第17話

「早速ですけど、彼ら恩を感じてたみたいですが、よく銀灰ぎんかいの返還に応じましたね」

 その途端、アリシアの目が少し冷たくなった。何か怒らせるような事を言っただろうか?

「それは、君のせいだから」

「え?」

 アリシアの言葉に、ロニーは全く心当たりが無い。

「あの人達ね。組織に関する事、特に怪物がいた事は絶対に外に漏らさないでくれって言ったのよ。それを約束するなら銀灰ぎんかいは黙って全部返すって」

「まさか、そんな条件を飲んだんですか? そんな事を約束したのが騎士団にバレたら……」

 アリシアが、ため息をついて肩を落とした。

「君が! それを奴らに約束したの。覚えてない? ラングドンに追い詰められた時よ」

 アリシアが、苦笑しながらロニーを見ている。懸命に頭を巡らせたロニーは、ハッとあの時の事を思い出して全身から冷や汗が吹き出た。

 銀灰ぎんかいを返せば、怪物の事も黙るって言った気がする!

「あ! ……す、す、すいません! あの時は……」

「焦ってたんでしょう? 苦し紛れの口から出任せだろうけど、奴ら、君が言った事をしっかり覚えてたのよ。さすが盗賊、抜け目がないわね」

 少し呆れた様な口ぶりのアリシアが、マーシアの前の椅子に脚を組んで座った。

「マーシアとネロに確認したら、君が言ったって言われたから仕方が無かったわ。でも彼等の条件そのままは飲めないから、新たな条件をつけたのよ」

「新たな条件?」

「ええ、一家の中を全て確認して怪物がいたら全て倒す。それが付け加えた条件。彼等もそれは飲んだから取引が成立したの」アリシアが、机の水差しから新しいコップに水を注いで一口飲んだ。「町に、怪物が潜んでいる事を知ってて騎士団に黙ってたら罪になる。犯罪者を匿った時と同じ様にね。でも、時々傭兵仲間が成り行きで町や村の怪物を壊滅させて、通報を忘れてるけど怒られる程度で済んでるからね。多分、壊滅させれば大丈夫なんだと思う」

 ロニーは、思わず安堵のため息を漏らした。

「……安心しました……」

 他で前例があるなら、この件が騎士団にバレても大目玉を食らうだけで済むかもしれない。

 もちろん、怒鳴られるのはロニーの役目だが、刑罰を食らうより遙かにマシだ。

「彼らも、壊滅させたとはいえ、怪物の件が外に漏れたら大変な事になるのは分かってるから、情報漏洩には細心の注意を払うそうよ。周辺の住民は、あの建物がラングドン一家の本拠地って知ってて黙ってたみたいだし、怪物の件が漏れることは無いと思うわ」

 旧レンストンには、義賊だったラングドン一家が投げ込んだ金で危うい所を助けられ、恩義を感じている住民も多いと聞く。本拠地の周囲住民も、みなそういう人々なのだろう。

 あの戦いは結構派手だったが、近隣住民から情報が漏れることは無いと思う。

「それと、予定ではセオさんが騎士団に通報する事になってたけど、保留になったわ。銀灰ぎんかいを返して慰謝料を払うから、示談にしてくれってラングドン一家の申し出に、セオさんが応じたのよ……後ろ盾のないセオさんが、裏社会の住民を怒らせるなんて出来ないから、仕方ないけどね」

「なるほど、分かりました。色々とご迷惑をおかけしてすみません」

 ロニーは、アリシアに頭を下げた。

「いいわ。気にしないで。で、ここからが本題で銀灰ぎんかいがいつ戻ってくるかよ」

 アリシアが再び水を一口飲み、表情を引き締めてコップを机に置いた。

「はい。でも、その口ぶりですと、あまり芳しく無さそうですね」

「結論から言うと、そうなるわ。まず彼等は、依頼主に後日埋め合わせをするし、代金に相応の慰謝料を上乗せして払うから、銀灰ぎんかいを返すよう頼んだのよ。でも、拒否されたようね」

「え?」

 それでは、銀灰ぎんかいを返すという約束が果たされないのでは?

「で、彼等は次の手として、この店みたいな表の顔を使って正規の手段で銀灰を買い集めようとしたんだけど、今、銀灰ぎんかいって品薄で凄く高いでしょう? 色んな業者を当たったけど、量が全然足りないみたい。納期までに買い集めるのは無理って結論になったわ」

「……なるほど……」ロニーの表情が曇った。「ちょっと……手詰まりっぽいですね」

「……ええ」アリシアが静かに椅子の背もたれに寄りかかり、脚を組み替えて疲れた様に小さなため息をついた。「穏当な手の尽きた彼等は、昨日、客先へ銀灰ぎんかいを奪還する部隊を送ったのよ。予定では、成否はどうあれ遅くとも今日の昼前には報告が来る筈だったのに、まだ何も来ないわ」

 ロニーが壁の振り子時計を見ると、もうすぐ午後二時半。少し遅すぎる。

「ラングドン一家は、警備の厳重な貴族の屋敷から、財宝を盗んだ事もある凄腕盗賊団です。僕達との取引のためとはいえ、彼らが勝算無しに動くとは思えない。それが予定の時刻をかなり過ぎて連絡も無しなんて……彼らに、盗みを依頼した相手は誰なんです?」

