第41話

突入の時間が来た。マーシアは時計をポケットに戻して、そっと扉の取っ手に手を掛けた。

 慎重に力を込めて扉を開けたが、古い扉は蝶番の油が切れていたらしい。

 扉が盛大にギイッという軋み音を立てて、マーシアの顔が凍り付いた。

「任せな!」

 言うが早いか、ルパートが素早く扉を押し開けて右に走り、弓をつがえた。奇妙な機械の傍で何かの作業をしていた怪物達は、思わぬ事態に棒立ち。

 怪物達との距離は、五十パスル(約十五メートル)無いだろう。マーシアとトニーが扉から突入する横で、ルパートが最初の矢を放った。

 彼の、倒す敵を定める判断と行動の速さに、マーシアは驚きを隠せない。

 矢は、狙い違わず近くの山羊頭の胸に刺さり、怪物は膝から崩れ落ちて動かなくなった。

 ルパートが、即座に次の獲物に矢を放つ。これは山羊頭の腹に命中した。腹の矢を抜きながら、よろよろと逃げようとする怪物に、彼は二の矢を叩き込む。

 矢が胸に命中した怪物は、血を吐いて機械にもたれ掛かり、そのまま崩れ落ちた。

 二匹目の山羊頭が倒された頃、マーシアが雄叫びを上げ、ショーテルを振り上げて近くの黒い怪物を斬り捨てる。次いでトニーが、斧で黒い怪物をぶった切る。

 それを見て怪物達がようやく我に返り、怒りに満ちた吠え声を上げて襲いかかって来た。

 逃げようとした山羊頭の胸に、ルパートの放った矢が背中から刺さる。間髪おかずに放たれた二の矢を受けて、息絶えた山羊頭が床に転がった。

 その時、怒り狂う怪物達を再び悪夢が襲った。教会の両側の窓を叩き割って屈強なドワーフ達が突入してきたのだ。立て続けの不意打ちに、怪物達は慌てふためくのみ。

 イーゴリとジョレスの指揮を受けて、統率のとれた動きで戦うドワーフ達に対し、マーシア達の奇襲で指揮官を失った怪物達は、個々で場当たり的な行動しか取れない様だ。混乱の中で次々と討ち取られ、イーゴリ達の突入から程なく最後の怪物が地に伏せった。

 皆から、一斉に歓声が起きる。

「よくやった! だが安心するのは早いぞ! 隠れてる奴がいないか探すんだ! ジョレス、二人ほど連れて外の警戒を頼む。ミハイルは、あの機械を調べてくれ」

 皆の無事を確認したイーゴリが、素早く指示を出していく。

「イーゴリさん! 皆さんに、お怪我はありませんか?」

 マーシアが駆け寄って気遣う。イーゴリは笑顔を浮かべ、軽く片手を上げて応えた。

「おう、大丈夫だ。かすり傷の奴が何人か出ただけだ。大勝利だよ。それより霧を作っているのは、あの機械じゃないか?」

 イーゴリが礼拝堂の奥の方を指さした。割れた窓から入る霧で見難いが、小さな荷馬車程の大きさの四角い箱のような機械がある。その機械は、奥の部屋の暖炉と酒樽程の太さの皮パイプで繋げられている様だ。機械が暖炉の部屋に入らなかったのだろう。

 その機械を、イーゴリの部下らしき若者達が興味深げに調べていた。

 機械に近寄ると、小さく振動しながら低い唸り声の様な音を立てている。表面を慎重に触ってみると微かに熱を感じる。マーシアがさらに調べようとすると、横で機械を調べていた若者が、突然、わっ! と驚いた声を上げてへたり込んだ。

