第12話

 ロニーは神経を集中して気配を探る。やはり気のせいでは無い。遠くから床が軋む音が聞こえる。この闇の中で何かにぶつかる様子も無く、ゆっくりと何かが来る。

 ランタンの光や足音に気付かれたとは思えないが、進む方向をこちらに変えた様だ。

 ロニーが目線を足音の方に向けたまま、スタンロッドを構えて囁いた。

「マーシアさん、ひょっとしたらこの姿消しは効いてないかもしれない。戦いになったら僕が斬り込むから、君は身を守る事に集中して」

「ん……分かったわ」

 マーシアは何か言いたそうだったが、口にしなかった。

 ゆっくりと足音が近づく。この暗闇で、なぜこちらの居場所が分かるのか分からないが、リカントロプの自分でも、ほぼ何も見えないのに彼等はやってくる。

 あと二十パスル(約六メートル)位だろうか? 足音が近づいてくるにつれ、相手が誰かとボソボソ喋っているのが分かる。微かに聞こえる言葉は、ロニーの知らない言葉だ。

 もう、隠れても無駄だろう。これ以上、明かりを消す意味は無い。

「ランタン全開」

 ロニーは、囁くと同時に足音の方へ飛び出した。マーシアも飛び出てランタンを全開にしたようだ。後ろからの光で通路に急に明るい光が満ちる。

 十六、七パスル(約五メートル)ほど先に、腕で目を庇う若い男と、その後ろの中年男の姿が浮かび上がった。二人とも酷い猫背で、古い服を着てナイフを持っている。

 ロニーは相手が身構えるより早く、前に立つ若い男の、肌が露わになった腕をスタンロッドでぶっ叩いた。ロニーは勝利を確信したが、男は悲鳴を上げて飛び退いただけ。

「えっ?」

 ロニーは一瞬戸惑った。決着は着いた筈だ。これを受けた人間は電撃で気絶するのが普通。

 だが、彼はロッドの当たった腕をさすりながら後ろへ距離を取っただけ。

 気絶までは行かずとも痺れは残っているのだろう。

 後ろに立っていた中年男が、若い男を嘲る様に指さして笑っている。

(暗闇を歩けて、姿消しとスタンロッドが効かない人間……こいつらまさか……)

 緊張で、ロニーの手に汗が滲む。予想が当たっているなら厄介だ。

「……こいつら人に化けた怪物よ! この位ならアタシの目は誤魔化せないわ!」

 水精霊ネロが、はっと気付いた様に叫んだ。

 姿消しを見破る精霊の言うことだ。本当かもしれない。

「ロニー君! 精霊が言うなら間違いないわ! 気を付けて!」

 マーシアの叫びを聞いて、若い男がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて呟いた。

「へっ……バレたんだったら、もう良い。この姿はやりにくい……死ね」

 若い男が、痙攣する様に震えて急速に姿を変えていく。後ろの男もそれに続いた。

 ロニーは、これが風精霊アネモスが一瞬気配を感じた怪物かと思った。半ば放棄された旧レンストンとはいえ、なぜ城壁に囲まれ、騎士団が門を警備する町に怪物が入り込めたのだろう?

 いや、そんな事は後だ。こいつらに取引は通用しそうにない。戦うしか無い。

 ここは少し狭く、剣を振り回しにくい。ロニーはスタンロッドをホルダーに戻し、腰に下げていた手斧を構えた。マーシアも、ランタンをベルトに掛けて槌矛メイスを構える。

 怪物達はロニーの六割ほどの背丈に縮んでいだ。異様な猫背故に余計に背が低く見える。

 頭髪が長く伸び、服から覗く肌が真っ黒の毛に覆われ、長い牙と爪が現れていた。

 先に動いたのは怪物だった。変身も早かったが動きも速い。斧を構えたばかりのロニーに獰猛な吠え声を上げて飛びかかったかと思うと、長い爪の生えた左手を、恐るべき速さでロニーの首を掻く様になぎ払った。左手を使ったのは、盾を使わせないためだろう。

 これは右手の義手で受け止めた。袖の下からギンッという金属を引っ掻く鋭い音が響いて爪が止まり、驚いたように怪物の目が見開かれた。思わぬ事態に我を忘れた様だ。

 この隙をロニーは見逃さなかった。即座に怪物の脳天に手斧を叩き込む。

 鮮血と脳漿が飛び散り、怪物は、どうと床に倒れて激しく痙攣し始めた。

 一撃で勝負がついたと見たロニーは、間髪おかずに後ろの怪物に斬り掛かった。後ろの怪物は勝利を確信していたのか棒立ち。慌てて身構えようとしたが、その前にロニーは斧を袈裟斬りに首筋に叩き込んだ。

 怪物は信じられないと言うように大きく目を見開き、深く切られた首を片手で押さえながら二、三歩よろめく。ロニーは再び斧を首にたたき込み、怪物は首から血を吹き出して倒れた。

