第16話

 ラングドンに化けていた大きな怪物が、恐怖でへたり込むマーシアを両手で捕まえる。

 泣き喚いて命乞いする彼女に、怪物が大きな口を開けてかぶり付いた時、ロニーはバッチリと目が覚めた。

 寝ていたようだが、ここは何処だろう? ふと、誰かの気配を感じて横を見るとマーシアがいる。彼女は、椅子に座って本を読んでいた。

「……あれ? マーシアさん……?」

「え?」マーシアが驚いた様に顔を上げ、慌てて机に本を置いて心配そうにロニーを見た。「ロニー君、大丈夫? 三日も目を覚まさないから心配したのよ!」

 随分と上等なベッドに寝ていたらしい。部屋の調度も立派で、以前、仕事で一度だけ泊まった高い宿を思い出す。開いた窓の外は晴れ渡り、時折、心地よい風が入ってくる。

「え? ああ、もう大丈夫だけど、ここは何処? ……そうだ! 怪物は?」

 ロニーが上半身を起こそうとすると、マーシアが腕を伸ばして体を支えた。

「ここは、旧レンストンにあるギルバート商会って店よ。絶対に内緒にして欲しいけど、ラングドン一家がやってる店だって」

 彼女が笑顔を浮かべ、弾んだ声で答えた。

「それと、怪物は倒したわ。ロニー君、結構な術を使えるのね」

「……魔力切れで三日も寝込んだんじゃ、恥ずかしいけどね。迷惑掛けてすみません」

「ううん、お陰で助かったわ……有難う」

 マーシアが、はにかみながら礼を言う。

「あ、いや……」

 ロニーは照れて気恥ずかしくなり、彼女から少し目をそらした。

「あたし達、偶然だけどラングドン一家に潜んでた怪物をあぶり出して、一家が手も足も出なかった親分夫妻の仇を取ったでしょ? お陰で今はお客様なの。あの建物は恩人をもてなす様に出来てないからここを使ってって……そうだ、アリシアを呼ぶね。心配してたし。風精霊アネモス、出てきて」

 マーシアが呼びかけると、即座に彼女の前に風精霊アネモスが現れた。

「悪いけどアリシアを呼んできて。ロニー君が目を覚ましたって」

「分かったわ」

 風精霊アネモスが姿を消し、そよ風を吹かせて去っていった。

 風が部屋の扉へ吹くのを見送ったマーシアが振り向き、心配そうな表情を浮かべた。

「あの……ロニー君、その腕、どうしたの?」

 彼女は、ロニーの右肩に装着された義手を怖々とみている。

「あ、これ?」ロニーは右手を顔の前に持ってきて見つめた。「昔……警備局ネストに入ったばかりの頃に、手強い奴に出会って腕を切り落とされたんだ。一瞬の出来事だったよ……」

 ロニーは、遠い目を浮かべて義手を見た。

「あの頃は、まだ両親が生きてたからね。二人とも腕利きの警備局員ヴァルチャーで稼ぎも良かったし、治療術や薬があまり効かずに腕を失った僕の為に、腕の良い工房を探して、この魔法の義手を作ってくれたんだ。それがこれ。性能は良いんだけど凄く高くてさ、親が死んでから支払いに四苦八苦さ」

 ロニーが義手の指を動かした。生きた人間と同じくなめらかな動きで銀色の指が開く。

「そうだったんだ……」マーシアが、急にハッとした顔になった。「え、ご両親って亡くなられて……辛い事を思い出させちゃったわね。ごめん……」

「ああ、良いよ。気にしないで」

 申し訳なさそうなマーシアに、ロニーは微笑んで見せた。マーシアに少し笑顔が戻る。

「ありがと……そっか……ロニー君って、あたしと似てるのね」

「え?」

 ロニーは、思わずマーシアの顔を見つめた。

「あたし、本当の親を知らないのよ。ごく小さい時に孤児だったのを母さんが見つけて育ててくれたから……耳の形が違うし、ちょっと変だなって思ってたけど、本当の事を知った時は辛かったな……母さんは、いつも優しかったし」

 マーシアが、少し悲しそうな目を浮かべて、小さくため息をついた。

「あたしね、最初は村に居着いた曲芸師の一座に憧れて、その人達に頼み込んで何年も曲芸の訓練を積んだの。だけど……ある日、母さんが傭兵なんて危ない仕事をやってるって知って力になりたくなってね。曲芸の先生方が、何かに襲われた時の護身術を身につけてたから、それを教えて貰ったのよ」

