第42話

「……切っ掛けを作るだけで、良いんだな?」

 壮年の男の、確認する様な口ぶりを聞いて、マーシアは驚いたように顔を上げた。

「は……はい!」

 目から流れた涙を慌てて拭い、改めて男の顔を見る。

 脱いだ兜を手に持ち、ほぼ白髪と化したモジャモジャの長い髪と、白くなった髭を伸ばした老ドワーフだ。胸当て鎧を纏い、使い込まれた戦斧を背負っている。年季の入った武具だが、手入れが行き届いているのを見るに彼も歴戦の強者なのだろう。

「叔父上! どう考えても無理でしょう?」

 老ドワーフの言葉を聞いたイーゴリの顔に、戸惑いの表情が浮かんでいる。

「そのぐらい、分かっておるわ」

 老ドワーフが、苦笑いを浮かべながらイーゴリを一瞥し、次いでマーシアを見た。

「おお、マーシア殿、挨拶が遅れたがワシはイーゴリの叔父のドミトリー。前の族長だった彼の父が亡くなってから、彼の後見人をしていた」

 ドミトリーが手を差し出す。マーシアは半泣きだった顔の涙を再び拭い、少し鼻をすすりながら深々と頭を下げて握手した。

 握手を終えたドミトリーが、イーゴリを見る。

「イーゴリ、思い出せ。そして考えろ。ワシらの精霊がへたばって敵地の真ん中で途方に暮れていた時の事を。あの時、この子達が来てくれなかったら、どうなっておったか」

「確かに……あの時の恩はありますが……」

「もう一つある。ワシらが自分達の安全だけを考えて、ロニー達を見捨てればどうなるか」

「……それは……」

「お前は、マーシア殿の事を言いたいのだろうが、それだけではないぞ? ワシらは警備局員ヴァルチャーを雇った。だが、ワシらが自分達の安全の為にロニー達を見捨てたと知れば、彼等はどう思う? 自分達も、いざとなれば見捨てられると思うだろう? 金の為に来るとは言え、危なくなれば見捨てる様な雇い主の為に、誰が危険を冒して懸命に戦おうとするかね?」

「む……」

 イーゴリが、眉間に皺を寄せて言葉に詰まった。

「それに今回は上手く切り抜けても、再び村に脅威が来る事もあろう。また警備局員ヴァルチャーを呼ばねばならなくなった時、ワシらがロニー達を見捨てた事はどう響くかな? 人の心は杓子定規とはいかん。ワシらは村の安全が一番大事だが、それは今だけの事では無い。可能な限り後の事も考えて判断すべきだと思うぞ?」

「……確かに……仰る通りです……ですが、どうやって彼等の逃げる隙を作るんです? 敵の数は圧倒的です。立ち回りを誤れば、あっという間に全滅ですよ?」

 話を聞いていたマーシアは、彼らの顔色を覗いながら恐る恐る口を開いた。

「……あの……霧が消えれば……母さんの術で敵を足止めできると思います。母さんの精霊は術も強力だし……奇襲で打撃を与えて混乱させれば……敵が態勢を立て直す前に、逃げる時間を稼げると思うんです……」

