第37話
マーシア達が、この狭く暗い牢に閉じ込められてから、どの位経っただろうか? 目隠しをされて連れてこられたので、ここがどこか分からないが、荷物を取り上げられて目隠しを外され、閉じ込められてから一日は過ぎたと思う。
牢は、三方を石壁で囲まれ床も冷たい石の床。天井の木の板からは時折足音がする。
前は、鉄格子と南京錠で閉じられた扉。そのすぐ外に、幅がこの牢と同じで奥行き九パスル(約二.七メートル)位、深さ十パスル(約三メートル)以上の大きな穴がある。穴の底は長く鋭い串が多数突き出していて、落ちれば串刺しは免れない。
穴の向こうに少し幅の広い廊下があり、その端に上への階段がある。廊下では、人に化けている時に着ているのであろう、農夫の服を着た山羊頭の男の怪物が三匹、小さい机を囲む粗末な椅子に座ってマーシア達を監視していた。
明かりは、彼等の机の上のランプが一つだけ。その蝋燭程度の明かりでは、この牢まで十分な光が届かず、部屋は、ほぼ真っ暗。
マーシア達は、全員この暗い牢で後ろ手に縛られていた。閉じ込められてからの食事は、ガチガチに固くなった粗末な黒パンと水が数回与えられただけ。
トイレに行く時だけ、怪物が壁の大きなクランクハンドルを回し、滑車と縄で穴の上に上げられている板が下ろされて橋となり、怪物に連れ出される。用事が済むと牢に入れられ、板は再び天井まで上がっていく。
板は、厚すぎると重さで上げにくいのか厚みは薄い扉位しかない。その厚みでは九パスル程の幅を板だけで支えるのは難しいらしく、板は穴の中央に横並びに埋められた、小さい三本の木の柱に支えられる仕組みになっていた。
マーシアは、閉じ込められてから懸命に脱出方法を考えたが、妙案が浮かばなかった。
彼らは、食事の時でも決して一度に全員の縄をほどかない。食事の際は看守が増え、二名が牢で食事を取る間、残る二名は牢の外に出され、縛られたまま首に剣を当てられるのが常で迂闊な事ができない。
脱獄するなら、手の縄、牢の鍵、串付き落とし穴、看守の四つの障害を乗り越えないと、牢から出る事すらままならない。
懸命に考えを巡らせる内に、いつの間にか座ったまま眠っていたが、少しひんやりとした空気を感じて目が覚めた。恐らく朝になったのだろう。
寝たふりをしながら薄目で看守達を見ると、何かのカードを使った博打に興じている。
何も変わりない事を見たマーシアが、目を閉じて脱出の手が無いか思案を始めたその時、階段の上から怪物が一匹、騒々しい足音を立てて駆け下りて来た。
再び薄目を開けると、降りてきた怪物はマーシア達を一瞥して、囁き声で看守達に何かを伝えた。それを聞いた看守達は、即座にカードを置いて遊びを止め、机の上の硬貨を各自のポケットに収めて、看守の一匹が降りてきた怪物と共に階段を駆け上がっていく。
「何だろうな? とうとう、オレらが食われる番か……?」
後ろでルパートが力無く呟いた。騒々しい足音のせいで、寝ていたルパート達が目を覚ました様だ。後ろでクレアが小さく
起きた振りをして後ろを見ると、クレアが虚ろな顔で床を見ていた。
マーシアもそうだが、後ろ手に縛られていては横になれず、いつ殺されるか分からない緊張のせいもあり、ウトウトしても何かの切っ掛けですぐ目が覚める。
このままでは心と体が持たない。怪物共の気もいつ変わるか分かった物では無いし、自分達が捕らわれていては母達の障害になる。何とかして早く脱出したい。
思案を巡らせていると、上がにわかに騒々しくなった。大勢が足音を抑えながら動き回っている様だ。天井の上にも大勢の人、いや怪物が集まって息を殺しているのが分かる。
チラと目をやると、看守達はマーシア達に目もくれず階段の上に気を取られていた。
「……いよいよ食われるのかと思ったが、違うのか?」
ルパートの訝しげな囁き声を聞いて振り向くと、彼は、何かを注意深く観察するような目で天井を見ている。
その時、マーシアとルパートの間の地面から少女の囁き声がした。
「マーシア、ネロよ。アリシアから伝言」
次の瞬間、その石畳の隙間から音も無く水が湧き、宙に浮く小さな少女の姿を取った。
マーシアには
「お前ら、奴らに気取られる!」
ルパートが何かに気付いた様に鋭く囁き、何事も無いかの様に先程までと同じく前を見た。
トニーとクレアも、即座に先程までのように振る舞う。
「ごめん、有難う」
「救助って……上手く行くと思う?」
マーシアは
「まぁ……作戦が全部成功して五分五分かな? そうだ、あたし達と術の力を抑える現象の正体は暴いたわ。町に出た霧よ。それを止める手立ても行ってるけど、人が足りなさすぎね」
「分かったわ。他に何かある?」
「アリシア達は、救助が失敗したら
「有難う。じゃあ、また呼ぶから力を貸して」
「うん」
(どんな手を使ってでも、ここをすぐ脱出しないと!)
母が来る。それを聞いたマーシアは、囚われの自分の身の上より、実の母同然の彼女の身を案じた。決して、自分が母の足を引っ張る様な事になってはいけない。
さりげなく看守達を見ると、彼らは相変わらず階上の様子に気を取られて、自分達に全く注意を払っていない。捕虜が逃げるとは夢にも考えていないのだろう。
脱出するなら絶好の好機。武器は無いが
ルパート達にも今の話が聞こえた様だ。後ろから囁き声が聞こえる。脱出策を相談しているのだろう。
「なぁ、上の奴らはロニー達に備えてるんだろ? どうする?」
クレアとの話を終えたルパートが、囁き声でマーシアに尋ねた。
「今なら術で奴らを倒せるわ。穴も、あたしが何とかする。母さん達の突入と合わせて行動したいけど……でも、どう考えても、この縄と鍵がどうにもならないのよ」
マーシアが残念そうに囁いた。今が脱出のチャンスなのは分かっている。
だが、今までも様々な脱出策を考えたが、この縄と扉の鍵でお手上げなのだ。
「あんたが、看守と穴を何とか出来るなら助かるぜ。縄と鍵ならオレ達に手がある」
ルパートの声に、先程までの全てを諦めた様な気だるさは無かった。
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