第7話 夕霧先生の許せないモノ


「……ここで?」

「他にどこがございましょうか?」

「でも、やっぱりその恥ずかしいというか……だって外から見えちゃうよ? せめて何か隠すものとかないのかな?」


 すると夕霧が下りているすだれを指差した。これで隠してるって言いたいのだろうか。夕霧は正気じゃないみたいらしい。


「いやっ!それは隠してるって言えなくないかな?!」

「私も着替えたのです。早くお脱ぎくださいませ」


 ボクの意見など、聞く気がないらしい。


「お願いっ!せめて何か隠すものを……」


 ボクの必死の願いが夕霧の耳に届くことはなかった。夕霧はにこやかな表情を崩さず、声色でボクに圧力をかけてきた。


「はやく、お脱ぎ、くださいませ」

「……わかったよぉ」


 仕方なく、ボクはパジャマに手をかけた。死ぬほど恥ずかしいけど、夕霧の言うとおりずっとパジャマのままいるわけにもいかないし、背に腹はかえられない。


 急いで着替えてせめて全裸になってしまう時間を少なくすることが、せめてできる抵抗だろう。ボクは急いでパジャマを脱ぎ始めた。


 そして上下のパジャマを脱ぎパンツ一枚になった時、ボクのお尻にパチン! という乾いた音と衝撃が響いた。


「ひゃっ?!」


 びっくりしてお尻の方へ顔を向けると、ボクのお尻をわしづかみながら夕霧が顔を近づけていた。


「これは……なんと素晴らしいものでしょう! この腰布は女性の愛らしさを際立たせるだけではなく、機能性も両立させております! このようなものがあったなんて……」


 どうやら夕霧はボクの履いているパンツに感動しているようだった。感動しているだけではなく、質感と材質を調べようとしているらしく、わしづかんでいた手ですりすりとボクのお尻をさすりだしたのだった。


「あの、さ……脱いだ後でいくらでも見てくれていいからさ……とりあえず今は離してくれないかな?」


 パンツにご執心なのはわかるけど、いくら女の子同士とはいえお尻をそこまで丁寧にさすられると、ちょっと妙な気分になってくる気がする。


「こっ、これはなんという失礼を……!」


 頬を赤く染めながら夕霧はボクのお尻から手を離した。ボクは脱いだパジャマを腰に巻くようにして恥ずかしいところを隠しながらパンツを脱いだ。


「はやく!はやくどんな服を着ればいいか教えて!」


 必死に急かすボクとは裏腹に、夕霧はボクの姿を見て、ほぉとうっとりとした表情を浮かべていた。


「まことに……すばらしいお身体でございますね~……」

「わ、わかったから! うんありがとう! ありがとう! だからはやく服をさぁ!」

「羨ましいかぎりでございますねぇ~……」

「お願いだから! はやく! ねえ夕霧ってばぁ!」


 あのすだれの向こうから、いつ人が入ってきてもおかしくないという感覚が、より一層ボクの恥ずかしさがかきたてられるようだった。


 そんなボクの必死の訴えが届いたのか夕霧はやっと重い腰を上げ、ボクの着付けの準備を始めだしてくれたのだった。


「とにかくっ…! まず下からお願い! 下から…!」

「うむむぅ? それだと着付けの順番を崩すことになりますが」

「いいから! とにかくお願いだから下を隠させて!!」

「なりません。着付けとは順序を守ってこそ、美しい装いとなるものです。ましてや夕映様のような恵まれた体躯――さぞやお美しいお姿になられましょうや」


 着せ替え人形で遊ぶ子供のように両目を輝かせながら、夕霧はじっくりと着物を選び出した。


 どうやら夕霧にとっては着付けは神聖なものらしく、その順番を変えるなど考えられないといった感じだった。


 ――ええい! こうなったら!


