第50話

 ギルバート達が逃走を始めてから程なく、ロニー達は、ギルバート商会から飛び出た。

「ロニー君! ゴメン、奴らに逃げられた! 二手に分かれて逃げてるわ!」

 近くの屋根から若い女性の声が響く。ロニーが見上げると、長弓を持った女性が見ている。

「ドリーさん? 長髪の男がいたでしょう? 奴はどっちへ?」

「あっちよ! サム商店の前でシェイラ隊と交戦中。仲間を一人連れてる!」

 長弓を手に持ったドリーが、ギルバートのいるらしき方向を指さして叫ぶ。

「了解です! あと、他の人に伝えて下さい。奴らにラングドン一家からも賞金が出ました。僕が掛けた賞金と同じ額が出ます!」

 ロニー達はイーゴリの村から戻った後、ヴェルゴーで怪物達から奪った銀灰ぎんかい一箱を売って大金を作っていた。その金を使い、自分達が怪物を取り逃がした場合を考えて警備局ネストの隊長と相談し、腕利きの警備局員ヴァルチャーを雇って周辺に配置してもらったのだ。

 彼らのヤル気を引き出すため、余った金で怪物に高額の賞金をかけている。警備局員ヴァルチャー達を振り切っても、その外には警備局ネストから話を聞いた騎士団も兵を配置している。

 ギルバート達は、絶対に逃げられない筈だ。

「……一匹倒せば、仲間と四ヶ月は遊んで暮らせるじゃん……」ドリーは、金額を聞いて絶句している。「分かったわ! こんな、おいしい話ありがとーーーーっ!」

 我に返ったドリーが、満面の笑みでロニーに手を振った後、屋根の反対側に消えていった。

 周囲の射手達も、めいめいどこかへ走って行く。

「よし、行きましょう。ギルバートだけは許せない」

 ロニー達も駆け出した。サム商店なら近いが、近づいても戦っているような音がしない。

 もう仕留めたのだろうか? 不審に思いながら建物の角を曲がった時、ロニーの目に倒れた警備局員ヴァルチャー達が目に入った。

「シェイラさん!」

 ロニーの叫びに気付いて、胸当て鎧と大きな盾を持つ女戦士が、血の流れる頭を押さえながら、ゆっくりと上半身を起こした。

「ロニーか? ……ちっくしょう、やられたぁ……」

 半身を起こしたシェイラが、苦痛に顔をしかめる。

「ロニー、気を付けろ。あいつら中級悪魔みたいだけど、とんでもなく強いぞ……痛たた」

 シェイラの仲間の四名も、苦しそうに身を起こした。女性術士と男性剣士は傷が深く、マーシア達に支えられながらでないと、身を起こす事も出来ない様だ。

「四等級のシェイラさんが負けるなんて……奴ら、どんな技を使ったんです?」

「長髪野郎が放った毒針以外、特に変わった技は無かったな。だけど、あの長髪野郎は力も術の威力も、私が戦った事のある中級悪魔の数段上よ」

「……そうですか。これは、マズいかもな」ロニーの顔に、懸念の色が浮かぶ。「シェイラさん、ギルバート商会へ行って下さい。この戦いに参加した人なら、タダですぐ治療してくれるそうです」

「分かった。でも、私は先に警備局ネストへ行くよ。私達が勝てないんじゃ、後の連中も厳しいと思う。すぐに本部や騎士団に動いて貰わないと、規制線が突破されるかも知れない」

「……ですね」

 ロニーは周囲を見た。皆が出歩く時間にも関わらず、周囲の建物の窓や扉は閉められ人っ子一人いない。これは警備局ネストから連絡を受けた騎士団が、事前にギルバート商会の周辺住民に対して指示あるまで表に出ないよう、そして、この要請を絶対にギルバート商会とその関係者に伏せるよう指示していたせいだ。

「規制線の向こうは市民が出歩いてる筈だ。奴らが、そこへ出たら犠牲が出る。何とか、そこまでに奴らを止めてくれ。私は本部に連絡してから、ギルバート商会へ行かせて貰うよ」

