早すぎる ぜんぶ

樹 亜希 (いつき あき)

あのこのこと

 コロナ禍を経て、今は空前のペットブームだと思うのは私だけだろうか?

 インスタ・YouTubeに、ツイッター(旧時代)に溢れる可愛さの大渋滞は

うれしくもあり、感傷的にもなる。私の心の中にいるあのこは今もそのままに。

 だが、今もそばにいてほしい。そうであってほしかった。

 人間にも寿命があるように、生きるものすべてに寿命がある。

 しかし、あの頃はスマホもなければ、デジタルカメラもない。

 あのこの写真はほんの僅かでそれを見ても生きていた証が少なすぎるので、涙するときは、概ねふとした瞬間に脳裏に浮かぶ自分とあのこのこと。何度も切れそうになる関係性を一方的につなぎ止めようとしていた、幼い恋愛関係の糸が完全に切られた。そのことを知ってか知らずか、あのこは声を殺して祖母が逝去したときぶりに泣いたのを見ていた。

 傅く、今ではあまり聞かない言葉だが、猫がしゃんと座り耳をたてて、尻尾で自分の黒い足を器用に巻いて一定の距離をとり、私を見る。

 近寄らない、決して。

 そして、日が暮れて夏の夜が迫ってきてもあのこは私から手の届かない微妙な距離を取り、ずっと動かずにそこにいた。

 猫特有の丸くなることも、眠ることも、トイレにも行かず、水を飲みに階下へ降りることもしない。ほんの少しの物音も逃さず、階下へ降りて何も起こっていないか確認するほどの用心深さと危機管理能力の備わったあのこは、私の部屋にいた。


 母よりも、存在しない姉よりも、あのこは私の最後の砦となった。

 ここで大きな翼を広げて、私を包み、天空へと連れてくれたらお互いに幸せだったのかも知れないと今思う。

 あのこは今のようにたくさん存在する動物病院がない時代に大きな病苦で、変な獣医にしか診せてやることができず、私の納得する死を迎えさせることができなかった。ビデオも、写真もない。自宅の庭に咲いた花と首輪を持って虹の橋を渡った。

 

 今なら。

 今ここにいたら、動物病院に定期的に行くこともできるし、避妊手術も受けただろう。おいしい食べ物も数え切れないほど存在する。

 まさにお姫様のように甘やかしていただろう。


 半年ほど失踪したときは、もうこの世にいないと諦めた。

 探し回った、それこそ毎日。

 今のようにSNS もないし、埋め込み式のチップもない。


 ある日、まるで食パンほどの細さで顔だけ大きくして、通りの向こうから尻尾だけは立てて歩いて帰ってきたあのこをみたとき、今もありありと思い出すことができる。

 耳の上はちぎれて、毛並みもボロボロ。このときに、死ぬ前に家に帰ってきたのだと思った。しかし、このとき縁の下(昔の家にあったが、今はもう見かけない)に潜り、うなり声を上げて私たちを寄せ付けずに一ヶ月ほどいただろうか。

 餌や水を暗い場所にそっと置くだけしかできなかった。

 そこから生還したあと、六年後にあのこは病で亡くなった。

 大学の必須授業が一講目にあり、どうしても朝からいかねばならずに私がいない間に、冷たくなっていた。

 今もこれを書きながら泣いている。


 ホームセンターやペットショップにいる猫。

 カフェに行った時に屋根にいた猫。


 どの子もかわいい。

 でもあのこ、の、かわりにはなれない。

 コールドスリープが可能になる未来があるとするならば、一緒にいられたのにね。ごめん、おまえの存在も、私との出会いも早すぎたね。

 いつか、私がこの世との別れを迎えたら、そちらで待っていてくれないか?

 だめならいいんだ。

 

                了

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早すぎる ぜんぶ 樹 亜希 (いつき あき) @takoyan

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