白と黒

森野湧水

白と黒 前編

 白いポルシェの隣に軽自動車を停めた。

 なんだよこの車。

 顧客情報は把握しているつもりだったが、こういう高級車を乗り回しているなんて知らなかった。

 金持ちって奴は自分の富を見せびらかすんだよな。   

 嫉妬を覚える自分を必死でなだめる。

 ここは目立ってはいけない。この軽で充分だ。

 約束の時間には少し早かったから、途中で買ったコーヒーを両手に包み込むようにして洋館を見上げた。一服したくなってダッシュボードに手を伸ばしかけ、これから会う顧客のことを思って我慢する。

 昭和のミステリー映画に登場するような外観をしていた。切妻屋根に白レンガの壁。あの宿泊客が次々に殺されていくやつだ。神戸の異人館へ行ったことがあるが、こういう感じの洋館があった気がする。大きさは半分ぐらいだが。

 ここは予習をしておくべきだろうと考えて、黒田は車の外に出た。

 空気は顔を刺すように冷たく、薄汚れた羊みたいな雲で空は覆われていた。帰る頃には雪になりそうだ。

 洋館の周りをとりあえず一周する。

 周辺の木々は伐採されていて、庭のような花壇がある。そこにベンチやテーブルが置かれているから、春になったらお茶を飲んだり食事をしたり、優雅な時間を過ごせそうだ。こんな山奥の洋館なんて売り物になるのかと心配したが、これなら大丈夫。商品価値は十分にある。

 相手はいくらぐらいを望んでいるのか。そこが一番の問題である。

 様々な可能性を思い描きながら、ここは当人にお伺いを立てるのが一番だと結論に達した。

 頃合いを見計らってインターホンを押すと「はーい。ちょっと待ってくださいね」と、若い女の声が返ってきた。

 重そうな音がしてドアが開いて顔を覗かせたのは、黒い喪服のようなワンピース姿の女性だった。

 二十歳前後の小娘と聞いていたから、ねじ伏せてやろうと多少強引な気持ちでいた。だけど現れた女性は切れ長の目と高い鼻が西洋の魔女みたいだ。腹に一物をかかえたやりにくい相手かもしれない。手こずりそうな予感がする。

 女性の隣に立つ黒いドーベルマンが、黒田に向かって激しく吠えた。

「ルル、止めなさい!」

 女性が犬の名を呼んで叱る。

 黒田が胸ポケットに手を入れるより先に、ドーベルマンは大人しくなった。躾が行き届いているみたいだ。こういう場所に業者を招き入れる上での番犬なんだろう。むやみに噛みつかれるのは困るが、犬を恐いと思わない。

「白石穂香さんですか?」

 確かめると穂香はコクリと頷いた。案外しぐさは幼い。

「黒田といいます」

 深く頭を下げ、鞄から名刺を出す。

「わざわざこんなところまでお呼び立てしまして申し訳ありません。すぐに分かりましたか?」

「大丈夫ですよ。高速道路は空いていたし、事前に送ってもらった地図は正確でしたから。……でも崖の上を走ったり森の中に入ったり、本当にこんな場所にお屋敷があるのか心配になりました。ほら、ここは携帯電話が通じないみたいですし」

 長野県の森林地帯だった。道が合っているか確かめようにも、WiFiが繋がらなかったのだ。

「そうなんですよ。本当にすみません。ああ、こんなところで長話もなんですね。まずは、お入りください」

 穂香がドアが閉まらないように手で押さえてくれた。

「お邪魔します」

 一礼して広い玄関に足を踏み入れ、全身を包む温かさにほっとした。

 こんな不便な場所でセントラルヒーティングかといぶかしく思ったが、リビングに通されて納得した。

 レンガの暖炉で、薪が赤々と燃えていたからだ。壁には牡鹿頭部のはく製が掛っていて、窓は飾り棚になっている。広いテーブルを囲むソファーはロココ調で王宮気分を味わえそうだ。