 ボクは鼻歌交じりで着物を選ぶ夕霧が盾になるように、すだれの向こう側から下半身が見えない位置に移動した。


 そして腰に巻きつけてたパジャマを外して、胸を両手で庇うように隠した。夕霧からは丸見えだけど、これでなんとかすだれの向こう側からは見えないはずだ。


 どうやら、ボクのこの判断は正しかったようだった。なぜかというと、夕霧は色合いのコーディネートに納得できないらしく、中々ボクに服を着させてくれなかったからだ。


 五分程ボクはほったらかされただろうか。突然夕霧が、


「これでよろしいでしょうね」


 と声をあげた。夕霧の前にはボクに着せるつもりの着物がこんもりと積みあがっている。


「では、着付けを施してまいりましょうかっ♪」


 夕霧の弾むような声と共に、ボクの着付けがはじまった……のだけど、得意げな夕霧の鼻っ柱がへし折られるような問題がいきなり出てきたんだよね。


「そんな……そのようなことが……」


 絶望に打ちひしがれるようなショックを夕霧はうけているようだった。夕霧にそこまでショックを与えた問題、それは…………。


「小袖が合わないなんて……」


 そう、ボクの胸が小袖につっかえて着物の帯が締められないのだった。ただ、これはボクにとっても大問題でもある。


 この小袖が着れない=着付けが先に進まないってことなのだから。しかも小袖は着付けの一番最初だから――――結局、全裸のままっていうね……。


「この小袖は私が大きくなったときにと、大事にとっておいたものなのに……これが合わないなんて……そんな……」


 いやいや、19歳って十分大きくなってるはずなんじゃないの? と思ったけど、この状況でそんなことを言ってしまうほどボクは命知らずじゃない。


 とりあえず何か解決法を考えないと、全裸で晒し者のままこの時代を生きていかないといけなくなっちゃうだろう。それだけは絶対ダメだ。


「あ、あのさ。他の人に借りてくるとかは……」


 わなわなと震える夕霧にボクはそれとなく解決の糸口になりそうなアドバイスをかけてみたが反応はなかった。しかし、それは突然やってきた。


「そんなこと……あってなるものですかっ!!」


 鬼気迫る表情っていう言葉をボクはこの瞬間、頭ではなく心で理解できた。


 今まさに夕霧がその言葉の通りの表情と気迫で、手元にあった長い白い布を手にとり、ボクの方を振り向いたからだ。


「ね、ねえ夕霧……その布って、何につか――」

「そこにお座りくださいませ!!」

「……はい」


 今まで色んな人と接してきたけど、今日の夕霧程の迫力を感じたことは一度も無かった。うん、ここは素直に言う事を聞いておこう。


 ボクは夕霧の言葉に従い、床に正座をした。


「その忌まわしいものを庇っている手をおどけください!!」


 どうやらボクの胸のことを言ってるようだった。色々と反論したいけど、素直にボクは胸から手を外し、正座した腿の上に置いた。


 しかし、全裸で正座させられるなんて、まるでボクが悪いことをして説教されてるみたいだった。いや、夕霧からすれば悪いことをした? のかもしれないけど……。


 あらわになったボクの胸に夕霧は先ほどの長い布をくるくると巻き付けだした。そして次の瞬間――。


 ボクの背中に片足を乗せ、全力でその布を締め付けだしたのだった。


「いっ! 痛い! 痛いよ夕霧!!」


 想像を絶する痛さだった。昔お母さんからボクに着物は酷だと言われたのが今ならなんとなく理解できる気がする。


「我慢してくださいませ!!お恨みなさるのならば、夕映様の艶麗かつ豊満なお身体をお恨みくださいませ!!」

「そんな無茶苦茶な!!」


 そうして布――つまりサラシをボクの胸に巻きつけ、なんとかボクの着付けは着々と進んでいった。


 着付けをしている間、中世のイギリス貴族がコルセットで苦しんでいたという逸話がボクの頭にずっと浮かんでいたけどね。


「これにて着付けは終いでございます。私の見立て通り、夕映様の美しさは落ち着いた色でこそ際立つものというものです」


 ほっこりとした笑みを浮かべながら夕霧が言った。


「そ、そうなのかな?」

「はい! 実にお美しゅうございますよ。私が殿方でしたら、今の夕映様を放っておくことなど出来ぬくらいでございます」


 とは言われても、ボクにはちょっと実感がもてなかった。今まで着物なんて着たことなかったし、何よりボクは人生で綺麗とか美しいとか、そういう美辞麗句には一切縁が無かったもんね。せいぜい言われて「女らしくしろ」っていうのが関の山だったし。


 ボクのぶっちゃけた感想を言わせてもらえれば、ただ重くて胸が苦しいってことくらいしか浮かばない。


「う~ん、やっぱり自分で見てみない限りにはなんともいえないなぁ……」

「夕映様は疑り深うございますね」


 少しむすっとした表情で夕霧が言った。


「ごめんごめん。いや、夕霧のコーディネートを疑うわけじゃないんだ。ただ、ボクは今まで綺麗とか言われたことないから、どうにもピンとこなくてさ」

「こ、こーでぃ?」


 しまった。ついつい横文字を使っちゃった。ここはなんとか誤魔化さないと。


「そ、そうだ! ねえ夕霧、そこのスマホをとってくれるかな?」

「すまほ?」

「それだよ。朝すごい音が鳴ってた四角いやつ」


 ボクが指差した方を夕霧が見た。するとびくっ! と身体を震わせ、怯えた表情でボクを見た。


「あ、あれがいかがなさいましたか?」

「ちょっと取ってボクに渡してくれないかな?」


 ボクの言葉を聞いた瞬間、夕霧は嫌々をするように物凄い勢いで首と両手を左右に振りだした。


「そっ、そんな! そのような試練を私にお与えなさるのですか?!」


 試練とはまたすごい言葉が出てきたよ。まあ、確かにこの時代に存在しない得体の知れないものを触れって言われれば、確かに試練なのかもしれないけどさ。


「大丈夫だよ。ボクも触ってたじゃない」

「そ、そうですよね。夕映様も触れてらしたし、大事無いですよね……」


 余りの夕霧の怯えように、思わずボクは苦笑してしまった。


「うん、だから悪いけど携帯をとってくれないかな?」

「わ、わかりました……お任せください!」


 そう言って夕霧は覚悟を決めるかのように言った。そしてゆっくりゆっくりと、慎重に携帯の方へと歩き始めた。


 夕霧のその怯えた姿にボクのいたずら心が刺激された。


 これはまさにチャンスってやつじゃないかな? さっきまで責められてたボクが仕返しをすることの出来るチャンスっていうやつだよね、これは。


 ゆっくりと携帯に近づくに夕霧に気付かれないように、ボクは夕霧の視界の外に身体をずらした。


 そして夕霧が携帯を手にとろうとしたその瞬間――。


「わっ!!」

「ぎゃひぃぃいぃぃいいぃいいぃいいい?!」


 物凄い悲鳴と共に、夕霧の身体が飛び跳ねるように揺れた。そしてギリギリと油の切れたような機械のように、ぎこちなく顔だけをボクの方へと向けた。


 魂が口から抜け出たような蒼白の顔に涙が滲んでいた。……やりすぎたみたい。


「ご、ごめん……」

「イ、イエ……タダコレッキリニシテクダサイマセ……」


 カタコトでイントネーションが無茶苦茶だったけど、どうやら命に別状はないみたい。よかったよかった。


 腰が抜けてしまった様子の夕霧の代わりに携帯を取る為、歩き出そうとしたその時――、


「いかがなされましたかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

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