「なるほどな。確かに、あの精霊の力なら出来るかもしれん。だが、どうやって霧を晴らす?これだけの霧、余程強い風が吹かんとすぐには消えんぞ?」

 イーゴリは、腕組みをしたままマーシアに諭す様に言った。

「……手だったら……あります」

 マーシアが、自信の無さから消え入りそうな声でこぼした。全員の視線が一斉に集まる。

「あ……でも風精霊アネモスが出来るかどうかですけど……聞いてみます。出でよ、風精霊アネモス

 アリシアの前に、風精霊アネモスが現れた。

「何? マーシア?」

 体調が心配だったが、籠で休んで少し元気を取り戻した様だ。

「ここに落ちている銀灰ぎんかいを全部使って、霧を綺麗さっぱり吹き飛ばせるかな? この辺の風精霊にも、お願いして協力してもらってほしいの……出来る?」

 マーシアは風精霊アネモスの前に跪き、彼女の顔を見つめながら不安げに頼んだ。

「こんだけ銀灰ぎんかいがあれば、霧を消すのは簡単よ。この辺の仲間も、あの霧っていうか謎の体調不良で困ってたみたいだし、頼めば力を貸してくれると思う」

「じゃあ……お願い」

 マーシアは、山と積み上がる銀灰ぎんかいを一掴み渡した。

「まずは、この銀灰ぎんかいを協力してくれる風精霊に渡して。足りなかったら、この辺りの霧を払ってから、ここの銀灰ぎんかいを使って。じゃあ、お願い! 頼むわね」

「うん、頑張ってくるわ」

 マーシアの懇願を聞いた風精霊アネモスは即座に姿を消し、大きな風を起こして飛び去った。

「決まりだな。ロニー達の所へ急ごう。手遅れになっては話にならん。イーゴリ、良いな?」

 ドミトリーは兜を被り直し、戦斧を背中に背負った。

「ええ」イーゴリが力強く頷き、仲間を見回した「……みんな集まってくれ!」

 イーゴリの呼びかけを受けて、ドワーフ達が駆け寄ってくる。

「すまんが、もう一仕事だ! 外のジョレス達にも伝えてきてくれ!」

 イーゴリの言葉を聞いたドワーフ達が、続々と身支度を整えたり連絡に走って行く。

「なぁ、この銀灰ぎんかいを少し貰っておこうぜ。これからの戦いに必要だろ?」

 ルパートが、跪いたままのマーシアの肩を軽く叩き、床に落ちる銀灰ぎんかいを指さす。

「……そうね」

 マーシアが立ち上がって頷いた。一撃を与えるのが目的の奇襲とは言え、これから圧倒的多数の敵と対峙するのだ。それまでに、どのくらい霧が晴れるか分からないが、魔法を使える者は少しでも術を強化して戦わねば、奇襲を掛けても返り討ちに遭いかねない。

 マーシアとクレア、そしてドワーフの魔法を使える者達が銀灰ぎんかいを拾い上げて使い、さらに自分の薬瓶に銀灰ぎんかいを詰めていく。皆が回収を終えても、まだ銀灰ぎんかいは山と残っていた。

 これだけの銀灰ぎんかいがあれば、町の外にいる風精霊達にも十二分に行き渡るだろう。

「イーゴリさん……すみません。あたしの我が儘のために……」

 マーシアが、申し訳なさで消え入りそうな声で礼を言い、深々と頭を下げた。

「ま……構わんさ。君達には助けられた借りがある。それに村の安全の為に、いつかは、ここの怪物共を追い払わねばならん。ワシらが来たのは、その為だからな」

 イーゴリは、微笑みを浮かべてマーシアを見た。

「それに、家族の為に必死になるのは当たり前だ。ワシも家族が危機に晒されれば同じ様にしただろうさ。気にするな! さ、頑張ろうか。皆とワシらの村の安全の為に!」

「……はい!」

 イーゴリは機嫌を悪くするかと思っていたが、逆にマーシアを気遣って見せた。

 マーシアの心から重さが消え、上げた顔と声にも元気が戻る。

 イーゴリの元に、準備を整えたドワーフ達が続々と集まってきた。

「よし! みんな聞いてくれ! 次のワシらの目的は一つ。怪物共に一泡吹かせてロニー達の撤退を援護する事だ。敵の包囲を解いてロニー達の脱出を確認した後は、彼らを援護しつつ仲間の下まで速やかに撤退する。この霧は、もうすぐ晴れるから気にするな。行くぞ!」

 イーゴリの檄を聞いて、集まってきたドワーフ達から一斉に鬨の声が上がる。

 マーシアはイーゴリと並んで先頭に立ち、全員で教会を後にした。

 駆けだしてからしばらくして、猛烈な風が吹き始めた。マーシアが空を見ると、大小様々な風精霊が飛び回り、その数が徐々に増えていく。その中にいた風精霊アネモスが降りてきた。

「マーシア! ケネスとロージーは石にされたけど、まだ治せるわ。アリシアとロニーは、まだ無事よ」

 マーシアの心に希望の光が差した。横では、ロニー達の無事を知ったイーゴリの顔がほころびる。後ろからは、ルパート達の喜びに弾んだ声が聞こえてきた。

 町の外からの嵐の如き風に流されて、霧が徐々に薄くなっていく。

 霧の薄くなった空からは、よく晴れた夏の青空が姿を現し始めた。

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