 開いた窓から吹いた優しい風が、マーシアの髪を揺らした。彼女は少し乱れた髪を治しながらロニーを見る。

「事情を知った先生方から、戦い方とか色んな事を教えて貰ったわ。このショーテルも先生が使ってたのを貰ったのよ……だけど母さん、あたしも傭兵やるって言ったら猛反対して……大喧嘩したけど、色々あって押し切っちゃった」

「……そうだったんだ……」

 ロニーの言葉にマーシアは黙って頷いた。ラングドン一家への潜入前は、話をしてもお互いに少しよそよそしかったが、二人で力を合わせて危機を脱した今は、何となく互いの心の壁が薄れた気がする。

「だけど、傭兵って嫌な仕事ね……戦争に行かされるのは承知の上だし、セオさんの護衛みたいな、人を守る仕事なら歓迎なんだけど……雇い主によっては、民間人に武器を向けないとダメって知らなかったわ」

「……あ、確か去年、北の方で農民が蜂起してたね。凶作だから税を軽くしてくれって話がこじれたとか……」

「……そういうのにも、行かされるのよ……あんなのは、もう嫌」

 マーシアが、ウンザリという顔をする。彼女は、レンストンに来て二年と言っていた。

 最近、民間人が暴動を起こしたのは北の農民蜂起しか無かったと思う。多分、その時、彼女は蜂起を鎮圧する側に雇われていたのだろう。

 その時、部屋のドアが軽くノックされた。

「どうぞ」

 マーシアがドアを見て返事を返すと、扉が開かれて四人の男女が部屋に入ってきた。

 一人は、アリシアだが残りの人物は心当たりが無い。

「ロニー君、具合はどう?」

 アリシアが、心配そうに尋ねる。

「もう大丈夫です、すみませんでした……こちらの皆さんは?」

「ラングドン一家の最高幹部の皆さんよ。ロニー君に、お礼をって」

 アリシアの後ろの女性は、二十代半ば位でロニーより少し背の低そうな女性。短く切った濃い茶色の髪と茶色の瞳を持つ、中々の美貌とスタイルの持ち主だ。真ん中に立つ辺り、彼女が今の親分だろう。

 彼女の右に立つ男性は、二十歳位に見える。ロニーと同じ位の背丈で、短く刈り揃えた濃い茶色の髪と茶色の瞳を持つ、中肉中背で少し目つきの鋭い男だった。

 もう一人の男性は、四十歳位でロニーより少し背が高いと思う。黒い髪を背中まで伸ばし、髪と同じく黒い瞳を持つ痩せた男。中年の渋さを漂わせた、女性にモテそうな顔をしている。

 アリシアの言葉が終わると、女性が一歩進み出た。

「私は、ラングドンの長女でアネットと申します。父亡き今、ラングドン一家の親分を努めさせて頂いております。ロニー様、この度は我々の窮地を救って下さった事、そして親分夫妻の仇を取って下さった事、厚く御礼申し上げます。誠に有難うございました」

 アネットが、直立不動で深々と頭を下げた。後ろに控える男性二人がそれに続く。

「皆様が来訪された目的は、アリシア様より伺っております。ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。つきましては、銀灰ぎんかいを全てお返しさせて頂きますと共に、ご迷惑をおかけした慰謝料もお支払いさせて頂きます。ですが、申し訳ございませんが銀灰ぎんかいは既に出荷しておりますので、もうしばらくお時間を頂けませんでしょうか?」

「分かりました。でも、返還はいつ頃になりそうか、見通しだけでも教えて頂けませんか?」

「それは、後で私が説明するわ。その件で、今までお話ししてた所だから」

 ロニーの問いかけに、アリシアが少し硬い表情で答えた。何かあるのだろう。

「分かりました」

「では、私共はこれで失礼致します。ご用がございましたら、ご遠慮なくお申し付け下さい」

 アネット達は、部屋から去る間際にもう一度度頭を下げ、静かに部屋から退出していった。

 部屋に残るのは、ロニー達三人だけになった。

「出でよ、風精霊シルフ

 ドアの外の足音が遠ざかった後、アリシアが小声で呟いた。

 彼女の横に、彼女と変わらぬ程の背丈の風精霊シルフが現れた。背中に羽を生やした大人の女性の姿で、マーシアの風精霊アネモスより遙かに体格が大きい。

風精霊シルフ、姿を消して扉の外を警戒して頂戴。誰か近づいたら教えて」

「御意」

 言うが早いか風精霊シルフが姿を消した。ドアの方へ緩やかな風が起こる。

「ロニー君、ここは盗賊団の建物。今は味方してくれてるけど、私達だけの時は話し声と内容には気をつけて。どこで聞き耳を立てていて、今後どうなるか分かった物じゃ無いから」

「はい」

 アリシアの小声の注意に、ロニーも小声で応えた。彼女の懸念は正しいと思う。

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