第23話

 ロニー達が棚を持って食堂に入った時、霧が淡く漂う食堂では、食器棚や運び込まれた寝室のタンスが、食堂の二つの窓を塞ぐように設置されつつあった。

 ロニーの前で鎧戸から弱い風が吹き、風精霊シルフが窓から死角になる壁際に姿を現す。

 彼女の体が淡く光るため、外から見えない様にする配慮だろう。

「怪物達が、約三百パスル(約九十メートル)まで接近。速度を落として、ゆっくりとこちらに来ています。数は五十体以上」

「有難う。一旦籠に戻って」

「御意」

 棚を運ぶアリシアの指示を受けた風精霊シルフが、姿を消した。

 窓際に棚を置いたロニーの後ろで、トニー達とネリー達が寝室の家具を運んで来た。ロニーは素早く食堂内の家具を数える。籠城に必要な最低限の数は揃ったと見て良い。

「トニーさん、敵が近くまで来ました。扉を家具で塞いだら皆さんも戦闘準備を」

「分かりやした」

 家具を置いたトニーが扉の鍵を掛ける。次いで寝室から運んだ家具が扉を塞ぐ様に置かれ、ひとまず窓と扉の封鎖が完了した。全員が手早く防具を纏い、戦いの身支度を調える。

「あなた達は魔術師って言ってたわね。精霊が力が出しにくいって言ってるから、念の為に銀灰ぎんかいを使った方が良いかもしれないわ。持ってる?」

「はい」

 アリシアに聞かれたネリーが頷き、クレアと共に鞄から小さい瓶を取り出した。

 彼女達は、瓶から銀色の小さな粒を一つ取り出して、短く祈りの言葉を呟く。

 祈りが終わると、銀灰ぎんかいはシュッと言う小さな音とともに、一瞬だけ、ごく小さな銀色の炎を上げた。これでしばらくの間、彼女達の魔法は大きく威力を増す。

「マーシア、貴方が戦いに使う精霊にも与えて。彼らの力が増すから」

 マーシアが傍に居た風精霊アネモス水精霊ネロ銀灰ぎんかいを与え、アリシアも自分と傍に控えていた水精霊ウンディーネに使い、それぞれ謎の現象での精霊の消耗を避ける為、精霊達を籠に戻らせた。

 皆の準備が終わったのを見たロニーが、小声で指示を出す。

「窓は、僕とルパートさんが受け持つ。トニーさんとターナーさんは、扉から来る敵を頼みます。ネリーさんとクレアさんはルパートさんとトニーさん達を援護して下さい。アリシアさんマーシアさんは自分の判断で援護頼みます。あと、マーシアさん、敵が来たら天井のシャンデリア辺りで光精霊を光らせて。上手く行けば明かりと目潰しが出来る」

 全員が頷く。次いでアリシアが全員を見回しがら言った。

「皆、防御の術を使うわ」

 打撃や斬撃等の、物理的な被害を軽減する防御の術が効いていれば、犠牲を抑える助けになる。だが、異様な早口で術を詠唱し終えたアリシアが、怪訝な顔で術を放った手を見る。

「…………変ね……思ったほど術が効いてないわ」

「そ、それ……私もです……こんな事はじめて……銀灰ぎんかいも使ったのにどうして?」ルパートの剣に何か術を使ったクレアが声を震わせ、恐怖に満ちた顔でアリシアを見る。「奴ら……そ、外で何かやったんでしょうか? それとも……こ、ここに何か罠が?」

「怪物が何かしたら、監視してた精霊が報告する筈よ。罠とか結界も違うと思う。あれだけ徹底的に探して見落とすなんてありえない。憶測だけど精霊の力が出ないのと同じ原因かも」

 アリシアの言葉に、ロニーも同意せざるを得ない。

 夕食前に行った罠探しで、凄腕の盗賊のルパート達と、人の目に見えぬ物を見抜く精霊達が天井裏や床下まで徹底的に探したのだ。まだ、家に何かあるとは思えない。

「原因が分からないけど術はアテに出来ないわ。あなた達も武器を」

「……はい」

 クレアが震える声で答え、ネリーと共に槌矛メイスを取り出した。アリシアも両手にマンゴーシュを持つ。

 その直後、家のあちらこちらから何かが叩き壊される音が響き渡った。

 食堂の鎧窓もあっという間に叩き壊された。怪物共は二カ所の窓から侵入を試みている様だが家具に阻まれて手こずり、家具を外から蹴り倒そうとする激しい音が窓から大きく轟く。

 全員が一言も発さず、張り詰めた空気の中でその様子を見守っている。

 窓の家具が蹴られ始めて間もなく、片方のタンスが倒されそうになった。その前にロニーが立って剣を抜き放つ。ロニーは、手でルパートにもう一つの窓に向かうよう指示した。

 ロニーの前のタンスが、一際大きな音とともに倒された。埃が舞い、大きく開いた窓から差し込む弱い月明かりを背に、大柄な猿の様な怪物の、漆黒の姿が浮かび上がる。

 怪物は、少し食堂内を伺う様なそぶりを見せて飛び込んできた。ロニーは素早く怪物との距離を詰めて、長い爪の生えた腕が振り下ろされる前に剣を振る。剣から柔らかい肉を切り裂く感触が伝わり、怪物の凄まじい悲鳴が上がった。少し遅れてビチャビチャと内臓が床に撒き散らされる音と、腹を割かれた怪物が、どうと床に落ちる音が食堂内に響く。

 戦果を確認する間もなく、次の怪物が窓辺に立った。断末魔の悲鳴を上げながら激しく床でのたうつ怪物は、アリシアが素早く駆け寄り、短刀を突き刺してトドメを刺した。

光精霊フォス! 光を!」

 マーシアの叫びと同時に、天井のシャンデリアの辺りから猛烈な白い光があふれ、周囲を明るく照らし出す。ロニー達は頭上の光で明るく見やすくなっただけだが、怪物共はどうだろう?

