ネコの気持ち

アマノヤワラ

ネコの気持ち


 私のおばあちゃんは、二階建て鉄筋アパートの一階の角部屋に住んでいる。

 『ペット禁止』のアパートである。


 しかし、おばあちゃんが住む部屋の真上──二階の角部屋の住人が、賃貸規約で禁止されているのにも関わらず、アパートの室内でネコを飼っていたことがあったらしい。


 おばあちゃんは、上階の住人がネコを飼っているのを知っていた。なぜなら、たまに飼い主がアパートの近所を散歩させていたから。

 結構、毛並みの良いネコだったそうである。


 同じアパートの住人のことを告げ口したくなかったおばあちゃんは、上階の住人がネコを飼っていることは、アパートの管理会社には黙っていたそうだ。





 しばらく経ったある日のこと。

 同じアパートに住む別の住人が、アパートの管理会社に一本の電話を入れた。


 その内容は、


「私もネコを飼いたいのですが、誰に許可を取ればいいのでしょうか?」


 上階の住人が、飼っているネコを散歩させているところを同じアパートの別の住人が目撃してしまい、その人もネコが飼いたくなって電話をしたらしい。


 電話を受けて驚いたアパート管理会社の人が上階の住人の部屋を訪ねていき、そしてネコを飼っているのがとうとうバレてしまった。

 ネコを飼っていた上階の住人は賃貸規約違反ということで、数カ月以内にアパートから出ていくこととなった。


 ……自業自得とはいえ、世の中悪いことはできないものだ。





 それからしばらく経ったある日のこと。


 おばあちゃんが部屋の窓のすぐ外にある物干し竿に洗濯物を干していると、正面のブロック塀の上に見覚えのあるネコがちょこんと座っているのに気付いた。


 規約違反で追い出された住人が飼っていた、である。


 おばあちゃんはひどく驚いた。

 だって、飼い主はとっくにどこかに引っ越しているのだ。

 てっきり飼いネコの方も、飼い主と一緒に引越し先に着いていったものと考えるのが普通だろう。


 久しぶりに見たネコの毛並みはボロボロで、悲しそうにしょげたような顔付きをしているように、おばあちゃんには見えたそうだ。



「……なんね。置いてかれてしもうた(置いてかれてしまった)とね?」



 おばあちゃんは思わずネコに話しかけた。

 猫は狭いブロック塀の上にちょこんと座ったまま、おばあちゃんの方をまっすぐ見ていた。


 そして、そのネコはおばあちゃんの目を見ながら、寂しげに一声鳴いた。



「……にゃ〜〜〜ん──」



 ……オレ置いてかれてしもた──。

 まるで、そう言っているかのような、とても寂しそうな仕草だったらしい。


 そもそも、そのネコは横幅ほどの狭いブロック塀の上に“横向き”で座っている。

 それはちょうど、ブロック塀側から見て垂直方向にいるおばあちゃんと目線を合わせて相対しようとしているかのように、である。


 いくら敏捷性の高いネコとはいえ、すごくアンバランス。かつ不自然な座り方である。

 まるで、そのネコがおばあちゃんに向かって“助けて”と話しかけているみたいに。


 おばあちゃんはネコが不憫に思えたが、どうしようもなかった。

 そのアパートは『ペット禁止』なのだ。

 もしも、そのネコを助けたのならば、今度はおばあちゃんがアパートから追い出されることになるだろう。


 それに、かなり高齢なおばあちゃんにはネコの世話などやりようもなかった。

 おばあちゃんは一人で買い物にも行けない。



「……ごめんけど、ここには住まれん(住めない)とよ」



 おばあちゃんがそう告げると、ネコはまた



「……にゃ〜〜〜ん──」



 そう一声鳴いてゆっくりとブロック塀から降り、トボトボとした足取りでどこかへ行ってしまった。


『ブロック塀から降りるとき少し首(を)傾げながら、なにやらしょげたごたる(気落ちしたような)顔ばしとったとが可哀想かった──』


 後におばあちゃんは私にそう語った。



 このネコがその後どこへ行ったのかは、私にはわからない。





 ネコの不思議なところは、たとえ人間のような表情がなくとも“態度や仕草”で、なんとなく考えていることがわかるところである。


 そして、おそらくは『ネコがわ』も“態度や仕草”を見ることで、人間の考えていることがわかっているのだろう。


 おばあちゃんが出会ったそのネコには、人間であるおばあちゃんが言っていることが伝わっていたと思う。

 そして自分が飼い主から“捨てられた”のだということも、おそらくはそのネコには理解できていたのだと思う。


 ネコに人間語はわからない。

 人間にネコ語はわからない。

 おたがいの言葉は、おたがいに複雑すぎる。


 だけど、意思疎通の方法は言葉だけとは限らない。



『ネコ達の言葉や考え方がわかる』



 本稿でそんなことをいうつもりはないのだ。

 私には彼らの言葉はわからない。

 でも、彼らの仕草を見ていれば、自ずと彼らの“気持ち”は理解できるような気がするのだ。


 “置いてかれて寂しい気持ち”は、きっと人間もネコも、違いはないのだろう。





 今週はずっと雨振りだった。

 屋根の下に住んでいても、畳の下から沁み込んでくる冷気が身体を芯から冷やす。私は身体があまり丈夫ではないので、寒さは耐え難い。


 一度文明的な生活を経験した人間には、今更野生に還るのは不可能なのだろう。

 そして、それは『一度飼われたネコ』だって同じはず。



(あのネコは、いま“幸せ”だろうか? 幸せであってくれたら──)



 窓の外の二月の雨を見ながら、私はそう思わずにはいられないのである。









『ネコの気持ち』…了

≈≈≈

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