 見ると何か触って接続が緩んだのか、機械とパイプの接続部からシューッという音と共に、猛烈な勢いで霧が吹き出ている。

「イーゴリさん! これが霧を作ってるのは間違いないわ。すぐ止めましょう!」

「ミハイル! すぐにコイツを止めてくれ。スイッチかレバーがあるだろう?」

「……ダメです。そういう物がありません。仕組みが分かりませんから、止めるんだったら壊すしか無いですけど……どうします?」

 ミハイルと呼ばれた青年が、機械を調べる手を止めて困惑気味に言った。

 彼の部下らしき若者も、同意する様に頷いている。

「黒魔法の道具なら、騎士団に渡そうと思ったが仕方ないな。マーシア殿、叩き壊すぞ」

「ええ!」

 腰に下げる槌矛メイスを抜いたマーシアの横で、ルパート達も得物を構える。ルパートはドワーフ達から予備の戦斧を借りた様だ。

「掛かれ!」

 イーゴリの号令と共に、皆は罵詈雑言を喚きながら、槌矛メイスや斧を機械に叩き付け始めた。

 物静かに見えたクレアまでもが、怒声を上げながら憎々しげに槌矛メイスを叩きつける。

 霧を作る機械は、意外と脆かったようだ。怒りに任せて叩き付ける武器のせいで、見る間にへしゃげたり砕かれたりしていき、吹き出す霧はすぐに止まった。

 荒い息をしながら壊れた機械を見つめるマーシアは、足元から砂利が落ちる様な音がするのに気付いた。足元を見ると、銀灰ぎんかいがこぼれ落ちている。

「ルパートさん、ちょっとここを叩いて?」

「いいぜ。おらあぁぁーーっ!」

 ルパートが、怒声を上げてマーシアが指さす所に戦斧を叩き付ける。ガン! という大きな音と共に開いた裂け目から、ザアッっと言う音と共に大量の銀灰ぎんかいがこぼれ落ちた。

 壊れた機械から、流れ落ちる銀灰ぎんかいを見つめるルパートの顔に、何とも言えない怒りと悲しみが浮かんでいく。

「こんな物を動かすのに銀灰ぎんかいを集めさせてたのかよ! コイツのせいで仲間が……くそっ! くそおおぉっ!」

 ルパートが恨みの籠もった怒声を上げながら、クズ鉄と化した機械を何度も蹴り飛ばし、戦斧を叩き込む。それを見守るミハイル達が、ルパートの剣幕にたじろいでいる。

 忌々しい霧を止めて、ひとまず目的を一つ達成したマーシアは、こぼれ落ちる銀灰ぎんかいを見つめながら、どうやって母達の窮地を救うか思案を始めた。

 この機械は破壊したので、別の機械が無い限り新たな霧は出ないだろう。だが、外で感じた事だが、既に霧が酷すぎて術も精霊も役に立たない。外からの自然の風に任せて霧が晴れるのを待つしか無いが、それでは遅すぎる。

 霧が晴れる頃には、母達は殺されているか捕虜になっている。

 それに、霧が晴れても自分達四人だけで母達は助けられない。敵の数が多すぎる。

 敵に一泡吹かせるきっかけを作るだけでも、何とかイーゴリ達に手伝ってもらわないと、大勢の怪物から母達を救い出すのは不可能だろう。

 イーゴリ達に、圧倒的多数の敵と戦って欲しいと頼んでも拒否されるのは見えているが、それを何としても成功させなければならない。どうすれば引き受けて貰えるだろう?

 悩む間にも時間は過ぎるが、何も妙案が浮かばない。こうしている間にも母達は追い詰められていく。ぐずぐず考える時間は無い。早く何とかしないと手遅れになる。

 迷った末に、全身の勇気を振り絞ったマーシアは、緊張で少し声を上ずらせながらイーゴリに話しかけた。

「あの……イーゴリさん……すみませんが、一つお願いが……」

「お? どうしたんだ?」

 イーゴリが、マーシアを気遣う様に言った。

「実は……母さん達が敵に囲まれて危機なんです。どうか……どうか、あたし達と一緒に加勢をお願いできませんか……?」

 マーシアの表情と声に、無茶を頼む心苦しさがにじむ。

「町の住民全てが怪物という話だったな。風精霊の話では、昨日で三割近く倒したと言っていたが……ロニー君の爆弾作戦と、ワシらがここで倒した怪物の数を差し引いても、まだ百匹近くいるだろう。この人数で出向いても勝ち目は無いぞ?」

 イーゴリが、困り切った顔で呟く。

「奴らを倒してくれなんて言いません……何とか母さん達が逃げる切っ掛けが出来れば良いんです……勿論もちろん戦う時は、あたしが先陣を切ります。お願いします! 力を貸して下さい!」

 マーシアは、イーゴリに深々と頭を下げた。

「……そう言われてもだな……」

 イーゴリが、困り果てた顔で考え込み始めた。周囲のドワーフ達にも、困惑した様なざわめきが広がる。少しして、イーゴリは心苦しそうに口を開いた。

「……マーシアさん、残念だが、それは出来ん。この人数で出向いても全滅は避けられんからな。あんたの気持ちは痛いほど分かるが、ワシも村の者に死んでくれとは言えん。分かってくれんか?」

 十分予想でき、そしてそれが当然な答えだが、面と向かって告げられ、改めて心に絶望が満ちていく。何か説得する手が無いか必死に考えるが、何も良い考えが浮かばない。

 イーゴリと同じく、マーシアも、彼等に母達の為に死んで欲しいとは言えないのだ。

 彼らの助力が得られない以上、母達の死は避けられない。悲しさと絶望で涙がこぼれそうになったマーシアは、慌ててイーゴリ達に顔を見られないように俯いた。

 唇をかみしめ、泣き出さないように懸命にこらえるマーシアに誰かが近づいてくる。

 一人のドワーフが、マーシアの腕を軽く叩いた。

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