 浮かび上がった怪物は、ラングドン一家の倉庫で見た黒い毛に覆われた怪物だった。

 光を直視して目の眩んだらしい二匹目をロニーが切り裂いた頃、ルパートの前の窓を塞ぐ食器棚も倒されて怪物が乱入した。怪物は、ルパートの剣で袈裟懸けにされたが傷が浅い。

 怪物の傷跡に小さく霜が張ったのを見て、ルパートが驚いた様に目を見開く。

「クレアの凍結術で……これだけかよ!」

「穿て! 水精霊ネロ!」

 ルパートに斬られて藻掻く怪物に、マーシアが水弾丸を撃ったが、怪物は血の流れる腹を押さえながら、なお起き上がろうとする。マーシアが悲鳴にも似た声を上げた。

「うっそ? 信じらんない!」

 二度の攻撃を受けて痙攣する怪物は、ルパートが再び剣を突き刺してトドメを刺した。

 だが、安心する間もなく、食堂の扉から何かを叩き付ける音が響き始めた。他の部屋から侵入した怪物共が来たのだろう。

「うおおおーーーーっ」

 ロニーの雄叫びと共に剣が振り払われ、ルパート達の方にまで怪物の頭が転がっていく。

 ロニーが血祭りに上げた三匹目の怪物だ。怪物達は、部屋に入ると眩い光がどうしても目に入る様だ。部屋に入ると、一瞬、目を天井から背ける様な動きを見せて隙が生まれる。

 そこを突けば、この怪物は何とかなる。

 ルパートが斬った二匹目の怪物を、クレアが恐怖を振り払う様に雄叫びを上げながら、渾身の力で怪物が動かなくなるまで槌矛メイスを叩き付ける。

 その時、遂に扉から家具が叩き壊される派手な音が轟いた。

 獰猛な吠え声と共に怪物が一匹飛び込んできたが、何かに躓いた様だ。

 トニーが、すかさずその背に斧を叩き込んで黙らせたが、その間も後ろから続々と新手が現れる。この扉は幅が広く、少し小柄なこの怪物は二匹並んで侵入出来るのだ。

 アリシアが、扉からトニーに迫った新手を逆手に構えたマンゴーシュで切り裂く。その横をさらに新手が駆け抜けたが、その前にターナーが立ちはだかった。

「援護してくれ! 三人じゃキツイ!」

 怪物の攻撃を、剣で懸命に受け止めながらターナーが叫ぶ。

「ネリー! マーシアさん! 行ってくれ! ここはオレとクレアでいける!」

 即座にネリーとマーシアが扉の援護に回った。どこか一匹でも怪物が入り込めば、他のメンバーが死角から攻撃を受ける。そうなれば、守りはすぐに崩されて全滅は必至。

 シャンデリアの放つ眩い光の下、ロニー達は懸命の戦いを繰り広げた。

 夜明け前とは言え、夏が近く食堂内は蒸し暑い。滝の様な汗が流れる中、ロニーは懸命に剣を振るい、六匹目の怪物を袈裟斬りに斬って捨てた。息を整える間もなく新手に備えて剣を構えたロニーは、窓の外に怪物の姿が無い事に気付いた。

 ルパート達をチラと見ると彼等も同じらしく、武器を構えて窓の外に目を凝らしている。

 ロニーの後ろで怪物の絶叫が上がり、怪物が床に倒れる重い音が響いたが、それを最後に剣戟や怒号が収まった。静まり返った食堂内に仲間達の荒い呼吸の音が響く。

「アリシアさん……新手は止まりましたか?」

 むせ返る怪物の血の匂いの中、ロニーは荒い息のまま、窓を見据えて声を潜めて尋ねた。

「……ひとまずね……風精霊シルフを偵察に出すわ」

 アリシアが何事かを呟くと、ロニーの横から窓へ向けて風が通り過ぎた。アリシアの風精霊シルフだろう。それから一分も経たぬ内に再び窓から食堂へ風が吹いた。

「奴らは一旦退いたようです。六十パスル(約十八メートル)ほどの距離を取って、建物を包囲しています」

 仲間達から、一斉に安堵のため息や小さな歓声が上がった。

 ロニーも、ひとまず警戒を解いて食堂内を見回す。霧の漂う室内には、叩き壊された家具と二十匹位の怪物の死体や臓腑が散らばる惨憺たる有様で戦いの激しさが窺えたが、仲間は誰一人欠けておらず目立つ怪我も無い。

 戦闘中の怒号や叫び声で戦況は把握しているつもりだったが、自分の目で仲間達の無事を確認してはじめて、ロニーは犠牲を出さずに怪物共を退けた事に胸をなで下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る