 そう言ってシェイラは、ウェストポーチから傷薬と思しきアンプルを数本取り出して、手早く自分の怪我にかけた。液体のかかった傷口からの出血が止まり、傷が塞がっていく。

 それが済むと、彼女は具合を確かめる様に立ち上がった。話の間にアリシアの治療術を受けたシェイラの仲間も同じ様にしている。

「分かりました。情報有難うございます」

「ああ、急いでくれ。じゃあな」

 ロニーは頭を下げて、シェイラと分かれた。ギルバート達を追うロニーの後ろでシェイラ隊の面々が、警備局ネスト本部へ向けて走り出す。

 ロニーが、それから一分ほど走ると、重い傷を癒やす警備局員ヴァルチャー達と出会った。彼らに促されてさらに数分走った頃だろうか? 悲鳴を上げて逃げ惑う人々の向こうに、突如、何かの術の閃光が走った。マズい事に規制線が突破されたらしい。

 よく見ると、六名の武装した男女がギルバート達と交戦している。戦っているのは騎士団だろう。その周囲には三名の騎士団員と思しき男女が倒れている。戦況は芳しくない様だ。

 走るロニーの見ている前で、重武装の剣士がギルバートの放つ赤い閃光を喰らう。

 術の直撃を受けた彼は、絶叫を上げて吹っ飛び、動かなくなった。

 騎士団は、住民への被害を恐れて強力な術を使っていないが、ギルバート達はお構いなし。

 それが、精強で鳴らした騎士団の苦戦の原因だと思う。

 何も規制されていなかった周辺は大混乱に陥っていた。ギルバート商会周辺の人気の無さとは対照的に、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑い、店員は大慌てで店を閉めている。

「待てーーっ! ギルバートーーーーッ!」

 思わずロニーが怒声を上げる。ギルバートが驚いた顔で振り向いた。

 その横で、ギルバートの部下が爪で女性剣士を袈裟懸けにした。彼女の纏う鎖帷子が引き裂かれ、血飛沫と共に断末魔の絶叫が轟く。

 ギルバートが何事かを叫んで駆け出し、部下も残りの相手を放って逃げ出した。

 危うい所で命拾いをした若い女性魔術士が、駆け寄るロニー達に力一杯叫ぶ。

「私達は良いから奴らを倒して! 急いで!」

「了解です!」

 ロニー達は住民達が逃げ惑う中、傷ついた騎士団員には目もくれず駆け抜ける。

 彼らの意思を無駄にしないためにも、ギルバート達を逃がす訳には行かない。

 警備局員ヴァルチャー達や騎士団との戦いがギルバート達の足止めとなり、彼らとの距離は百パスル(約三十メートル)ほどに縮んだ。

「焼き払え! 炎精霊サラマンダー!」

 アリシアがギルバート達を指さして叫んだ。それと同時に、ギルバート達を巻く様に炎が踊る。逃げ惑う住民が周囲にいるからだろう。アリシアの術にしては、かなり威力を抑えているがギルバート達を怯ませるには十分だった様だ。彼らは、大慌てで火のついた上着を脱ぎ捨てようとしている。

 その時、上着を脱ぎ捨てたギルバートが突然振り返り、ロニー達に両手を向けた。

 怒りで醜く顔を歪ませた彼の手のひらから、瞬時に長い針のような物が多数生えたかと思うと、その針が猛烈な早さで一斉に撃ち出される。

 ロニー達は危うい所で躱したが、逃げ惑う一般人に、そんな事は出来なかった。

 後ろからの悲鳴に気付いたロニーが振り返ると、五人の男女が針を受けて倒れている。

「くそっ! シェイラさんが言ってた毒針ってコイツの事か!」

 犠牲者の一人は、三、四歳の男の子に見える。母親らしき女性が、腹に針を受けて動かなくなった男の子を、半狂乱になって懸命に名前を叫んで起こそうとしていた。

「アリシアさん! 彼等の治療を!」

「ええ!」

 アリシアが、子供に駆け寄っていく。

 ギルバートが人々を見下すようなゲスな顔を浮かべ、嘲るような笑いを上げた後、部下と共に悠然と走り去って行った。

「あの野郎!」

 アネット達の心を踏みにじった挙げ句、今また他人の不幸を楽しそうに嘲り笑うギルバートを見て、ロニーの頭に瞬時に血が上った。ギルバートを睨み付け、怒声を上げて追いかける。

 倒れる子供の治療を始めたアリシアが、駆け出したロニーに気付いて叫んだ。

「マーシア! ロニー君を止めて。ギルバートは、あの子だけじゃ勝てないわ!」

「分かった! 怪我人をお願いね」

 マーシアが、懸命にロニーを追いかけていく。

 アリシアは焦る心を鎮めながら、市民の命を救うことに集中して術の詠唱を始めた。

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