第15話

 突風の後、急にラングドン達が藻掻き始め、ロニーの前で、彼と妻らしき女は頭に角を生やした巨躯の悪魔の様な姿になった。彼の取り巻きも山羊頭の大男に姿を変える。あれが彼らの正体だったのだろう。

 ロニーは、彼らの後ろから若い女性の声がするのに気がついた。女性の姿は大柄なラングドンの陰になって見えず、声も雷雨で聞き取りにくいがアリシアの声だ。

 ロニー達の半包囲を解いて、ラングドン達と距離を取って遠巻きに見ていた賊達が、誰かの号令の元、雄叫びを上げて怪物共に斬り掛かっていく。

 大雨でずぶ濡れのロニーは、この隙に足の矢を引き抜こうとした。右足を動かす度に激痛が走る。ロニーが足の後ろの矢を掴むとマーシアも矢を掴み、二人で力を合わせて引き抜いた。

「ぐっ!」

 ロニーは痛みで思わず呻き声を上げて崩れ落ちた。矢を抜いた傷口から血が流れ出ていく。

「マーシア!」風精霊アネモスが、心配そうな声を上げて飛んできた。「怪我は無い? アリシアを呼んできたよ!」

「あたしは大丈夫。でも、ロニー君が……」

 その声が終わる前に誰かが走ってきて、急にロニーに降り注ぐ雨粒が止まった。

「あなた達、よく無事で……ロニー君、すぐに怪我を治すわ」

 心の底から心配そうなアリシアの声に、へたり込むロニーが顔を上げると、彼女は心配そうにロニーを見つめながら、自分が濡れるのも構わず、ロニーが濡れない様に傘を差し出している。