「終わったかな?」

 ロニーが斧の血糊を振り払おうとした時、水精霊ネロが金切り声を上げた。

「まだよ! 上!」

 ロニーは、咄嗟に飛び退いた。そこを上から降ってきた何かがすれ違う。右腕の義手を、怪物の爪が引っ掻く鋭い音が響く。落ちてきた何かに斧を叩き込むが、かすっただけ。

 不意に嫌な感じがして再び飛び退くと、新たな怪物が上から襲いかかってきた。これの攻撃は当たらなかったが、ロニーの攻撃も空振りに終わる。怪物は後ろの仲間の所へ飛び退いた。

 身構えるロニーの肩と背が何かとぶつかった。マーシアだ。

「後ろに二匹! 挟まれたわ!」

 彼女の声に焦りが窺える。横目で見ると、マーシアは槌矛メイスと盾を構えて何かと対峙している。この怪物が相手だろう。この狭く戦いにくい場所で、猪人オークより格段に手強い怪物四匹に挟み撃ちは分が悪すぎる。

 ロニーが、腰のベルトに下げたケースから、魔法の力を発揮する札を取り出そうとした時、マーシアが顔を少しロニーに向けて囁いた。

「あたしに考えがある。合図で屈んで目を瞑って」

「ああ」

 ロニーは、怪物から目を離さず囁いた。もし、彼女の策が上手く行かなかったら魔法の札を使う。二段構えの手で行けば、打開の糸口が掴めるかもしれない。

 怪物達は、先程倒された仲間を見ていたのだろう。ロニーから間合いを取り、小声で何か相談している。まもなく、ロニーの前の怪物が一匹、得体の知れない言葉を口にし、後ろでマーシアと対峙していた二匹が何事かを答えた。怪物達がジワジワ距離を詰め始める。

 ロニーも身構えた。さりげなく、自分のベルトのケースに手を近づける。

 怪物達が一斉に襲い掛かってきた。一匹は高く飛び上がって上から襲いかかり、もう一匹はダッシュしてくる。どちらかがやられても、もう片方が仕留める狙いだろう。

 マーシアも同じ状況だと見た。

 その刹那、マーシアが鋭く叫ぶ。

光精霊フォス 光を!」

 ロニーとマーシアが屈んで目を閉じた瞬間、マーシアの頭上で凄まじい閃光がほとばしり、周囲を眩い光で真っ白に染めた。

 急に屈んだロニー達のせいで、怪物達は全員閃光を直視したらしい。

 走っていた怪物達は立ち止まって目を押さえ、飛びかかっていた怪物達は、その勢いのまま大きな音を立てて床に落ち、悲鳴を上げながら目を押さえてのたうち回る。

 マーシアの策は、ロニーの期待以上の好機を生んだ。ロニーは、即座に二体の怪物の首に斧を叩き込み、マーシアは二体の頭を槌矛メイスで叩き潰した。

 ロニーの後ろで、マーシアが、ふぅと安堵のため息を漏らす。

 安堵したロニーが、周囲を見回しながら彼女に感謝を言おうと思ったその時、倒した怪物の一匹を見て背筋が凍った。死体が、通路をまたぐ糸の上に倒れている。

 何も起きない所を見ると、どこかへ侵入者を知らせる罠だろう。

「マーシアさん! すぐこの建物から出るんだ!」

「え、どうしたの?」

 マーシアは、唖然とした顔で尋ねた。

「死体が糸に倒れてる! 何も起きてないから、多分、外で侵入者を告げる罠だと思う。すぐにここへ増援が来るよ!」

「姿消しがあるから……あ!」言いかけてマーシアは片手で口を押さえた。顔に焦りの色が浮かぶ。「今の奴……姿消しが効かない奴が来たら……」

「そう! ここで囲まれたらお終いだ。姿消しも時間的にマズい頃だと思うし。行くよ!」

 今は一分一秒が惜しい。ロニーは、まごつく彼女の手を取って走り始めた。まさか全員が怪物という訳では無いだろうから、外で隠れれば札が効いている内は一応安全だろう。

 奪還は外で手を考え直そうと思った時、水精霊ネロが不吉な言葉を口にした。

「姿消しの効き目が切れてきたみたい! 時々、姿がはっきり見える様になったわよ!」

「ええっ?」

 マーシアが上ずった声を上げた。顔には、はっきりと恐怖の色が窺える。

「とにかく走って! 外に行けば隠れるところもある。急いで!」

 階段を駆け下りて扉に辿り着いたロニー達は、素早く建物から出て扉を閉めた。外は、いつしか大雨になっている。急いでランタンを消し、札を交換できる場所を探して、ずぶ濡れになりながら庭を懸命に駆ける。

 稲光に照らされて広い庭を走る複数の人影が見えた。早く安全な所を探さねば危ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る