「それは教えてくれなかったわ……だけどマズいのは、そこと付き合いが始まった辺りから、ラングドン夫妻の考えが変わっていったと彼等が見ている事ね。大口の取引先らしいけど、安全の為に今後は取引を縮小していくそうよ」

「……つまり、そいつらが一家に怪物を送り込んだ可能性があると?」

「ええ、彼等はそれを疑ってる」

 外は晴れて風と小鳥のさえずりが心地よいが、部屋には重苦しい空気が漂う。

「そうなんですか……偽のラングドン達との戦いを思い出すと、怪物と遭遇したら一家の人達では少し厳しいでしょうね。マズくないかな……」

「そう思うわ。そうなれば、次は私達が行かないとダメでしょうね」

 アリシアは少し疲れたのか、椅子に座ったまま腕を上に伸ばして少しノビをした。

「もし、奪還に行く場合だけど、ロニー君は病み上がりだし私とマーシアで行くわ」

「意識を失ったのは魔力切れですから、もう大丈夫です。ご迷惑で無ければ僕も行きます」

「ロニー君は、強かったから来てくれるなら有難いけど、術を使うなら無茶は止めてね」

 それを聞いて、ロニー達の話を聞いていたマーシアが口を開いた。

「ねぇロニー君、あの時、魔力切れなんてなったのはどうしてなの? あたし達と出会ってから術なんて使ってないと思うんだけど?」

「あ、僕は傷薬とかが効きにくいって言ったと思うけど、魔力を鍛えようとしても、ほとんど上がらないし回復も遅いんだ。義手で剣を振り回す位なら問題ないけど、術は魔力の消耗が大きいでしょう? ……あの時は、前の日に同じ術を使って結構消耗したからね。回復薬を飲んで休んだんだけど足りなかったんだと思う」

「……ロニー君、今の話って本当なの? 良かったら術の適性を診ましょうか?」

 アリシアが、真剣な表情でロニーを見ている。

「あ、はい、もし良ければお願いします」

 ロニーが頷くと、アリシアはロニーの額に手を当てて祈りの言葉を囁いた。今回の詠唱は慎重に行っている。彼女の手から、温かさを感じる柔らかな白い光が現れた。

 彼女は、ロニーの顔から胸にかけて、ゆっくりと手をかざしていく。

 かざした手がロニーの胸元に来ると祈りの言葉が終わり、彼女の手の光が消えた。

「…………なるほど…………確かに適性は低いわね。どうしようか?」

 アリシアが、真剣な眼差しでロニーを見つめ腕組みをして考え込む。しばらくして彼女は立ち上がり、腰のベルトに数本下げた、小さな黒い水筒のような筒を一つ外した。

「えっ?」

 マーシアが、小さく驚きの声を上げる。

「ロニー君、奪還に行く事になったら私の精霊を一人貸すわ。雷の精霊だから、君が使う雷の術と同じ感じで使えると思うし、負担も軽いわ。この精霊籠を身につけていて」

 ロニーは、慌てて頭を振った。

「そんな貴重な物、受け取れませんよ! 使い方も知りませんし」

「これは、精霊が契約者と共に暮らす為の仮の家よ。無くしても精霊がいなくなる訳じゃ無いし、奪われても離れすぎる前に精霊は戻ってくる。だから無くしても大丈夫よ」

 アリシアは精霊籠を机に置いた。木の筒の様だが、厚みを感じる音が小さく響く。

「使い方は教えるわ。魔法が使えるなら、二、三日練習すれば、それなりに使えると思うし」

「でも、僕が、これを預かったらアリシアさんが困るのでは?」

「私は、他にも色々な精霊と契約してるから大丈夫。それより、奪還に向かう事になって、またロニー君が術を使った時、倒れられる方が困るでしょ?」

 ロニーは、精霊籠を見つめながら偽ラングドンとの戦いを思い出した。やむなく術を使い、意識を失った時だ。あの時、皆が無事で済んだのは単に運が良かったからだ。

 強敵に出会い、再び不甲斐ない所を見せれば皆を危険に晒す。二度とそんな事は出来ない。

「……そうですね。では、銀灰ぎんかいを奪還するまでお借りします。有り難うございます」

 ロニーは、失態は二度と犯さない事を固く心に誓い、アリシアの厚意に甘える事にした。

「いいのよ。一つ注意だけど、精霊の契約者は私だから、私達みたいに呼び出して用を頼む事は出来ないわ。私が許可して貸すから術だけは使えるけど……いいわね?」

「はい」

 ロニーは、机に置かれた精霊籠を手に取った。籠は、少し厚めの硬い木材で作られている様だ。艶のない黒い表面に、魔法陣の様な紋様と、見慣れぬ文字が金色で細かく彫り込まれている。工芸品としても安い物では無いだろう。

 その時、壁の振り子時計から二時半を告げるチャイムが鳴った。

「……ねぇ母さん、遅くなったけど、そろそろお昼ご飯にしない? ロニー君も目が覚めたし、朝から、ずっと打ち合わせとかで食べてないでしょ?」

 話が途切れたのを感じてか、マーシアが椅子から立ち上がり、背伸びをしながら言う。

「え? 待っててくれたの? ゴメンね。じゃあ、先にお昼ご飯を頂きましょう。ロニー君、ご飯の後で一度精霊術の練習をしましょうか? ぶっつけ本番は困るでしょう?」

「ええ、ご迷惑で無ければそれでお願いします」

「じゃ、ご飯を頼んでくるね」

 そう言うとマーシアが、軽やかな足取りで扉から出て行った。

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