第19話

 ギルバート商会の来客用食堂で、アネットとルパート、そしてギルバートの三人が、空いた食器が並んだテーブルを前に、静かに椅子に座っている。

 彼等は、ここでロニー達と夕食を済ませた所だった。日が暮れて外は薄暗くなったが、食堂は、壁のランプとテーブルの蝋燭が放つ柔らかな光で満たされていた。

 ロニー達が食堂から去って、しばらく沈黙の時が流れていたが、ギルバートが何かを決断したかの様に、ゆっくりと口を開いた。 

「……誰も戻ってきませんね。どうされます?」

「……彼等は一家で指折りの精鋭よ。しくじるなんて考えられない……もう一日待つわ」

 アネットは、そう言って力無く肩を落とした。

 奪還隊には凄腕を選んだので、古くからの仲間も多い。彼等がどうなったのか、何かあったにしても十人以上いて誰も戻らないとは……不安と心配で胸が締め付けられる思いがする。

「日にちが経てば、セオとやらが銀灰ぎんかいを納品せねばならない日も迫ります。奪還できても納期に間に合わねば、彼等は納得しないでしょう。別の手を考えませんか?」

「別の手?」

 期日までに銀灰ぎんかいを返却する以外に手は無いはずだが? アネットは訝しげに彼を見た。

「金があれば、銀灰ぎんかいを奪還出来ずともセオは破滅を回避できるでしょう。私共には、まだ腕利きがいます。彼等を使って、どこかの裕福な貴族か豪商から金を盗みませんか?」

 何を馬鹿な事を! アネットは思わず怒声を上げそうになったが、何とか思いとどまった。

 ギルバートは、自分達姉弟が幼い頃から一家にいて可愛がってくれた古参幹部。冷静で頭も切れ、ラングドン夫妻の言動が変わる前から厚く信頼され、一家のナンバー3として外部との折衝や金庫番、そして一家の表の仕事を任されていた男。

 彼は忠実に、そして常に周囲の期待通り、時には期待以上の成果を挙げてきており、偽者のラングドン夫妻が死んだ後は、一家を継いだアネット達姉弟の補佐に徹していた。

 一家の表の収入源となる、ギルバート商会を始めとする幾つかの店の繁盛ぶりも彼の手腕によるものだが、職務に忠実であるあまり、時に彼の言動が冷酷では無いかと思う時がある。

 その彼だからこそ、一家の危機を目の当たりにして、忌憚の無い意見を述べたのだろう。

 だが、その考えは、弱く貧しい人々を見て心を痛め、病気になれば治す金も無く死んでいく彼等を救うため、お尋ね者になる事を覚悟の上で悪徳商人や私腹を肥やす貴族から金を盗んで分け与えた、義侠心あふれる両親を誇りに思っていたアネットには到底受け入れられない。

 アネットが静かに反対しようとした時、弟のルパートが激高した。同じ心境なのだろう。

「ギルバートさん! あんた、オレ達の信条を忘れたのか? 不覚にも怪物に踊らされていたとはいえ一家の……オヤジ達が築き上げた義賊としての信条を踏み外すなんて有り得ねぇ。例え悪徳商人相手でも、自分達の為に盗みを働くなんて絶対にダメだ! そうだろ? 姉貴!」

「もちろんよ。それは絶対に認められないわ」

 アネット達の反対を聞いても、ギルバートは表情一つ変えない。

「私も断腸の思いです。しかし、次の奪還隊を送って再び同じ事になればどうします? 我々は大事な仲間を失い、破滅を免れなくなったセオは、約束を違えたと言って騎士団に駆け込むやも知れません。ここは、理念より現実に即した対応を考えるべきかと愚考します」

「でもな……」

 ルパートが不満げに呟く。

「……なぜ奴らに、そこまで力を貸すんです? 我々の動きがテッド商会にバレれば、彼等を本気で怒らせるやも知れませんが?」

 ギルバートの口調には、少しアネット達を非難するような感がある。

 テッド商会は、一家に最も多く盗みの依頼を寄せる得意先で、セオの銀灰ぎんかいを盗む依頼と情報を持ってきた相手だった。彼等の不興を買えば一家の売上に及ぼす影響は大きい。

