第6話 夕霧先生の十二単講座
どうやったら帰れるのだろう? それともずっとこの時代で生きていかなきゃいけないのだろう?そんな思いが頭に浮かび上がり、ボクの不安と恐怖は益々掻き立てられた。
そんな震えるボクを夕霧は優しく抱きしめ、慰めてくれた。
「突然このような怪奇にみまわれ、さぞ恐ろしい思いをしていらっしゃると存じ上げます――ですが、こちらに来たということは、必ずや帰る方法もあると私は考えます」
「そうかな……本当に、そうかな……」
涙声になりながら、ボクは言った。
「ええ――――世の理には必ずやそれが起こる理由があるものでございます。その理由さえ見つければ、きっと元の場所へと帰れる方法もわかるかと……」
優しくボクの手を掌でぽんぽんと叩きながら夕霧は言った。
確かに、夕霧の言うとおりかもしれない。何の理由も無くボクがタイムスリップするなんてちょっと普通じゃ考えられないことだ。
しかもボクとそっくりな顔をした夕霧の前にピンポイントで現れるなんて、いくらなんでも出来すぎていると思う。
一体何が理由かはわからないけど、少なくとも夕霧に何か関係があるのは間違いないようにボクは思った。
そういえば、ボクがここに来る前に見た、あの変な夢――今思えば、あの変な夢も夢じゃなかったとしたら……。
そうだとしたら、あの金縛りだった時に時間を移動したってことなのだろうか? よくよく思い出してみよう――。
最初になんか浮遊感を感じて、そして急に落ちだして、そして止まるような感覚になって……。
そしてこの部屋でお尻を打って目が覚めた。あぁ……なんかタイムスリップしたっぽい気がする……。
そもそも夢だったとしてだよ、こんな正確に夢を覚えてること自体、それもまた変な話なんだよね。
ということは、やっぱりボクはタイムスリップしてしまったと考えるのが自然な流れなのかもしれない。かもしれないけど……。
「そう簡単には……受け入れられないよね……」
というか、こういう状況をすぐに受け入れられる人がいたら逆に教えて欲しい。そこまでボクは人生経験豊富じゃないので、とてもじゃないけど今の事態を受け入れられなかった。
「お気持ちは十二分にお察しいたします……ですが今はまず、お召し物をお替えになりませんと……」
夕霧が申し訳なさそうに言った。
「お召し物?」
「その伝説上の生物が刺繍された衣服でございます。夕映様のお話では、そのようなものは今の世に存在せぬものでございましょう?ゆえに、それをお召しになっておられるところを人に見られれば、あまり好まざることになるかと……」
確かにもっともな話だ。この平安時代に、にゃんたんのパジャマとかいくらなんでも場違いすぎるもんね。(ボクの時代でも、なぜか友達たちに人気は出てないけど)
「じゃあ……」
「おはようございます、ミコト様。それではお召し物を整えたく存じ上げますので、お目通りのほうをよろしくお願いいたします」
ボクの言葉を打ち消すように、すだれの向こう側から声が響いてきた。
「きっ今日は結構でございますっ!!」
慌てて夕霧がその声に答えた。
わずかに考えるような間を置いて向こう側から声が返ってくる。
「ですが、お召し物をお替えなさらないと、本日のご公務に支障があると存じ上げますが――」
「理由は後ほど説明いたしますが、とにかく本日の補助は結構でございます!」
間はしばらく続いた。やがて向こうも諦めたように、
「かしこまりました……ですが、お召し物は必ずや正装に近くなさるよう、お願いいたします」
そう言って向こう側の声が擦るような足音と共に小さくなっていった。
「危のうございましたぁ……」
ふぅと安堵の溜息を漏らしながら夕霧は言った。そしてボクの方へと身体を向け、値踏みするような視線をボクに向けた。
「大丈夫だといいのですが……」
なんとも不安になるようなことをボソっと呟き、部屋の奥の方へそそくさと歩いていった。
一人部屋の中央に残され、手持ちぶさたになったボクは何気なく御張台の外布部分を引っ張った。
