第22話
ロニー達と領主リッチモンドの会談は、心配とは裏腹に友好的な雰囲気で終わり、何事も無く興行の許可を得られた。さらに、領主の厚意により、宿が無いこの町での宿舎として、町の中心から少し外れた家があてがわれた。
ロニー達が広い屋敷を出ると、太陽が間もなく山の端に落ちようとしている。
屋敷を出てすぐ、旅芸人の来訪を知った子供達にせがまれ、マーシア達が簡単なジャグリングや玉乗り、手品をして見せたが、目を輝かせて芸を見る子供や畑から戻った村人達は、どう見ても普通の人間にしか見えない。
夕暮れも近いので芸は適当な所で切り上げ、領主の使用人の案内で宿舎へ向かう。
町の様子に違和感は無い。家々の煙突から夕食を作る調理の煙が立ち上り、美味しそうな料理の匂いが鼻をくすぐる。中からは家族の談笑も聞こえる。
至って普通の田舎町の夕方の風景だ。彼等の大半が、実は怪物だと言う事を除けば。
宿舎へ続く道の両側には、空き家となった古い商店風の建物が建ち並び、町の昔の繁栄ぶりを
「こちらでございます。中の物はご自由にお使い下さい。それでは、これで失礼いたします」
使用人の初老の男が、鍵をロニーに渡して、深々と頭を下げて帰って行った。
ロニー達は薄暗い建物に入った。建物は平屋でそれほど大きくなく、店内に残された棚などを見るに昔は食料品か何かを商う小さな店だったようだ。ルパートが言うには、この建物は、ギルバート商会の者が泊まる時に使っていた家では無いか? との事だった。
ロニー達は、建物に怪しい物が無い事を確認してから、夕食の準備を始める。
敵地での緊張に満ちた夕食が済んだ後、ロニー達は当初の予定通り、リッチモンドも見知らぬ自分達を警戒しているかもしれないので、今夜の探索は控える事にした。
万一の夜襲に備えて交代で見張りを置き、それ以外の者は明日に備えて眠りについたが、周囲を大勢の怪物に囲まれている緊張はロニーでさえ如何ともしがたい。特に、偽ラングドン達との戦いで、怪物の手強さと恐怖を知ったルパート達は中々眠れないようだ。
気が立っているのか、外で僅かな物音がするだけで飛び起きる者までいる。だが深夜になる頃には、疲れからか微かに寝息が聞こえ始め、何事も起きぬまま静かに夜は更けていく。
あと一、二時間で夜が明けようかと言う頃に、見張りはロニーとマーシアに交代した。
部屋の三つの窓の両端で、ガラスの無い閉めた鎧戸の隙間から慎重に外を窺う。
部屋では、男性四人と女性四人が別々に一塊になって寝ている。本当は男女別の部屋で寝るつもりだったが、状況を考え、寝る直前になって、やむなくこの形を取ったのだ。
女性達の要請で、空中に
男が血迷った事をすれば、彼女が遠慮の無い制裁を与える事になっているのだ。
異変は何も無い。近くの大きな川が流れる音と虫の声以外に音は無く、静かに時間が過ぎていく。外で、姿を消して周囲を見張る
「ん?」
見張りについて何度目だろうか? ふと、ロニーが鎧戸の隙間から外を見た時、隣の建物が霞んでいる事に気付いた。もうすぐ山の端に沈もうとしている月を見ると、月も霞んでいる。
遠くを見ると、交代時には月明かりに照らされて遠くまでよく見えたのが、今は遠くは霞んで見えなくなっている。霧が出てきた様だ。
マーシアに声を掛けようとしたが、彼女は疲れからか粗末な椅子に座ったままウトウトしている。彼女を起こすか迷ったロニーの元に、
マーシアを、起こすのを遠慮した様だ。
「ロニーさん、あたし、急に体がだるくなってきたんだけど、何か変な事は起きて無い?」
「いや、何も無い。強いて言えばいつの間にか霧が出てきたくらいかな」
「変ねぇ……あたし、こんな事初めて」
精霊の体調の事を聞かれても、ロニーには何も分からない。
「……僕じゃ、まだ君達の事はよく分からないから、マーシアさんを起こすよ」
ロニーは静かにマーシアの元に歩き、そっと肩を揺すって小声で声を掛けた。
「マーシアさん……マーシアさん」
「ご、ごめんなさい。何? どうしたの?」
マーシアが、ビクッと体を震わせて飛び起きた。
「ゴメンね。あたし、少し体がだるくなってきたのよ」
マーシアが、前に来た
「別に……変な所は無いわ。ロニー君、外はどう?」
「霧が出てきただけ。さっきまで無かったと思うんだけど?」
ロニーに促されたマーシアが、鎧戸の隙間から慎重に外を見る。
ロニーは、部屋にも霧が入り込んでいる事に気付いた。月明かりで分かったが、霧は鎧戸や家の僅かな隙間から入っているようだ。
