第51話

 ロニーの前をギルバート達が駆けていく。奴らは貸し馬屋に目をつけたらしく、その馬小屋に入るやいなや馬を強奪した。

 逃げる彼等の後ろから、飼育員と思しき少年が飛び出して怒鳴り声を上げる。

「金払えーーーーっ! 馬泥棒ーーーーッ!」

 ギルバートを睨み付ける彼に、息せき切らしてロニーが駆け寄った。

「……僕は国立警備局のロニー……奴らを追います! 一番速い馬を貸して下さい」

 ロニーは、荒い息をしながら首から下げている認識票を見せた。

「あ、ああ、そこらの奴だよ。料金は……」

「お金はこれで! お釣りは……後で取りに来るよ!」

 ロニーは、息を切らせながら財布ごと飼育員に渡すと、彼が指さした馬の手綱を握った。

 その時、マーシアが激しい息をしながら貸し馬屋に飛び込んできた。

「待って! ロニー君! ああーーーっ、もうっ!」

 ロニーは、マーシアの制止に耳を貸さず、馬に跨がって猛然と駆け出す。それを見たマーシアが思わず苛立たしげに地団駄を踏んだが、すぐに気持ちを切り替えて、飼育員の少年に傭兵隊の身分証を見せながら叫んだ。

「ねぇ! 一番速い馬を貸して! 早く!」

「そこのは、どれも速いよ。料金は……」

「これでよろしくっ! お釣りは後で!」

 マーシアは、少年の言葉が終わらぬ内に、もどかしげに財布を放り投げて馬を駆りだした。

 懸命に馬を駆るロニーの遙か前で、馬を駆るギルバート達が町から出ていく。奴らが、後ろを確認するようにチラと振り向いたと思うと、急に奴らの馬がロニーの馬より数段速度を上げた。

 リッチモンド達を追った時と同じく、黒魔法で何かしたのだろう。凄い早さで町の外に広がる森へ入っていく。

 曇天の暗い森で見失ったら、お手上げだ。懸命に馬を駆るロニーの横を、後ろから突風が吹き抜けた。マーシアが放った風精霊アネモスだろう。

 ロニーは、ギルバート達にかなり遅れて森に駆け込んだ。森は、鬱蒼と茂る木々のせいで見通しが悪く、曇り空のせいで暗い。その暗い森の中を、昨夜の大雨でぬかるんだ、獣道よりはマシという程度の細い道が森の奥へと続いている。

 ロニーは、懸命に馬を走らせてギルバート達を探したが、とうとう馬が疲れきったのか、どうやっても動かなくなってしまった。こうなれば、どうしようも無い。

 借り物の馬を乗り捨てる訳にはいかず、馬に休息を与えることにした。

「くそっ!」

 思わず毒づいて地面に降りると、ぬかるんだ地面に足首まで埋まる。時折、木から落ちる水滴がロニーの顔や鎖帷子を濡らした。

 ギルバート達が去った方向から一瞬風が吹く。風精霊アネモスが戻ったのだろう。

 後ろからはマーシアがやって来た。風精霊アネモスを連れた彼女も、疲れ切った馬を下りて慎重に歩いてくる。

「やっと追いついた……ねぇロニー君、気持ちは分かるけど引き返しましょ? レンストンであんだけの事をやったら騎士団もブチ切れてるわよ。もう、彼らに任せましょ」

 彼女の口調は軽いが、顔は真剣そのものだ。声を抑えて周囲を慎重に見回している。

「でも……あいつのせいで……」

 ロニーは、ギルバートへの怒りで手を強く握りしめた。

「分かってると思うけど、奴らは強敵よ。あたし、風精霊アネモスに奴らを追ってもらったの。でも、足跡を追って馬に追いついた時には奴らの姿も気配も無かったって。あたし、精霊を撒く怪物なんて始めて見たわ。分かる? 今、あたし達どこから襲われるか分かった物じゃないのよ?」

 マーシアの横に浮かぶ風精霊アネモスが、同意するように頷く。

「シェイラさんだっけ? 四等級って言ってたと思うけど、ロニー君より上の人を蹴散らす奴が、こんな所で襲ってきたら勝てないわ。悔しいのは分かるけど一旦退きましょ。ね?」

 マーシアが、ロニーを優しく諭す様に言う。

「……でも……」

「……はぁ」風精霊アネモスが、少し苛立たしげに溜め息をついた。「ロニーさん、マーシアも気付いてない事が一つあるわ。それが奴らのホントの怖さよ。奴らがアリシアの……あの凄い力を持つ精霊達の目を欺いた事、おかしいと思わない? ギルバート商会で、何度も直接会ってるでしょ?」

