第9話

 深夜、人々が寝静まる中、古びた建物が並ぶ狭い路地を若い男女が静かに走っている。路地に他の人影は無く、周囲の建物にも明かりは無い。時折、遠くで犬の吠え声がするだけだ。

 ここは、アガレア国首都レンストンの旧市街、通称旧レンストン。大河の河口付近にあり、川の上流の国々と海との水運の拠点となる、大陸有数の港湾都市だった。

 堅牢な城塞都市でも有名だったが、五十年程前の水害で大きな被害を受け、かねてより手狭になっていた旧市街から三十パスレル(約九km)ほど離れた海沿いに、今の新レンストンが作られた。

 王の城や役所、港湾機能は、ほぼ新レンストンへ移転し、レンストンで商いをしていた大商人や職人達もそれに続いた。旧市街は徐々に寂れ、今は小さな商人や工房、そして貧民達が目立つ街となっている。

 空は昼間と同じく濃い雲が垂れ込め、時折、雲の薄くなった部分から、ぼんやりとした満月が姿を見せる。彼らは狭い石畳の路地を静かに走り、ある街角で物陰に隠れた。

「ロニー君、あの建物よ。ラングドン一家って盗賊団みたい」

 マーシアが物陰から少し顔を出し、囁きながら建物を指さす。ロニーも慎重に建物を見た。

 三階建て程度の年季の入った建物が並ぶ中、三方を道に面した広い角地があり、通りに面した方には古びた大きな建物が建っている。道に面した残りの二方は、三百パスル(約九十メートル)はあろうかと思われる長く高い塀で囲まれている。

 大通りからは少し外れるが、土地の場所や広さ、そして古ぼけたとは言え建物の立派さは、この建物を建てた人物の当時の勢いを偲ばせる。

 マーシア達が建物の周囲にいた精霊に尋ねて調べたのだが、旧レンストンが首都だった頃、ここはレンストン有数の大きな交易商人の店舗と邸宅で、店舗の上階は大勢の従業員の為の寮だった様だ。

 だが、栄華を誇った店も孫の代になって倒産し、何度か所有者が変わったらしい。

 最後の所有者が十数年前に亡くなってからは放置され、いつの間にか、住む家の無い貧しい人々が、その寮や邸宅に勝手に住み始めているそうだ。

 これはロニーの推測だが、首都移転以降、旧レンストンは貧しい人々が増え、治安も悪化して不動産の価値は下がる一方。古く傷みも進んだこの建物に値打ちがあるとは思えない。

 最後の所有者が亡くなった後、買う人が現れなかったのだろう。

 それに加え、貧民達が勝手に住み着いた厄介な建物など、これから先も売れる訳が無い。

 ラングドン一家は、今後も売れる見込みが無い、この面倒な建物に目をつけて拠点にしたのだろう。住み着いた貧民達も、手なずければ自分達の存在を誤魔化すには都合が良い。

 彼らの思惑や思想もあってか、建物には今も多くの貧民達を住まわせているらしい。

「あれが、あのラングドン一家の隠れ家か……バレたの初めてだろうな」

 ロニーが興味深げに呟いた。ロニーは昼間の鎖帷子と違い、猪人オークの洞穴への潜入で身につけた皮鎧を纏っている。

「有名なの? ラングドン一家って」

 マーシアが、不思議そうな顔でロニーを見た。

「結構ね。ラングドン一家は凄腕の大盗賊団で、悪徳商人や貴族から金を盗んで貧しい人に与える義賊だったんだ。だけど、十年程前から様子が変わってきたって……知らないの?」

「ええ。あたし、ド田舎の出身だから。レンストンに来たのも二年前だし」

「そうなんだ。なんで傭兵なんかに? 仕事は他にも十分あったと思うけど?」

「ま、その辺は色々ね……」マーシアは、言葉をはぐらかせて少し背伸びした。「母さんが来るまで待たなきゃいけないけど……ちょっと遅いな」

「中に怪物がいるかも? って話だったよね?」

「ええ、ここを突き止めたアネモス(風精霊)が、一瞬だけど怪物の気配を感じたって言うのよ。だから用意したい物が幾つかあるって……怪物退治に乗り込むんじゃ無いから、必要ないって思うんだけど、万一に備えたいんだって」

「アリシアさんに聞かれた物か……僕が、持ってたら良かったんだけどな」ロニーは小さくため息をついた。「この町も騎士団は警備してるから、怪物は入り込めない筈だけど」

 ロニー達は、盗賊の追跡から戻ってきた精霊から、盗賊達が銀灰ぎんかいを明日早朝に出荷するらしいと報告を受けた。隠れ家の場所は、アリシアの予想通り旧レンストン。

 警備局本部も、騎士団本部も新レンストンにある。セオ達と共に新レンストンへ急いだのだが、到着は町の門が閉まるギリギリの時間になってしまった。

 店と騎士団本部は既に閉まっており、通報も買い物も出来なかったが、何としても銀灰ぎんかいは今夜中に奪還せねばならない。閉所時間ギリギリに警備局に駆け込んだロニーは、町の閉門後の通行を可能にすべく三人分の門の通行許可証を発行してもらい、深夜の奪還に備えていた。