「これはすばらしい」

 心の底からの声だった。外観だけでなく内部も十分に資産価値がある。

 それに対して穂香は、笑って首を振った。もしかして彼女は、この屋敷を使い物にならない空き家だと思っているのだろうか。

「失礼ですが、こちらはどなたの所有物なんですか」

「メールでお話した通り、祖父白石敬一郎の財産で私が相続することになっています。でも来ていただいてお分かりのようにとても不便な場所にあるんです。私ではここを維持するのは難しいので、どうしたらいいか相談できたらと思いまして」

 なるほどなるほど。営業スマイルで頷く。白石敬一郎というのは黒田も知っているほどの有名な資産家だ。

「失礼ですが、他の部屋も見せていただけますか?」

 鞄をソファーに置かしてもらう。

 奥は、窓が大きく庭が見渡せる食堂になっていて、さらにその奥は働き易そうな無駄のない調理場だった。食堂からはらせん階段で二階に上がることができ、屋敷の主人の部屋とゲストルームが二つあった。こちらは華美に装飾が施されていないが、それぞれ独立していて水回りが整っている。電気にも問題ない。ときどきドーベルマンが黒谷向かって牙をむいたが、この屋敷の資産価値には関係のないことだった。

 宿泊施設として利用できないか。一番にそう思った。

 だけどこの屋敷付近に、観光したり遊んだりできる施設はない。

 それならいっそのこと、ここを美術館のように改造したらどうだろう。それとも腕のいい料理人を雇い、隠れ家的なペンションとして売り出そうか。   

 そうなると気になるのは、穂香がここをいくらで売りたいと考えているかだ。すっかりこの屋敷を買いとるつもりになって算段していると、穂香に訊かれた。

「どうですか?」

「そうですね……」

 困ったという表情をわざと作りながらも、黒田の頭の中はフル回転をしていた。

 そして黒田は、格安でこの屋敷を手に入れる方法を思いついた。

「下で、お茶でもいかがですか」

 穂香に促されて、リビングで商談に取り掛かることになる。

 ゆったりとしたソファーに体をうずめると、いったん穂香は引っ込んだ。暖炉で温められたリビングは暑いぐらいで上着を脱ぐ。パチパチと音を立てる薪は耳に心地よく、自分が商談で訪れていることを忘れてしまいそうだ。大した教養も実績もない自分が、見知らぬ相手から気軽に査定を頼まれるようになったのは、SNSのお陰である。適当に画像を切り抜いて営業実績を捏造すれば、お金が大好きな輩が群がって来た。

 スマホを起動させここでは繋がらないことを再確認する。瞬きを何度かすると涙が溢れた。

「お待たせしてすみません」

 穂香が紅茶を用意して戻って来た。黒田の前に置かれたマイセンのカップは来客用みたいだ。自分はウエッジウッドを使っている。漂うこの香りはアールグレィか。さっきまで自分が飲んでいたコンビニコーヒーとはえらい違だ。

 正面に穂香は座り、ドーベルマンは寄りそうにように足元に伏せた。

 お金の専門家として発信している黒田の元に穂香が相談をしてきたのは、数週間前だった。不動産売買に興味があるようで、黒田が過去に担当した取引きをいくつか紹介したところ、自分が直面している問題について相談された。やり取りをしているうちに商売人としての黒田の嗅覚が働き、一度その洋館を見ることになった。

「名義変更はすませたんですか?」

「実はまだなんです。お屋敷の価値を見極めてからにしようと思って」

 このお嬢さんをどうやって攻略するか、考えながら紅茶のカップを覗くと、真っ黒だった。舌先で味わってみるとぴりぴり痺れる。もしかするとこのお嬢さん、誰かにお茶を出したことが無いんじゃないか。

「すみません。お砂糖もらえますか」

 ぴょこんと立ち上がった穂香は、すぐに砂糖を持って来た。

「作法が分からなくて申し訳ない」

 出された砂糖のスティックを三本入れてかき混ぜ、一口飲んだ。

 甘みと苦味がまざって変な味になっている。まずいと声に出してしまいそうになるのを、顧客の前だから我慢した。

「毎日お忙しいんですよね」

 穂香は砕けた口調で聞いてきた。

「そんなことはありません。休みはちゃんと取ることにしてますから」

 雑談がしばらく続く。

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