白と黒 後編
「以前教えていただいた不動産投資のお話、面白かったです」
穂香の方から本題に触れてきた。
「ああいうのは運がよかっただけなんです。いいと思った土地を買ったら地価が上がった。SNSに上げてないだけで、その逆も多いんですよ」
「まさか、そんなことはないでしょう」
穂香の目がきらりと光る。さすが白石敬一郎の孫だ。儲け話に食いついた。
「もちろん投資する土地に関しては調べますよ。リスクに対する対策は充分に立てて臨みます」
相手の出方を予想して対策をたてる。これは黒田のような商売をする人間には欠かせない。今までも事前に予習をして対策を講じてきたから、難を逃れたり利益を得たりしている。時にはあくどいこともしてきた黒田が、法に触れることがなく(法に触れても露見することなく)投資のプロとして活動できているのは、この事前対策のお陰である。
「このお屋敷に関してですが、建物は丈夫だし、手入れされているから使いようによってはいいと思いますよ。やっぱり問題は立地ですね。この辺りに人が集まるような施設はありませんか?」
「残念ながらありません。祖父は一代で会社を興して大きくしたやり手でした。でもその分敵も多かったんです。こういう人が来ない場所で家族と過ごすことを唯一の息抜きにしていました」
「それは贅沢ですね」
「幼いときは、祖父の気まぐれでこんな場所に連れて来られるのが嫌でした。私はもっとお店のある華やかな場所の方が好きでしたから」
「お金持ちのお嬢さんだったんだ」
ポロリと本音が漏れた。紅茶の淹れ方も知らないようだから当然だと思うが、穂香は首を振った。
「そんなことはありません。うちは父が……」
言いかけた穂香がこちらをちらりと見たとき、うっかり黒田は欠伸をしてしまった。
「失礼」口を押えて謝る。「昨夜は遅くまで起きていたものですから」
「いいえ、こちらこそ忙しい時に来ていただいてありがとうございます。
さっきの話に戻りますが、うちはそれほどお金持ちじゃないんです。父は婿養子で、祖父に気に入られようと必死でした。そこを悪い投資家に付け込まれて全財産を失った。それで……自ら命を絶ってしまって……」
突然の重い告白に戸惑ってしまう。しかし投資の世界ではよくある。
「ご苦労されなんですね」
「はい、父は多額の借金を抱えており、母も私も相続放棄をして祖父の元に身を寄せました」
その祖父というのが白石敬一郎になるのだろう。
「軽率なことを申し上げてすみません」
ぺこりと頭を下げて残っていた紅茶を飲み干した。やっぱり苦くて甘い。
「私の父がどんな投資話に乗せられたか、興味がありませんか?」
穂香の目が潤んでいるのは、父親を亡くした悲しみだけではなさそうだ。暖炉の薪が生乾きなのかもしれない。煙が目に染みる。それとも煙突が詰まっているとか。しばらくここを使っていなかったのなら、十分にあり得る話だ。
「いえ、仕事柄そういう話はよく聞きますから」
とうとう涙が流れ出し、黒田はポケットからハンカチを出して押さえた。このままだと一酸化炭素中毒になりそうだ。
「騙されたんです。悪徳投資家に」
こちらがやんわり拒んでいるのに、穂香は話を続ける。
「座って!」
立ち上がって薪の様子を見ようとしただけなのに、穂香は怒鳴った。この女やばくないか。不安に思いながらも、黒田は座り直した。
「父は不動産売買を持ちかけられたんです。これから絶対値段が上がると言って荒れ地を買わされました」
やれやれ、こういう売りつけた側だけを責める奴はどこにでもいる。だけど買った方に責任はなかったのか。そんな絶対値上がりする不動産なんてあるはずない。それを欲の皮をつっぱらせ、濡れ手に粟を目論んだりするから悪いんだ。
「お父様はお気の毒だと思いますが、ちょっと世間知らずだったんじゃないですか」
投資を進める側の黒田としては、そう言わざるを得ない。
「そうでした」
怒るかと思ったきつい言葉を、穂香は素直に受け止めた。
「確かに父の考えは甘かったんでしょう。でもそれが自ら命を絶つほどの罪だとは思いません」
「まあ、それはそうでしょうけど……自己破産することもできた訳ですし」
何も死ぬことはないだろう。
「そうですね……でも父は絶望したんです」
他人の悲劇に興味はないが、神妙な表情を作っておく。
「そうだったんですね」
穂香のカップを見ると空になっていた。あれほど苦いのによく飲み干したなあと思うが、自分で淹れた手前、引っ込みがつかなかったんだろう。
「だから私は、父を陥れた投資家を同じ目に遭わせてやろうと思うんです」