 風精霊アネモスが、ロニーを見つめながら少し厳しい口調で言った。

「あっ!」

 マーシアが、思わず口に手を当てて息を呑む。

「いくらギルバート商会に強い結界があっても、あの精霊達が化けた怪物を間近で見て気付かないなんて変よ。あいつらには、正体や気配なんかを隠せる秘密がある。だから、あの強い精霊の目を誤魔化したり、突然気配を消して、あたしを撒けたのよ」

 ロニーも、はっとして風精霊アネモスを見た。言われるまで全く気付かなかった。

「ロニーさんは、奴らを追ってるつもりかもしれないけど、あたしに言わせれば違うわ。あたしの警戒がアテに出来ない今、この暗くて見通しの悪い森で、奴らに不意打ちされたらどうするの? 簡単に皆殺しよ。違う?」

「くっ……」

 ロニーは、思わず下を向いて歯をかみしめた。

「言い方が悪くてゴメンね。ねぇ、一旦帰りましょ。奴らがどこへ逃げようが、面目を丸潰れにされた騎士団が草の根分けてでも探し出すわよ。それに、このまま突っ走って最悪の失態を犯したら、仮に助かっても、あなた一生後悔するでしょ?」

 口調を幾分柔らかくした風精霊アネモスが、さりげなくマーシアを見る。彼女が何を言いたいか、よく分かる。しばし考えたロニーは、少しして俯いたまま元気なく言った。

「……分かった……帰ろう……」

 自分が、自分のミスで死ぬのは良い。だが他人を、マーシアを自分のせいで死なせたりすれば、絶対に自分を許せなくなる。

 ロニーがようやく説得に応じたのを見て、マーシアと風精霊アネモスが互いに顔を見合わせて、俯くロニーに聞こえないように小さく安堵のため息を漏らした。

「……もし、帰る途中で奴らが襲ってきたらどうする?」

 ロニーはマーシア達に尋ねた。馬も休んで少し元気になった。これなら歩けるだろう。

 ロニーが馬に乗ったのを見て、マーシアも自分の馬に跨がる。 

「それは……まぁ……どうしようか? 風精霊アネモス

 マーシアが馬に乗ったのを見たロニーは、馬を歩かせ始めた。マーシアが、その横に並ぶ。

「それを、あたしに聞く?」風精霊アネモスが苦笑しているようだ。「ま、みんなで考えましょ!」

 馬に跨がるロニーとマーシアの間を、風精霊アネモスが浮きながらついて行く。

 三人で、声を抑えて色々相談しながら馬を歩かせたが、少し進んだ所で風精霊アネモスが何かに気付いた様に立ち止まり、森の奥を注視し始めた。

 それに気付いたマーシアが馬を止める。ロニーも馬を止めた。

「どうしたの?」

 マーシアが表情を改めて尋ねたが、風精霊アネモスは微動だにしない。

 森の中に、ぽっかり空いた空き地の奥、暗い森の奥の方に全神経を集中させている様だ。

「逃げて! 奴らよ!」

 風精霊アネモスが叫んだが遅かった。森の奥から赤い閃光が走り、爆音と共にロニー達の前の地面が深くえぐれた。爆風と共に、濡れた土砂が大量に巻き上がる。

「うわっ!」

「きゃああーーーーっ!」

 馬が突然の爆発に驚き、いななきながら上半身を高く起こした。

 不意を突かれたロニー達は馬の背から振り落とされ、雨で出来た水溜まりに背中から叩き付けられる。爆発に驚いた馬が、ロニー達を置き去りにして脇目も振らず走り去る。

 ロニーとマーシアは、すぐに屈んで周囲の様子を覗った。全身に泥と泥水をたっぷり浴びて気持ち悪い事この上ないが、そんな事は気にしていられない。

 空き地は、膝下程の高さの草が生い茂って濡れた地面を覆っている。その空き地の端、自分達から三十パスル(約九メートル)ほど向こうに、ギルバートと部下の大男が立っていた。

「どうしたんだ? 私達を追いかけてきたのに、もう帰るのかね?」

 ギルバートが、ニヤニヤ笑いながらゆっくり歩いてきた。部下の大男も後に続く。

「私を、こんな目に遭わせてくれた奴らを放っておくのも癪に障るのでね。せめて、お前達の首ぐらいは土産にさせて貰おう」

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