お前は、小娘が細切れにされていくのを、ここで指をくわえて見ていると良い。それが済んだら、お前にトドメをくれてやる」
ギルバートが嘲るように言った後、ロニーは再び蹴り飛ばされ、顔に唾を浴びせられた。
「ロニー君!」
マーシアの絶叫が響く。
ギルバートが、小馬鹿にした笑みを浮かべながらマーシアを見た。
マーシアは気丈にもショーテルと盾を構え直し、ギルバートを睨み付けて動こうとしない。
「はっ! その風変わりな剣で来るか? それとも得意の水鉄砲か? どちらでも良いぞ? さぁ来い! それが済んだら、まずは生きたままハラワタを引きずり出してやるわ!」
悟られぬように息を整えるロニーの前で、ギルバートがマーシア目掛けてゆっくりと歩き始めた。だが、彼は十歩も歩かぬうちに不意に立ち止まり、不審げに足下を見た。
横たわるロニーの耳に、不意に
「ロニーさん、今よ!」
薄暗くて見にくいが、水の固まりの様な少女の
ロニーは体の痛みに耐え、体を素早く起こして駆け出した。
「
その叫びと共に、手に持つ剣が激しいスパークを放つ。
ギルバートが振り向いたのと、ロニーが彼の足下に剣を叩き付けたのは、ほぼ同時だった。
「ぎゃあああああーーーーーっ!」
ギルバートが苦痛の絶叫を上げる。奴は感電で体が自由に動かないらしい。立ったまま痙攣している。ロニーが振り下ろした剣の先に、ギルバートが足を突っ込んだ水溜まりがあった。
草で見にくいが、水溜まりはギルバートの足下、半径三パスル(約九十センチ)程の範囲だけに収まり、昨夜の雨にも関わらず、その外側の地面や草は不自然なほど濡れていない。
この不自然な現象は、昨夜の雨を
全力で戦ったにも関わらず絶体絶命の危機に追い込まれたが、狙い通り油断したギルバートは足下の注意を疎かにして水溜まりに足を突っ込み、
勝利を確信したロニーだったが、ギルバートが痙攣しながらゆっくりと振り向き、鬼気迫る表情で一歩足を踏み出した。
「ロニイィィィィ……これで勝ったつもりかぁぁっ? 舐ぁめるなぁぁぁぁっ!」
憎々しげにロニーを睨むギルバートが、さらに一歩踏み出す。ロニーは彼のタフネスさが信じられない。アリシアの使う強力な精霊に、全力を出させているのに倒せないとは。
放電技では無く、剣の威力を増す技の流用なので、思ったほど威力が無いのだろうか?
このままでは殺される。マーシアも死ぬ。
感電で動きが鈍った今のギルバートになら、どんな技でも当てられるだろう。ロニーは両手で握る剣を左手に持ち替え、義手の拳を握りしめた。
鈍い銀色の拳に気合いを込めると、義手の表面に刻まれた魔法陣の紋様が青白い閃光を放ち、次いで義手の甲に仕舞われていた、トゲ付きガードが拳を守る様に装着される。
だが、この一撃には自分の、何よりマーシアの命が掛かっている。それにギルバートが強力な防御術を使っていたり、身の守りを固める未知の道具を身につけている可能性もある。
例え、義手が壊れようとも出し惜しみは無い。確実に仕留めるべく
「ロニイィィィィ! お前……だけはっ!」
さらに一歩踏み出したギルバートが、痙攣しながら拳を振り上げたその時、ロニーは剣から手を離した。
「うおおおおーーーーーっ」
腰の入った全力の鉄拳が、目にも止まらぬ早さで叩き込まれ、ギルバートの腹をぶち抜く。
「ぐほおっ!」
ロニーの鉄拳がギルバートの背を突き破り、ギルバートが吐いた大量の血が地面に流れ落ちる。信じられないと言う顔で大きく目を見開いたギルバートは、振り上げた拳を力無く落として、ピクリとも動かなくなった。
全力を放った義手の放熱口が開き、シューッという音を立てて、凄まじい勢いで高温の排気が放出される。魔法陣の紋様も光を失い、拳のガードが元の位置に仕舞われた。
義手をギルバートから引き抜くと、彼の体が地面に崩れ落ちる。
義手を少し動かしてみたが異常は無い。殴ったのが柔らかい物だったので無事だったのだろう。冷却がすむまで次の鉄拳は放てないが、多分、もう大丈夫だ。
地面に落ちた剣からは、いつの間にか放電が止まっている。その剣を拾い上げたロニーは頭が少し朦朧としていた。全力の
「ロニー君! 大丈夫?」
見ると、マーシアが満面の笑みで手を振っている。だが、次の瞬間ロニーは目を見開いて絶叫を上げた。
「マーシアさん! 後ろだ! 危ない!」
「え?」
きょとんとしたマーシアが慌てて後ろを振り返り、そのまま体を強張らせた。
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