 彼女は傘をマーシアに渡して屈み、ロニーの傷に右手を当てて呪文の詠唱を始めた。

 驚いた事に、彼女の呪文の詠唱は凄まじい早口。

「癒やしを」

 アリシアのその言葉と共に血が止まり、怪我の痛みが引く。彼女は、あの早口で呪文を一言一句間違わなかったらしい。ロニーは驚きを隠せない。

「アリシアさん……凄いですね。こんな凄腕の術士なんて見たこと無いです」

「そう?」アリシアは、すました顔で言った。「それより、銀灰ぎんかいはどうだったの?」

「ダメだったわ! 風精霊アネモスが目印を残した所に無かったの! 魔法の袋や箱にあるかもって思って探したんだけどダメだった! あそこには、もう無いと思う」

 ずぶ濡れのマーシアが焦った様にまくし立てる。アリシアが少し俯いて考え込み始めた。

「……アリシアさん。やれそうなら、怪物を倒して奴らに恩を売りませんか?」

 ロニーが、激闘中の盗賊達を見ながら言う。戦いは明らかに盗賊達の旗色が悪い。雷雨の中、次々と盗賊達の悲鳴が上がり、圧倒的に押されている様だ。

「僕達は、怪物の正体を暴いて恨まれてる。ほとぼりが冷めたら寝首を掻きに来るかも知れません。それなら、ここで怪物を倒して盗賊に貸しを作った方が、交渉しやすいかと」

「……そうね、それしか無いかも。あの程度の怪物なら何とかなるし、盗賊とはいえ見殺しにも出来ないわ。貸しを作って損は無いし……マーシアも良い?」

「もっちろん! やられた分、きっちりやり返してやるわ!」

 マーシアの表情と声に、元気が戻る。

「では、戦うなら僕が斬り込みます。僕も、ああいう怪物は何度か倒しましたから」

「じゃあ、お願いするわ。援護は任せて。敵の数が多いから油断しないでね」

「はい」

 雷雨の中、ロニーは愛用の剣を抜き放った。剣が稲光を浴びて鋭い光を放つ。

 マーシアが傘を仕舞ってショーテルを抜き、アリシアは腰に下げた二本の短刀、マンゴーシュを逆手で両手に構えた。二刀流らしい。

 怪物達は、盗賊を放って逃げる事にした様だ。包囲する盗賊達を蹴散らして道路への塀があるこちらへ向かって来る。

 怪物達の邪魔になるのはロニー達だけ。しかも二人は若い女性なので侮っているのだろう。

「行きます!」

 ロニーは、敵の先頭を走る山羊頭の大男の怪物を目掛けて駆け出した。ロニーの剣の間合いに入る直前、怪物が獰猛な咆哮を上げて手に持つ剣を振り下ろす。

 その動きは、簡単に予想できた行動だった。軽く剣を掻い潜って、がら空きの腹を剣で切り裂く。怪物が絶叫を上げて膝から崩れ落ち、開いた腹から漏れる臓物を手で押さえる。

 その首をロニーの剣がねた。断ち切られた頭が吹っ飛び、傷ついてうずくまる盗賊達の元に転がっていく。

 盗賊達は、何が起きたのか? という顔で、転がっていく怪物の首を呆然と見つめている。

 最初の怪物を仕留めたロニーの横で、アリシアとマーシアが身構え、短刀を持つアリシアが一匹の怪物を指さして叫んだ。

「焼き払え! 炎精霊サラマンダー!」

 彼女が指さした山羊頭の男の足下から、轟音を上げて巨大な火柱が上り、周囲に灼熱の熱風と眩い光を振りまいた。怪物は火柱の中で藻掻き、すぐに崩れ落ちて動かなくなった。

 ロニー達の戦いに気付いた賊達から、一斉に驚きの声が上がる。

 仲間を炭に変えられた怪物共も驚いた様に一瞬動きを止めたが、すぐにラングドンだった怪物の指示で、咆哮を上げてマーシア達に襲いかかって来た。

 山羊頭の怪物が一匹、剣と盾を構えてマーシアへ駆けていったが、マーシアは迫る怪物を見ても慌てる様子も見せず、落ち着いて左手を怪物に向けた。

穿うがて、水精霊ネロ!」

 敵を指すマーシアの指先に、一瞬で小石程度の大きさの水玉が出来た。次の瞬間、その水玉が凄まじい速度で撃ち出され、怪物の腹から血が噴き出す。水精霊ネロの力で圧縮された水が、矢よりも早く怪物の足を穿ったのだ。

 マーシアは、膝を突いて憎々しげに睨む怪物へ走り、咄嗟に盾を構えた怪物に、なぎ払う様にショーテルを叩き付けた。大きく湾曲するショーテルの切っ先が、盾をかわして怪物の頭部に叩き込まれ、怪物は大きく痙攣しながら地に崩れ落ちた。

 ロニーが二匹目の怪物と切り結ぶ横で、アリシアが、ラングドンの妻らしき女悪魔を、爆音と共に大きな火柱に変える。

 その隙に一匹の山羊頭がアリシアに近づいて剣を振り下ろしたが、彼女は流れる様な動きでそれをかわし、逆手に構えるマンゴーシュで怪物の腹を斬る。悲鳴を上げてうずくまった怪物の背中に向けて、彼女は逆手に構えたマンゴーシュを、素早く怪物の心臓の位置に突き刺した。

 怪物が大量の血を吐きながら倒れ、盗賊達から一斉に大歓声が起きる。

 ロニーの前で、先程からアリシアとマーシアの術が炸裂しているが、彼女達に呪文を詠唱している感じが無い。相手を指して一言二言叫ぶだけで怪物共が倒されていく。

 今までこんな術は見た事が無い。呪文の詠唱は難しく、時間も掛かる上に途中で詠唱を間違えれば全て台無し。敵に狙われ、焦って詠唱を失敗するのはベテランでもたまにある話だが、その欠点が無い有利さは簡単に想像がつく。

 戦いを見守る盗賊達は、先程までロニー達を殺そうとしていた事を忘れたかの様に熱い声援を送っている。その声援を受けながら二匹目の怪物を剣の錆に変えたロニーの前で、怪物達はロニー達を大きく迂回する様に二手に分かれた。恐らく、ロニー達に勝つことを諦め、どちらかが逃げ延びれば良いと考えたのだろう。

「ロニー君は左の奴らを! 私達は右側に行くわ!」

 アリシアが叫ぶ。

 左側には、偽ラングドンと部下が一匹。アリシア達は、右の五匹の怪物を相手にするつもりの様だ。もう彼女達の強さを疑うことは無い。この程度の怪物なら心配ないだろう。

 ロニーは、即座に左のラングドンの偽者達に向かった。偽ラングドンは足が遅いようで山羊頭の怪物の少し後ろを走っている。素早くケリを付ければ一匹ずつ戦えそうだ。

 ロニーが怪物に斬り掛かる。ロニーの剣と山羊頭の剣が激しくぶつかり、鋭い音と共に火花を散らしたが、その直後、山羊頭が後ろから何かに強く突き飛ばされた様に飛び出し、ロニーに激しく激突した。

