第36話

 ロニーの前後で激闘が続く。戦いの音を聞き、館の偵察に出た精霊達も戻ってきた様だ。

 後ろの扉では、ケネスとロージーが二人掛かりで黒い怪物と対峙し、アリシアは指示通りケネス達のサポートに徹している様だ。

 待ち伏せを受けたが、今のところ被害は無い。ロニーは、まずは互角に渡り合えていると感じたが、敵はそれほど甘くなかったらしい。

「鬱陶しい! くたばれ!」

「ああーーーーっ」

 黒い怪物の首を刎ねたロニーの後ろで、中年男の憎々しげな甲高い叫び声がしたかと思うと、ロージーの苦痛に満ちた悲鳴が上がった。

「ロージーーーーッ!」

 ケネスの絶叫が響く。最悪の事態が起きたかも知れない。

 ロニーは、懸命に正面の敵を食い止めながら叫んだ。

「ロージーさん! 大丈夫ですか!」

「……ま、まだいけます!」

 ロージーの声には、苦痛の色がありありと窺える。彼女は、まだ何か言おうとしたが、それを遮る様にアリシアが叫んだ。

「無理よ! 応急治療じゃ持たないわ。ロニー君、退きましょう!」

 アリシアが見ても、ロージーを襲った怪物、恐らくテッドが意外と強いのだろう。

 ケネス達では持たないとみた。犠牲が出ない内に撤退しないと、退却の機会も失われる。

「分かった。窓を頼みます!」

 ロニーは、新たな怪物を斬り伏せながら叫んだ。

「このおっ!」

 後ろから、ロージーの叫び声と共に窓が割れる音がしたその時だった。

窓の外から大爆音が轟き、館が小さく震えた。天井から砂埃まで落ちてくる。

 怪物達は、一瞬、我を忘れた。リッチモンドも何事かと周囲を見回している。

炎精霊サラマンダー、唯今戻りました」

 後ろから低い女性の声がする。今のは、穀倉の爆弾が予想外の大爆発を起こした音だろう。

「今だ!」

 ロニーが振り向きざまに叫ぶと、アリシアとロージーが窓から体当たりで外へ出た。

「逃がすな! 全員で追え!」

 リッチモンドが忌々しそうな表情を浮かべ、部下達を野太い声で怒鳴りつける。

「くそっ!」

 ロニーは思わず悪態をついた。ケネスと共に窓に走るが、我に返った敵の動きが早い。

「早く!」

 アリシアが、窓の外から叫ぶと同時に何かを投げ込んだ。

 床に当たり、木の板に重い石が落ちた様な音を立てたそれは、握り拳ほどの黒い固まりで、伸びる線から火花を放っている。それを見たロニーの顔から、瞬時に血の気が引いた。

 爆弾だ! 全部使ったはずだが、一つ隠し持っていたらしい。

 怪物共も、それの正体が分かったらしい。部屋になだれ込んだ怪物共が慌てふためいて引き下がり、狭い扉の前で我先に逃れようと懸命に足掻く。

 窓に着いたロニーとケネスが、アリシアとロージーに外から手を引っ張られて転がり出たその時、爆弾が大きな音を立てて爆発した。怪物共の絶叫と怨嗟の声が湧き上がる。

「行くわよ! 早く!」

 アリシアに促されて、ロニー達は広い庭を駆け出す。ロニーは、怪物達に聞かれないよう小声でアリシアに声を掛けた。

「アリシアさん、マーシアさんに脱出する様に伝えて!」

「ええ。風精霊アネモス、お願い!」

「承知よ!」

 風精霊アネモスが、即座に姿を消して一陣の風となって去っていく。

 後は、何とかマーシア達が脱出するまで囮として敵を引き付けるだけ。

 風精霊アネモスが去ったのを見たロニーは、走りながら穀倉の方向を見た。

 アリシアがぶちまけた大量の銀灰ぎんかいのせいで、予想外の大爆発が起きたが、霧で精霊の力が衰えても、あれほどの大爆発なら爆風で霧も幾分吹き飛ばされただろう。

 計算外の事だったが、これで囮としての戦いも少し楽になるかもしれない。

 ロニーが希望を胸に穀倉の方を見ると、穀倉上空に漂う霧が薄れているのが見えた。

 薄くなった霧の向こうには、朝焼けの空が薄らと見える。

 だが、ロニーの目に浮かんだ希望の光は、見る見る間に絶望の色に覆われていく。

 薄まった霧が、ゆっくりと濃くなっているのだ。

「そんな……まだ霧が止まってない」

 独りごちたロニーの声が聞こえたのだろう。アリシアも穀倉の方を見て声を失った。

「……霧が止まるのが遅すぎるわ。まさか……イーゴリさんに何かあったのかしら……」

「……そうとしか考えられないです」

 ロニーに苦悶の表情が浮かぶ。イーゴリ達に何があったのか分からないが、時間的に、もうとっくに霧が止まっていないとおかしい。

 囮役で精一杯のロニーは、彼等の無事と成功を祈る事しか出来ないが、肝心要の彼等が最悪の事態になっていた場合、ロニー達も全滅しかねない。

 どうにもならない事は横へ置き、今、出来る事に集中すべく頭を切り替え、懸命に広い庭を駆ける。もうすぐ門に辿り着くという所で、さらなる悪夢がロニーを襲った。

「ひっ! あ、あれ!」

 ロニーの後ろから、ロージーの恐怖に満ちた悲鳴が上がる。

「ロニーさん! 右に怪物が!」

 ケネスの叫びを聞いて、即座に示された方を見た。濃霧の向こうに、夜明けの薄明かりを背にして、ロニーの背丈の倍はある巨大な怪物の影が数体見える。

「ちっ! とにかく走って! ここじゃ挟み撃ちになる!」

 怪物の影を見たロニーは思わず舌打ちをこぼした。術が弱体化している今、この巨躯の怪物に勝つのは容易ではない。

 一昨日、馬車でヴェルゴーに入る前の風精霊シルフの偵察では、あんな怪物がいるとは言っていなかった。知っていれば対策を考えたのだが、今更悔やんでも仕方ない。

 リッチモンド達は、一体、何処にあんな目立つ怪物を潜ませていたのだろう?

 沈む心を振り払う様にロニーは頭を振り、皆と門を目ざして懸命に走った。

 何としてもマーシア達が脱出する時間を作り、自分達も安全に逃げなければならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る