 一家の金庫を預かるギルバートにとっては、怒らせたくない相手だろう。

 奪還隊は、このテッド商会に潜入を試みて帰ってこないのだ。

「なぁ、ギルバートさん……オレ達はロニー達にデケェ恩があるのを忘れたのか? 偶然とは言え一家に入り込んでた怪物をあぶり出し、親父達を殺した怪物……オレ達が手も足も出なかった強敵を倒して、親父達の仇を取ってくれたドでかい恩をよ!」

 ルパートは椅子から勢いよく立ち上がり、テーブルに両の拳を叩き付けた。

「セオさんを襲う依頼もだ! オレも姉貴も真面目な商人を泣かせる事に猛反対した筈だ! それを親父……いや怪物の命令で間違いを犯しちまった。償いは、しなきゃいけねぇだろ?」

「ルパート、少し落ち着いて。大声を出すとロニー君達に聞こえるわ」

 アネットが静かに諭すと、ルパートはドスンと音を立てて椅子に座り不満げに腕を組んだ。

「ルパートが言った事が一番大きいけど、全ては一家が生き残る為よ。テッド商会は裏社会の大手って言われる私達でさえ、うかがい知れない所があるでしょう? 怪物の件も怪しいし、改めて彼らを調べたいから、その調査を兼ねて腕利きを奪還に行かせたのよ」

 アネットはテーブルからグラスを持ち上げ、果実酒を一口飲んでギルバートを見た。

「あの怪物達……誰かの手引きも無しに、騎士団の厳重な警戒を掻い潜って旧レンストンや隠れ家に入り込んだとは思えない……多分、私達が、どこかの人物か団体と接触した時に父さん達を入れ替えたんだと思う。私達の付き合っている相手を考えた時、犯人の可能性が一番高いのがテッド商会でしょう?」

「それは……確かにそうですが……」

「それに、今までの取引から考えて、奴らはテロリストの様な危険すぎる連中と深く関わっている可能性が大きいわ……あの偽者の、お気に入りの取引先だったから渋々従ってたけど、奴らが怪物やテロリストと関わっていれば、何と言われても取引は終了よ。奴らが何かヘマして騎士団に尻尾を掴まれたら、私達まで巻き込まれかねない」

「……まぁ、それは……もし彼らが黒で、取引を切る事になれば我々もかなり痛いですが」

 ギルバートが、少し項垂れた。一家の資金繰りを考えているのだろう。

「それは仕方が無いわ。一家の安全には変えられないでしょう? それと怪物が死んだ以上、犯人はいずれ異変に気付く。犯人の目的が分からないけど、ほとぼりが冷めたらまた怪物を潜入させるかもね。気付かれずに人を怪物と入れ替える連中よ。次は、もっと厄介な手で来るかもしれないから備えをしないと」

「それにつきましては、お任せ下さい」

 アネットは果実酒を飲み干して大きく息を吐き、意を決した様に硬い表情を浮かべた。

「……ねえ、ギルバートさん。私達が誰かの依頼を受けて、義賊とは言えない犯罪に手を染めるようになったのは、両親が怪物に入れ替わってからだと思う。良い機会だから誰かの依頼で盗むのはもう止めましょう。昔の様に義賊に戻るか、真っ当な商売だけにできないかしら? ルパートや他の古参幹部達も賛同してくれてるんだけど……」

 ギルバートは険しい顔で思案にふけり、しばしの後、アネットを見据えて口を開いた。

「……親分、いえ、怪物が金や権勢を追い求める様になったせいですが、一家も随分大きくなりました。そんな事をすれば組織を大幅に縮小しないと、すぐに資金が行き詰まるかと。お気持ちは分かりますが賛同いたしかねます」

 ギルバートの言葉は静かだが、有無を言わせない厳しさがある。

「……そう……貴方が言うのなら、そうなんでしょうね。でも少しずつで良いから元の一家に戻しましょう。金儲けのために人を泣かせるのは、もう止めたい……」

 アネットは肩を落とした。一家には他にも経営する店が幾つかある。アネット達が経営する店も含め、全ての店が商才に富んだギルバートの指導で順調だ。依頼で盗む事を止めても、何とかやっていけると思ったのだが、何か見落としている要素があるのだろう。

 アネット達に再び沈黙の時間が流れる。それを今度はルパートが破った。

「……姉貴、レンストンの城門が閉まって三十分経つ。奪還隊は今日は帰ってこねぇだろう。明日の開門時間で帰らねぇならギルバートさんの言う通り手を考えようぜ。時間が無い」

「……そうね……分かったわ……」

 少し強い風が吹き、窓ガラスがガタつく。話を終えたアネット達は食堂を後にした。

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