第44話
包囲を脱してから数分経っただろうか? ロニー達は青空の下を懸命に走っていた。
周囲には、水が豊かに流れる手入れの行き届いた水路と、収穫の終わった麦畑からなる自然豊かな片田舎の風景が広がっている。
言われなければ、ここが怪物の巣とは、とても信じられない。
あれから変わった事と言えば、ロニー達が連れていた精霊達が、霧が晴れた事を知って続々と戻ってきた事ぐらい。彼らは潜入時と同じく、アリシア達の精霊と共に再び周囲の警戒に当たっている。
包囲から脱出した後は順調そのもの。このまま逃げられればと願っていたが、それは甘かった様だ。後ろから強い風が吹き、少年らしき風精霊が姿を現してまくし立てた。
「マズいぜ! 怪物達が、凄ぇ速さで追いかけて来た! すぐに追いつかれるぞ!」
「数と種類、それと距離は分かる?」
ロニーが、荒い息をしながら尋ねた。精霊の警告を聞いて、ちらと後ろを見たが彼の目には何も見えない。まだ結構距離はあるだろう。
「敵は黒い奴と山羊頭。数は五十匹はいる! 距離は二パスレル(約六百メートル)位あるけど、黒い奴は大きな狼か何かに乗ってる。それに山羊頭は馬に乗ってるぜ!」
「なっ!」
ロニーは、思わずもう一度後ろを振り返った。今度は遠くに土煙が見える。
背中に怪物を乗せているとは言え、人と、馬や狼では速度に差がありすぎる。伏兵の潜伏場所まで、まだ遠いため援護射撃も頼めない。
それに、この数の差はマズい。先の戦いを見るにイーゴリ達は腕が立つ。だが雑魚ばかりとは言え、数が倍以上の敵と戦っても勝ち目は無い。
風精霊の声が聞こえたのだろう。ルパートの焦った声が響く。
「アリシアさん! あんたの術で何とかならないか?」
「奴ら、早すぎるわ! 少し考えさせて!」
後ろを振り向いたアリシアが叫ぶ。
ルパートが後ろを見た瞬間、彼の顔が驚きと焦りで引き攣った。
「なっ……ロニー! 何か手は無ぇのか?」
「イーゴリさん、伏兵を呼んで頂けませんか? これじゃ一方的にやられます!」
振り向いたロニーは、迫る怪物達を見た瞬間に全滅は避けられないと判断した。
既に、多数の馬が猛然と駆ける音が後ろから小さく聞こえてくる。
周囲は刈り入れの終わった麦畑が広がり、簡単に包囲される。加えて敵味方の戦力の差。
自分達が有利な点が何も無い。それに、もう一つ懸念がある。
「敵は、怪物だけじゃありません。黒い奴が乗れるくらい手懐けてるなら、怪物と一緒に狼も襲ってくると思う。数の差は倍じゃ無い。もっと大きいです!」
ロニー達がドワーフ達と考えた作戦で、伏兵は山の麓の茂みに三十名ほど配置した。
作戦では、退却するロニー達の後ろに敵がいた場合、伏兵が矢と術を浴びせて撤退を援護する事になっている。本来ならイーゴリ達も霧を止めた後、そこで伏兵となる予定だった。
伏兵と合流した後は、村への道の随所に設置した伏兵と罠が怪物を迎え撃ち、安全に撤退する予定だったのだ。
茂みに潜む伏兵と合流すれば、こちらの人数は五十名ほど。敵は、マーシア達から聞いた分を合わせれば、幸運にも今日だけで四十匹近く倒せたと思う。そして、サラマンダーの話では穀倉の爆弾で二十匹ほど倒したそうだ。そうなると怪物の数は、恐らくあと五十匹程。
迫る敵を見るに全兵力を繰り出したのだろうが、疑念も沸々とわき上がる。
「あの狼もコカトリスも現れるのが早すぎる……町のどこかにいたって事だろうけど、町に入る前に
思案にふけるロニーがこぼした独り言が聞こえたのか、マーシアがロニーを見た。
「……近くの山か、結界で入れなかった建物で飼ってたんじゃない? 穀倉以外にも、
「あ!」
それらを忘れていた。
迂闊さを悔やむロニーの前で、アリシアが後ろを向く。その途端、猛然と迫る大量の怪物が目に入ったのか、いつも冷静な彼女の顔に驚愕の色が浮かんだ。
「イーゴリさん! 私も、これは勝てないかと。作戦が変わって申し訳ないですけど、伏兵を呼んで頂けませんか? 生き残る手はそれしかないと思います!」
ロニーの前を走るドミトリーが、後ろを見てからイーゴリを諭す様に言った。
「イーゴリ、伏兵を呼ぼう。彼我の数が違いすぎる。このままだとワシら、伏兵、
「……やはり、そう思いますか?」
「ああ。伏兵と合流すれば差は大分埋まる。ワシらと怪物にさほど力の差は無かったから、ワシらがやられても奴らもタダではすむまい。そうなれば
イーゴリが少し俯いたが、すぐに厳しい表情で顔を上げた。
「……叔父上! 精霊を出して伏兵に合流の命令を伝えてくれ」
「よし、来てくれ風精霊」
ドミトリーは、契約した風精霊を重々しく呼び出した。
彼の横に、彼の頭ほどの背丈の少年らしき風精霊が現れる。
「呼んだ?」
「ああ、頼みがある。伏兵の所へ行って、彼らに、すぐ援軍に来る様に伝えてくれ」