 通行許可証を持たない人物は、誰であっても町の閉門後の出入りは絶対に出来ない。

 これを発行できるのは、深夜の奪還作戦も多く、治安を預かる騎士団傘下の国立警備局ならではの強みだった。

 後は、現状で用意できる装備を持って向かうしかない。

 探したい物は、恐らく店で買えなかった品だろう。

 ロニーとマーシアは、周囲を警戒しながら一時間あまり小声で世間話や仕事の話をしたが、アリシアは現れない。変化と言えば、来た時に比べて雨雲が一層濃さを増した程度。

 当たり障りの無い話のネタが尽きてきた頃、ロニーは、鞄から懐中時計を取り出して時刻を見た。午前二時を少し過ぎている。その時、雲の合間から差した弱い月明かりに照らされる時計の文字盤に、ポッと小さな水滴がついた。

 空を見上げたロニーの頬にも水滴が一粒落ちる。いよいよ雨が降りそうだ。

「……アリシアさん、一人で大丈夫って言ってたけど何かあったんだろうか……」

 懐中時計を鞄にしまうロニーの心に、アリシアを一人で置いてきた後悔が渦巻き始めた。

 ロニー達は三人揃って行こうとしたが、アリシアに、少し時間が掛かりそうなので先に行って盗賊達を見張って欲しいと頼まれたのだ。ロニーは、幾らタイレル傭兵団少佐といえど、深夜の単独行動は危険だから皆で行った方が良いと言ったのだが、心配ないと押し切られた。

 傭兵生活が長く、単独行動も多かったため一人は慣れているらしい。

 ロニーも、ここ半年ほど、この辺で野盗や怪物の被害は報告されておらず、治安は良い地域なので大丈夫かと思ったのだが……考えが甘かったかもしれない。

「母さんを心配してくれるの? 大丈夫よ。何か起きたら精霊が連絡に来るし、一人でも母さんが、そこらの野盗や怪物に負けるなんてあり得ないわ」

 マーシアが、アリシアを気遣うロニーを、少し嬉しそうな眼差しで見つめる。

「昼間みたいに逃げられない所ならともかく、平坦な、この辺なら待ち伏せされても大丈夫。母さんを護る精霊を出し抜いて奇襲を受けるなんて見た事無いし、戦いになったら母さんは術も格闘も凄いもの」

「だと良いんだけど……場所は知ってる筈だし馬も用意した。門も通行許可証を見せれば通してくれるから移動は問題ない筈なのに……いくら何でも遅すぎる」

 何かトラブルが起きない限り、アリシアの移動に問題は無い筈だ。

「……多分だけど、母さん掃除とか整頓が苦手だから、まだ部屋中ひっくり返して探し物をしてるのよ。もう!」

 マーシアの表情に少し苛立ちが窺えた。娘の彼女が言うなら心配しなくて良いかと思うが、あまりに遅い。今は、夏前で夜明けが一番早い時期。この屋敷の中が分からない以上、探索にかかる時間を考えれば、もう待つのは限界だろう。

「……マーシアさんは、眠りとかの魔法を使えないんだったかな?」

「ええ」マーシアが申し訳なさそうに答えた。「魔法はダメだけど、剣と精霊を使う技は少しは出来るわよ?」

「……そうか……」

 どうやら、魔法の助けは期待できない事になりそうだ。マーシアも、タイレル傭兵団少尉なら腕前は心配ないと思うが、盗賊の巣窟に連れ込むのは万一を考えると気が引ける。

 ロニーは、もう一度、暗雲が垂れ込める空を見上げた後、思いきった様に口を開いた。

「……マーシアさん、これ以上は待てない。銀灰ぎんかいは朝一に出荷なんでしょう? 奴らがどんな方法で出荷するか分からない以上、何としても今夜中に奪還しないと。今から僕が奪還に行くから、何処にあるか教えてくれないかな?」

「一人で行くつもり?」

「ああ。アリシアさんは潜入に向いた魔法が使えるみたいだから、三人で行けば楽に奪還出来ると思った。だけど、そのアリシアさんが来ないんじゃ、君を守りながら行くのは難しい。潜入は野盗や猪人オークの巣窟で慣れてるから、僕が行くよ」

「気遣ってくれるのは有難いけど、ダメよ」

 マーシアが、にべもなく突っぱねた。

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