第40話

 前進を再開して数分経った頃、霧の真っ只中で再び水精霊ネロが止まった。

「濃霧で見えにけど……すぐそこに大きな建物があるわ……そこが霧の発生源だと思う……中から怪物の気配がするから気を付けて」

 水精霊ネロの声に体調の悪さが滲み出る。残った精霊が自分達二人だけなので、かなり無理をして導いたのだろう。これ以上、出ていて貰うのは気の毒に過ぎる。

水精霊ネロ、ここまで有難う。もう籠に戻って休んで。風精霊アネモスも有難う」

「……ゴメンね。そうするわ。何かあったら、また呼んで」

 掻き消すように水精霊ネロが姿を消した。次いで弱い風が起きる。風精霊アネモスも精霊籠に戻ったのだろう。精霊達が籠に戻った事を見たマーシアが霧の向こうに目を凝らすと、霧の向こうに薄らと建物が見える。

「まさかとは思っていたが……怪物共め、よりによって教会で黒魔法を使うとは!」

 建物に気付いたらしいイーゴリが、苦々しい顔で吐き捨てる様に呟く。

「知ってるんですか? イーゴリさん」

「ああ、ワシらは時々この町に来てたからな。主な建物は知っておる。教会の中も案内できるが……しかし、あの神官も怪物だったのか……」

「もう少し近づいて、様子を見ません?」

「そうだな」

 マーシアに促されたイーゴリは、小声で部下達に指示を出した。ドワーフ達の先導で、物音を立てぬ様に小走りで教会の門まで向かう。門から慎重に教会を覗うと、濃霧の向こうに古めかしい木造の教会と両開きの扉が薄らと見えた。

 マーシア、ルパート、イーゴリが門から慎重に様子を覗う。他のメンバーは、塀に隠れて周囲の警戒に当たる。

「あの建物は、それほど大きくない。そうだな……テッド商会と同じくらいだ。裏には墓地があるが、どうする?」

 イーゴリの言う通りなら、ここは放火された家より少し大きい位だろう。慎重に周囲を探るが、何かの気配も動く様な物音も無い。精霊がいないせいか風も全くない。

「一度、中を偵察した方が良いと思うけど……精霊に頼むのは無理ね……」

 いつもなら精霊に行って貰うが、水精霊ネロ風精霊アネモスも少し休ませないと、疲れ切っていて無理だろう。

「偵察ならオレが行くよ。そんなのも慣れてるからさ」

 ルパートが軽く片手を上げた。彼には危険な事を頼む事になるが、他に潜入や偵察に向いた人がいない。

「お願い出来るなら助かるわ。でも、くれぐれも気を付けてね」

「……ちょっと待て。怪物にとって重要な場所なのに、見張りがいないのは変じゃないか?」

 イーゴリが、訝しげな顔でマーシアを見た。マーシアも妙だと思ったが、すぐにその理由に思い当たった。

「……奴ら、敵が来るって思ってないんだわ。母さん達は怪物と戦ってるし、あたし達は、捕まってる筈でしょ? 皆さんが襲ってくる筈も無いから警戒してないのよ」

「……なるほど、一理ある。敵は油断してるって事か……」

 イーゴリは、納得できた様に二、三度頷いて視線を建物に戻した。

「この濃霧だ。土地勘の無い、あんた達じゃ迷うかもしれん。偵察に行くなら案内をつけよう」

 イーゴリはそう言って横を向き、小声で塀に隠れている若いドワーフを呼んだ。

 皮鎧とハンマーで武装した、精悍そうな面構えの男だ。

「ミハイルだ。彼は、先月この教会に何度か来ているから案内できる」

 ミハイルは、よろしくと言って手を差し出す。ルパートも、よろしくなと言って握手を交わした。

「じゃ、オレ達で様子を見てくるぜ。待っててくれ」

 ルパート達は、周囲を警戒しながら静かに霧の向こうに消えていったが、マーシアが思っていたより建物や敷地は小さかった様だ。五分も経たぬ内に帰ってきた。

「墓地には何も無いが、建物内に怪物が十五匹程いた。数はオレ達の方が少し多いと思う。種類は、黒い毛の奴がほとんどで残りは看守にいた山羊頭の奴が数匹だ。それと、教会の中にデカい妙な機械があったぜ」