「うん、分かった!」
風精霊が姿を消して、伏兵が隠れている方向へ一瞬強い風が吹く。
伏兵の隠れる場所まで一パスレル(約三百メートル)と少々。重い装備に身を固めていても数分で来るだろうとロニーは思う。
「ロニー君、
イーゴリの問いかけに、ロニーは素早く頭を巡らせた。
「……遅くとも、二時には来るかと」
イーゴリの使者達は、ロニー達に協力する事を決めた昨日の昼前に、ロニーからの手紙と物納する武具のサンプルを持って、村の馬を駆って
予想では、使者はヴェルゴーの町を迂回したため少し時間は掛かるが、何事も無ければ昨日の夕方には本部に着いたと思う。知らぬ間に全住民が怪物に入れ替わった町の情報と、自分達の状況を書いたあの手紙を見れば、
「怪物共が村まで行く時間を考えると、村の者が立て籠もれば何とか持つな。ここで少しでも怪物を減らしておこう。ロニー君、指揮はワシが執るが良いか?」
「ええ」
イーゴリの言葉にロニーは迷わなかった。ドワーフ達には彼が命令を出す方が良い。
「イーゴリさん、こんな事になってすみません……」
ロニーの言葉に、心苦しさが滲む。
「気にするな。ワシらも、この作戦を一緒に考えて勝算有りと見たんだ。それに君のアイデアが無ければ、ワシらが作る武器を納めて警備局を呼ぶなんて考えもしなかった。あのままだと村は早晩大変な事になっていたよ」
イーゴリの声に、ロニーを責める様な様子は無い。
「ロニー君、今更、起きた事を責めたり悔いたりしてもどうにもならん。そんな無駄な事をするより、どうやれば少しでも挽回できるか考えよう。な?」
「……はい」
「元気を出せ! ここが
イーゴリが励ます様に微笑を浮かべ、ロニーの肩を叩いた。
「はい!」
ロニーの沈んだ心が軽くなる。イーゴリは族長として色々な局面を経験してきたのだろう。
失態を責めるより、気分を乗せて戦いに向けた気力を出させる彼を見て、ロニーは自分との格の違いを思い知らされた様な気がした。
「イーゴリ、逃げるのも限界だ。奴らを迎え撃とう」
後ろを見たドミトリーの声を聞いて、ロニーとイーゴリは再び後ろを振り向いた。
怪物共は、三百パスル(約九十メートル)少々まで近づいている。
目を凝らして見ると、山羊頭が馬上で弓を構え始めた様だ。ロニーの横を走るマーシアが、それを見て血相を変えて叫んだ。
「奴らの弓はマズいわ! 毒の矢が来るかも!」
「イーゴリさん! 奴らを止めます。良いですか?」
アリシアが急いでイーゴリに問う。彼は迷わず即答した。
「頼む!」
「
アリシアが怪物を指さして叫ぶ。その直後、アリシアの前の道や周囲の畑から大量の土埃を含んだ風が巻き上がり、自分達の姿を隠すようにしながら突風となって怪物に襲いかかる。
道を直進していた怪物達は、これを正面からまともに浴びた。
奴らは、目に大量の土埃や砂が入ったらしい。立ち止まってぶつかったり転んだりする怪物と狼、馬が続出している。これで毒矢の攻撃は防げただろう。
アリシアは、間髪おかずに追い打ちを掛けた。
「
怪物達の中心に閃光と爆音が起き、爆発的な炎が立ち上った。
直撃を受けた怪物や狼が、十匹ほど火達磨になりながら高く吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。その周囲では炎に巻き込まれ、毛に火がついた怪物や狼が狂ったように逃げ惑う。
山羊頭も、爆音に驚いた馬に振り落とされる者が続出している様だ。黒い怪物を振り落とした狼も幾らかいる。邪魔な荷物を振り落とした馬や狼達が逃げていくのが見えた。
アリシアが、さらに術を使おうとしたが、立て続けに術を受けた敵の方が対応が速かった。
怪物達が密集態勢から散開し、それぞれの間隔を広く開けるようにしたのだ。
固まっていては、術で大損害を受けると判断したのだろう。
「ふ、少しは頭が回るのね」
アリシアが、怪物共を虫ケラを見るような目で見つめて、小馬鹿にする様に吐き捨てた。
怪物共の散開を見たアリシアが、早口で全員に対して『防御』『回避』の術をかける。
「皆の者! 逃げるのは終わりだ! 奴らを迎え撃つ。武器を取れ!」
イーゴリの叫びを聞いたドワーフ達は、逃げるのを止めて怪物に向き直り、武器を手に取って身構える。
「アリシアさん、マーシアさん、クレアさん、君らは後ろに下がって術師と共に援護を頼む。ジョレス、お前の隊は術師を守れ! ロニー君、ルパート君、トニーさん、君らはワシらと来てくれ! 目潰しが効いてる間に奴らを倒す! 全員、掛かれえっ!」
イーゴリが怒鳴る。それを聞いた皆は、雄叫びを上げながら、目潰しから未だ立ち直れない怪物達に斬り掛かかっていった。
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