「霧なんて無かったのに変ね。あたし達が見張りについてから、まだ半時間程しか経っていないけど、霧ってこんなに早く濃くなるのかしら?」
マーシアが、ポケットから懐中時計を出して時刻を見ている。
「出でよ、
彼女の囁きに応じて
「
「……籠から出て、ちょっと体の重さを感じるわ。こんなの初めてだけど何だろう?」
「精霊が、急に二人も具合が悪くなるって変だと思う。アリシアさんを起こそう」
「そうね」
マーシアが、静かにアリシアのベッドに向かうのを見たロニーは窓に視線を戻した。外の霧は徐々に濃くなっている気がする。注意深く外を見るロニーの横に、アリシアが欠伸をかみ殺しながら、少し気怠そうにやって来た。
「出でよ、
アリシアが、自分の
「
「……ここに出てから、何かで力を抑えられている気がします。まだ普通に動けますが、このままではいつまで持つか」
その言葉を聞いて、ロニーの心に緊張が走った。
外では
「アリシアさん、一度に三人も精霊が弱るって、ひょっとしたら怪物が何かしているのかもしれない。外を見張ってる精霊も弱ってるかも知れませんし、皆を起こしませんか? この濃霧で、敵に気付くのが遅れたら不意打ちを食らう」
ロニーの囁きを聞いたアリシアが、すぐに鎧戸の隙間から慎重に外を見た。
「……そうね。すぐに皆を起こしましょう」
「分かりました。でも明かりを点けずに静かに起こして下さい。もし敵の奇策だったら、僕達は寝ていると思わせた方が良い。マーシアさんは見張りをお願いします」
マーシア達は、表情を改めて黙って頷いた。寝ている者を起こし終えた頃、鎧戸の隙間から風が吹き込み、外で見張りをしていた
「アリシア様! 悪魔系と思しき数十体の怪物が接近中! 五分程でここへ来ます」
瞬時に部屋の空気が凍り付いた。怪物が数十体と聞いて、ラングドン一家の面々に緊張に満ちた小さなざわめきが起きる。
「な、なんで怪物が来るの? 正体がバレる様なヘマをした覚えは無いのに……」
ネリーが、恐怖に満ちた顔で小声で尋ねる。
「……分からねぇ……オレも全く心当たりが無ぇ……」
「ネリーさん、ルパートさん、話は後よ。奴らが来たんだから動かないと」アリシアが少し険しい表情で諫めた。「ところで
「はい。先程から急に……ですが、まだまだ大丈夫です」
「分かったわ。じゃあゴメンだけど、もう少し外で見張りをお願い」
「御意」
指示を受けた
「皆さん静かに。怪物には、こちらが寝ていると思わせた方が良い。それと奴らが来たと言う事は、僕達の正体はバレてると思った方が良い」
ロニーの言葉を聞いたルパートが、意を決した様に言った。
「分かった。で、どうする?」
「状況が分からない外に出るより、中で戦った方が良いと思う」
「そうね。外は罠があるかも」
ロニーの意見に、アリシアが頷く。
「じゃあ、ここは窓が多いから食堂に籠城しよう。ネリーさんとクレアさんは、すぐに店以外の戸締まり確認を。起きているとバレないように、光や音は極力出さない様に頼みます」
「了解です! 行ってきます!」
ネリーが、クレアを伴って小走りで部屋から出て行く。
「ルパートさん、僕と一緒に店の入口へ。戸締まりと家具を移動させましょう。トニーさんとターナーさんは、この部屋の家具を食堂へ運んで下さい」
「へい」
トニーは、早速ターナーと共に近くのタンスの移動に取りかかる。
「アリシアさんとマーシアさんは、みんなの荷物を食堂へ持って行って。それが終わったら食堂の窓を家具で塞いで下さい」
「分かったわ」
アリシアが、マーシアに運ぶ荷物の指示を出していく。
全員が、即座に与えられた役割に取りかかった。明かりは、数名がロニーが貸した
店の入口に着いたロニーは扉の鍵を確認し、ルパートは手頃な家具が無いか物色する。
ロニーは、ルパートが指さした古い商品棚を見て迷わず即決した。時間が惜しい。
ルパートと共に棚を運ぶロニーの脳裏に、会談中も柔和な笑顔を浮かべていたリッチモンドの顔が思い浮かんだ。会談中も、そして町の中も異変は無かった。
ネリー達が言う通り、なぜ怪物が来るのか分からない。
自分達が気付いていないだけで、どこかで真の目的がバレたり彼等の正体に気付いていると悟られるヘマをしただろうか? ロニーの心に暗雲が垂れ込めていった。
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