第38話

「本当? じゃあやるわ。何か策はある?」

 ルパートが、顔を近づけて策を伝えてきた。看守達は、階段上の様子を固唾を呑んで見守り未だ誰も自分達の内緒話に気が付かない。

「……了解よ。奴らと穴は任せて」

 マーシアは、少し悩んだが賛同した。今は何より時間が惜しい。

「じゃあ、縄と鍵は任せな。やるぜ」

 ルパートの囁きと共に、彼の靴の先から小さな仕込みナイフが飛び出した。刃の両側には縄を切りやすいようノコギリ状の歯が付いている。

 彼は、そのナイフをマーシアの手首を縛るロープに押し当てた。

「よし、そのまま手首を上下に動かしてくれ」

 マーシアが手首を動かした。縄からの細かい震動で、何が起きているか推測はつく。

 さすが盗賊と言うべきか、マーシアは捕まった時の事を考えていたルパート達の抜け目の無さに、心の中で感服した。

 慣れない事で、少し時間が掛かったが縄は切れた。マーシアがチラと横を見ると、隣ではクレアの靴でトニーが縄を切ろうとしている。

 作戦の成否は、騒がれる事なく二匹の怪物を倒さねばならない、マーシアの双肩に掛かっていると言っても過言ではない。失敗は絶対に許されない。覚悟を決めたマーシアは静かに息を整え、取るべき行動に備えて精神を集中した。

 縛られたふりを続けるマーシアの手を、ルパートが足で軽くつつく。自分とクレアの縄も切れたと言う事だ。さりげなく後ろを見ると、マーシアとトニーの後ろに隠れるルパートとクレアが、さりげなく自分の靴の踵から何かを取り出している。鍵開けの道具だろう。

 マーシアはじっと待つ。数分過ぎた頃だろうか?

 突如、上の階で怒号と剣戟の音が響き、階上の怪物達が一斉にどこかへ移動していった。

「始まりやがった」

 見張りが階段の上を見たまま興奮気味に呟いたその時、マーシアは素早く立ち上がって鉄格子に近づき、看守共を指さした。

穿うがて! 水精霊ネロ!」

 看守の一匹の頭に穴が空き、よろめきながら穴に落ちて串に貫かれた。もう一匹が異変に気付いて振り向いたが、彼に出来たのはそこまでだった。次の瞬間、マーシアの叫びで放たれた水弾丸で彼の頭にも穴が空き、彼は壁にもたれながら崩れ落ちたのだ。

 マーシアが立ち上がった瞬間、ルパートが鉄格子に駆け寄り、鍵の解錠を始める。

 彼は瞬く間に鍵を開け、マーシア達は鉄格子の外に出て穴を見下ろした。

 扉と穴の間に、助走や腕を振って勢いをつける隙間は無い。穴の幅は、目測だけで無く何度かトイレに行く時に、歩幅で大まかな距離を計測してある。

 距離は、概ね九パスル(約二.七メートル)で、鋭い串が多数生えた穴を飛び越え、廊下のクランクハンドルを回して板を下ろさねばならない。

「ふぅ、曲芸師としての腕の見せ場ね」

 曲芸師として、綱渡りや玉乗り等の軽業の腕を磨いたマーシアは、多分、この中で一番、体のバランス感覚等が優れていると思う。だが、その自分でも幅九パスルを助走無しで飛ぶのは無理。狙うのは、穴の中央付近に並んで立つ小さな三本の木の柱だ。

 距離四パスルと少し(約一.二メートルと少し)程の距離にある、縦横〇.二パスル(約六センチ)位の柱の上に飛び乗り、そこからさらにジャンプして廊下に降り立つ。

 簡単だと思うが、柱でバランスを崩せば全身串刺し。緊張で手に嫌な汗が湧く。

「ルパートさん、もし失敗したらゴメン。その時は自力で何とかして」

「ああ、だが大丈夫さ。あんたの軽業の腕なら楽勝だ」

 マーシアは、リッチモンドの館を出た時、子供達にせがまれて玉乗り等の簡単な軽業を見せた時を思い出した。あの時、ロニーやルパートは目を丸くして自分の芸を見ていた。

「有難う。じゃあやるわ」

 マーシアから、微笑みがこぼれる。だが、すぐに表情を改めた彼女は、自分を落ち着かせる様に二、三回深呼吸して、意を決したようにジャンプした。

 右足が柱の上に乗る。ここまでは楽勝で誰でも出来る。

 その勢いのまま再度ジャンプした時、柱を蹴った足先に違和感を感じた。

「え?」

 蹴った足の力がすっぽ抜けた様な、蹴られた柱が後ろに少し倒れた様な感じがする。

 木の柱が深く刺さっていなかったか、根元が腐っていて倒れたのだろう。

「マーシア!」

 後ろから、水精霊ネロの小さく悲痛な叫びが聞こえた。続いて、クレア達の「ひっ!」とか「なっ!」という短い悲鳴が続く。

 とても廊下まで届かない。全身に悪寒が走り、脳裏に、串に体を貫かれるおぞましい光景が浮かんだ。体が力無く落ち始める。

「こっのおっ!」

 渾身の気合いと共に、目前に迫った床に目一杯右手を伸ばしたが、まだ少し遠い。

 ダメだと思ったその時、辛うじて指が床を掴んだ。即座に体をひねり左手も床に掛ける。

 落下の勢いで指が床から離れそうになったが、渾身の力で何とかそれを食い止めた。

 後ろから、小さな安堵のため息が幾つも聞こえる。

(し、し……死ぬかと思った……)

 マーシアは荒れた息を整え、床によじ登って板を下げるハンドルを回した。

 無事に板が穴の上に渡され、ルパート達が廊下側に移動した時、上から凄まじい爆音が轟いて館が小さく震えた。その直後に、逃がすなだの全員で追えだのと言った野太い怒鳴り声が上から聞こえ、再び爆発音が響く。その後、大勢の足音が遠ざかっていった。

 アリシア達が来たに違いない。マーシア達が階段を駆け上がろうとしたその時、階段の上から風精霊アネモスが飛んできて嬉しそうに叫んだ。

「良かった、脱出出来たのね! 上に敵はいないわ。アリシア達が時間を稼いでるから、すぐ逃げよう!」

 再会と脱出の喜びに溢れる風精霊アネモスだが、マーシアは焦りで気が気では無い。

「ええ。でも、あたし達の荷物がどこか知らない?」

 早くここを出ねば、アリシア達に負担が掛かる。

「上の部屋にあったわ。行こう!」

 アリシア達が、時間を作ってくれている間に脱出しないと全てが水の泡。

 マーシア達は、はやる心を抑えながら風精霊アネモスの先導で階段を駆け上がっていった。

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