 黒い怪物は、動きの素早さと長く鋭い爪が怖い怪物。猪人オーク小鬼ゴブリンなら腕に覚えのある一般人でも戦えるが、そんな怪物とは比較にならない強敵だ。山羊頭は、多分、そいつらを束ねる幹部で黒い怪物より手強いと思う。イーゴリ達の戦闘経験は分からないが、彼等に戦えるだろうか?

「イーゴリさん、あたし達は黒い奴と戦いましたけど、あれは侮れないです。どうします?」

 不安げに尋ねるマーシアを見たイーゴリは、ルパートと共に偵察に行ったミハイルに、何かを思い起こす様に尋ねた。

「……ミハイル、ひょっとして黒い毛の怪物というのは、時々、村に来る家畜泥棒か?」

「そうです。間違いありません」

 それを聞いたイーゴリの顔に、怒りが満ちていく。

「クソッタレめ! こんな所にいたとはな! 山羊頭とやらは知らんが、黒い奴は時折、村に来る盗人ぬすっとだ。動きは早いし、爪は脅威だがワシらは何度も戦っておる」

 憎々しげに吐き捨てたイーゴリは、自信たっぷりの顔でマーシアを見た。

「安心してくれ。ここに連れてきた奴らは村の精鋭だ。あの怪物なら負けはせん。こちらの方が数も多いしな。十五匹やそこら、復讐を兼ねて血祭りに上げてやろう」

「分かりました……でも、あの扉は狭いから一気になだれ込めないわ。どうします?」

 マーシアの視線の先にある教会の扉は、二人並んで入るのがやっとの大きさしか無い。

「……マーシアさん、オレ達が中を見た窓が使える。オレ達四人が扉から。その後にイーゴリさん達が両側の窓から突入して貰えば良いと思うが、どうだい?」

 ルパートが、教会を見ながら呟いた。

「不意を突いた上に、三方から囲めば怪物共は戸惑うな。包囲できる形の方が良かろう」

 イーゴリも賛同する。作戦は決まった。

「そうね。じゃあ、イーゴリさんは、あたし達の後に窓から突入お願いします」

「分かった。ワシらは今から配置につく。二分経ったら突入してくれ。ジョレス、お前は自分の部下を連れて右から行け。ワシらは左から行く。敵に感づかれんよう慎重にな」

 ジョレスと呼ばれた厳つい中年ドワーフが、小さく「おう」と手を上げて応えた。

 マーシアは鞄から懐中時計を取り出した。イーゴリとジョレスも鞄から懐中時計を取り出して皆で時間を確認する。時刻合わせが済んだドワーフ達は静かに移動を始めた。

 薄明かりの濃霧の中、辺りに再び静けさが戻る。

 ルパートが手に弓を持ち、背中の矢筒から矢を取り出しながら言った。

「マーシアさん、山羊頭はオレがやるよ。さっき見た感じじゃ、多分あいつらが指揮官だ。先に指揮官をやれば少しは楽になるだろ?」

「そうね、山羊頭はお願い。トニーさんは、あたしと一緒に斬り込んで」

「任せて下せえ」

 トニーが重々しく頷きながら、片手斧を構えた。

「クレアさんは、援護をお願い。後ろからの奇襲に十分気を付けてね」

「はい」

 マーシアは、腰に下げたショーテルを抜いて時間を待った。

 緊張で胸が早鐘を打ち始める。もう後戻りは出来ない。失敗は母とロニー、そして仲間達の死を意味する。緊張と重圧で、懐中時計を持つ手に汗が滲んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る