言い切った穂香がまっすぐこちらを見ている。
いるんだよな、こういう勘違い女。全部周りのせいにするんだ。
黒田はソファーに深く背中を預けると、堂々と欠伸をした。こうなったらもうこちらが眠いことを隠す気にならない。
「父は自分が詐欺に遭った経緯を細かく記録していました。そこで黒田さんのことを知ったんです」
黒田は自分の足が震えているのを知った。こんな時にいけないと思って手で押さえようとするのに、震えが全身にまで広がっていく。
「どうしたんですか?」
穂香が不思議そうに黒田を見ている。
どうやら自分は笑っていたみたいだ。
「いや、俺も舐められたもんだと思って」
敬語を使う気持ちが失せていた。
ドーベルマンが黒田に向かって吠えるが、主に命令されない限り噛みついたりしない。
「俺みたいな投資家に必要なのはリサーチなわけ。ここに呼ばれたときに、この屋敷の所有者につい調べた。そしたら以前投資を持ち掛けた男の、義理の父親の物だって分かった。これはやばいって思ったんだけど、みすみす儲け話を逃す手はない。それで来てみたんだ」
黒田はハンカチを口に当てた。
「暖炉を使って一酸化炭素中毒にしてやろうとか思ってるだろう。暖炉の煙突、詰まってるみたいだし」
涙を流している穂香に、さらに言い募る。
「ああ、俺、こっちの紅茶は飲んでないから。こっそり入れ替えた」
実は砂糖を要求したとき、穂香の紅茶を持っていた空のコーヒーカップに一旦移し、自分の紅茶を穂香のカップに入れた。それからコーヒーカップの穂香の紅茶を自分のカップに戻したのだ。
「そんな……」
立ち上がろうとした穂香は足に力が入らないみたいだ。
「睡眠薬か何か入れてただろう。ものすごく苦かった」
こんな雑な殺人計画を立てるなんて、親子そろって世間知らずだ。
「……ルル……ゴー」
振り絞るように言うと、穂香の瞼は落ちてしまった。
ドーベルマンがのそりと立ち上がる。
黒田は懐のポケットに手を入れた。ルルが喉を鳴らし、近づいてくる。
逃げるように後ろに下がり、ルルが飛びかかってくる瞬間、ポケットに入れた手を出した。
キャィーン
情けない悲鳴を上げたルルは、その場で倒れ、足をバタバタと動かした。
穂香が番犬を連れて来ることは想定内だった。穂香は日常をSNSで発信していて、よくドーベルマンが登場していたからだ。
持参していた動物撃退用スプレーをさらにドーベルマンの鼻先に振りかけると、体全体が痙攣するように小刻みに震えた。人間の3000倍以上嗅覚が鋭い犬にとって、使われている香辛料は強い刺激になる。
黒田は立ち上がると犬を見下ろした。事前対策は怠りない。
暖炉の煙突は案の定、掃除されておらず詰まっていた。
このまま穂香は番犬と一緒に、緩やかに死んでいく。
警察は不注意による事故か父親が亡くなったことによる傷心の末の自殺か、そのどちらかと判断するだろう。
大丈夫。自分が怪しまれることはない。そもそも穂香は、殺すつもりで黒田をここに呼んだのだから、証拠を残していないはずだ。
来た時に渡した名刺をポケットにしまい、紅茶のカップを洗い、指紋を消した。鞄を持って、リビングを密封するようにドアを閉める。
外に出るとちらちら雪が降り始めていた。
車に乗り込む。
穂香と白い犬が遺体となって発見されたら、あの洋館は事故物件として売りに出されることになる。そうなると格安で手に入れるチャンスだ。さっき思いついた洋館を安く買い取る方法とは、事故物件にすることだった。それにしても、これほどうまくいくとは思わなかった。
喪服姿で亡くなった美女とそれに寄り添うように亡くなった飼い犬。そうだ。幽霊が出るペンションとして売り出してみようか。
黒田は新しく思いついた事業計画にほくそ笑んだ。緊張が解けるとタバコが吸いたくなってきた。ダッシュボードに手を伸ばす。
車は断崖絶壁に差し掛かっていた。海は灰色で空と区別がつかない。
手がぬるりとした冷たいのに触れた。これって?
苦手なものは長くて細い物。SNSに上げている。
黒田が事前に相手のことを調査するように、相手も黒田のことを調査していたのだとしたら?
洋館に停まっていた白いポルシェ。あれは穂香の物か? もしかしてもう一人別にいたのだとしたら? 黒田がリビングに鞄を置いたときにその誰かが、黒田の鞄からキーを取り出し、苦手なものを車に忍び込ませたとか。
心臓が煩いぐらいに暴れている。
白と黒 森野湧水 @kotetu1
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