 思わぬ形で怪物の強烈な体当たりを受け、ロニーは、どうと後ろに倒れる。

 山羊頭も何が起きたのか分からないらしい。狼狽した様に周囲を見回したが、地面に転がるロニーに気付いて好機と判断した様だ。両手で剣を頭上に構えた。

 立ち上がるまでに斬撃が来る。回避しても、偽ラングドンが来て二匹同時の攻撃を受ける。

 ロニーは、素早く義手を怪物に向けて少し魔力を込めた。義手の前腕に空いた小さな穴からクロスボウの矢が打ち出される。一本使うと再装填が必要な切り札だが、魔法の札や投げナイフでは間に合わない。

 油断していた怪物の腹に矢が刺さり、悲鳴が上がった。

 怪物が怯んだ隙にロニーは素早く立ち上がり、怪物を袈裟斬りに斬って捨てる。

 ふと気付くと、山羊頭の後ろにいた筈の偽ラングドンがいない。ロニーが彼を探そうとした時、不意にロニーの右手の義手を何者かの大きな手が握り、次の瞬間、鋭い足払いを掛けられてロニーは仰向けに転ばされた。濡れる地面に泥水の飛沫が上がる。

「くっ!」

 呻き声を上げたロニーが見上げると、稲光に照らされた相手は偽ラングドン。

 偽ラングドンが、ロニーの義手を握ったまま剣を奪い、片足で力一杯胸を踏みつける。

 奪った剣をロニーの首筋に当てた偽ラングドンが、大声で叫んだ。

「テメェら武器を捨てて両手を上げろ! でないとコイツの首を斬るぞ! 妙な事をしても同じだ!」

 偽ラングドンは、五匹の怪物を倒したらしいアリシア達を睨み付けている。

「僕の事は良いからコイツを……」

 踏みつけられたロニーが叫ぶ。だが、その言葉が終わる前に偽ラングドンは、ロニーの左腕を剣で突き刺した。苦痛に満ちた悲鳴が轟く。

「……仕方無いわね……」

 アリシアの声の後、何かが地面に落ちた音が響く。彼女達が武器を捨てたのだろう。

 雷雨の中、賊達から「畜生!」という無念の声が次々に上がる。

「お前達から、逃げられるとは思えんのでな。ここで始末する。大人しくしろ」

 ロニーは、必死に打開策を考えた。偽ラングドンが自分を踏みつける力が強すぎて、この足をどかせようと渾身の力を込めてもビクともしない。だが、すぐに脱出するか、偽ラングドンを倒さないとマーシア達が殺される。

 義手をガッチリ捕まれているため、義手に魔力を込めて放つパンチは使えない。

 ロニーの見る前で偽ラングドンが何かを呟き始め、彼の前に不思議な淡い赤い光を放つ揺らめきが生じて光の明るさが徐々に増す。何かの術を使うつもりだろう。

 その揺らめきを見たロニーに一つの手が浮かんだ。これが失敗すれば終わりだ。

 一か八かの賭けになるが、これしか手が無い。ロニーは、気付かれない様にそっと怪物から手を離し、左の手のひらを地面に向けて呪文を小声で呟いた。

「天にまします大いなる裁きの神よ。請い願わくば信徒たる私めに、邪悪を裁く、その偉大なる稲妻のお力を貸し与えたもう」

 詠唱が進むにつれ、地面に向けた手のひらに熱が伝わる。

(頼む! 発動してくれ……)

 ラングドンが思い出した様にロニーの様子を見たのと、詠唱を終えたロニーが左腕の痛みに耐えて手を上げたのは、ほぼ同時だった。

「雷撃!」

 ロニーが叫んだその瞬間、凄まじい閃光と落雷の轟音が轟いた。先日、ワーム二匹を黒焦げにした、ロニーに使える最強の雷の術だ。

 ロニーは雷光で目が眩んで何も見えないが、何かが焦げる匂いが立ちこめる。剣が落ちる音がして、自分の義手を掴む力と踏みつける力が弱まった。

 だが、どうやら魔力切れを起こしたらしい。高熱を出した時のように、頭が朦朧として世界が回り、徐々に意識が薄れていく。

 アリシアの怒りに満ちた叫び声がした直後、偽ラングドンが大きくよろめいた。奴は、体勢を崩して後ろに倒れている様だ。偽ラングドンに捕まれていた右手が力無く地に落ちる。

 急速に視界がかすんで暗くなる。周囲の音も遠のいていく。

 遠くで、マーシアが金切り声で自分の名前を呼んだ気がする。

 アリシアの声もしたような気がするが……全てが暗闇に閉ざされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る