すると御張台の外布部分がストンっと落ち、蚊帳の様に張っていた布が全部畳みの上に落ちてしまったのだ。
「あえっ?!」
ど、どうしよう。壊しちゃったのかな? でも、まさかこんなに脆いとは思わなかったし、もちろん悪気なんてなかったし……。
「ど、どぉされましたかぁ……」
何やら重たそうな箱を引きずりながら夕霧が戻ってきた。そして見る影も無くなった御張台を見て、目を丸くしているようだった。
「い、いやぁ……これは、ね? そのぉ……」
「ゆ、夕映様……これは、なんと……」
小刻みに震えながら夕霧が畳の上に折り重なるようにして落ちた布に手をかけた。そしてパッとこちらを振り向いたかと思うと、満面の笑みで、
「なんという早業でございましょう!私ならばいくらかの手間隙をかけなければならない御張台を、このように時間をかけずに畳みなさるとは!」
と尊敬の念がこもってそうなキラキラとした表情で嬉しそうにはしゃぎ始めたのだった。
なんだかよくわからないけど、どうやら結果オーライみたいだしよしとしよう。
夕霧は弾むような調子で御張台を形作っていた布を畳み、それを引きずってきた重そうな箱の中へと丁寧になおしこんだ。
その間、本来御張台は天井や床がしっかり作られていて、畳んだり出来るようなものではないのだと夕霧が注釈をしてくれた。
というか、そもそも何のために御張台ってあるんだろう? 現代で言う寝室みたいなところなのかなぁ。それにしてはやっぱり仰々しい感じがするけど。
ボクが頭をひねっていると、目の前に何やらドサドサと大量の何かが置かれる音がした。
それにボクの意識と視線をやると、そこには様々な刺繍や色彩でいろどられた、大量の着物が置かれていた。
なんだかとぉ~~~っても嫌な予感がした。まさかこのきらびやかな着物を着なきゃいけないのだろうか。
「ねぇ、夕霧――って!」
すでに夕霧は全裸になっていた。いくら女の子同士とはいえ、思わずボクは目を伏せてしまっていた。
「どうかされましたか?」
夕霧が小首をかしげる。
「いやっだって……いきなり裸になってるから、その……」
夕霧はクスクス笑いながら、
「脱がなければ着物は着れませんよ?」
と至極当然の答えをボクによこしたのだった。
「まあ、確かにそうなんだけど……」
ここまで堂々とされると、恥ずかしがってるボクのほうが悪い気がしてくるから変な感じだ。
まあ、本人もああいってることだし、ボクは夕霧に視線を戻した。
明るいところでみると改めて夕霧の神秘的な美しさが際立っているような気がした。
朝の光を浴びた白い肌はまるで透明なガラス細工のように透き通っており、そして室内の寒さのせいか、所々がほんのり紅く染まっているのも白さを際立たせるアクセントになっていた。
夕霧は嫌がるかもしれないけど、夕霧の小さな身長と断崖絶壁のような胸のおかげで、神秘的だけど可愛らしさも両立した、奇跡のような美しさで溢れていた。
思わずボクは夕霧の着替える姿に目を奪われていた。着付けが難しそうな服を慣れた手つきでこなしているのに尊敬もしたけど、なぜだか自然とにやにやと表情が綻んじゃうんだよね。なんというか、幼い子供が必死に大人ぶろうとしているみたいで――。
そんな夕霧がボクのにやけ顔に気付いたようで、
「……何か?」
と、ボクの思っていることに薄々感づいたらしく、少し不機嫌そうな声色で訊ねてきた。
「いや、綺麗だなぁ~って思ってさ」
ボクは素直に感想を口にした。もちろん、感想はそれだけではなかったけれど、そこまで正直に言ってしまうわけにはいかないからね。
「あ、ありがとうございます……ですが……う~ん……」
何やら納得していないような表情を浮かべながら夕霧は着付けを続けた。そしていくつもの着物を重ねてきたところで、
「今日はこのくらいでよいでしょうね」
と言った。着付けを終えた夕霧の姿を見ると、平安時代を象徴するあの衣装の名前をボクは口走っていた。
「
しかし、そんなボクのわずかな平安時代の知識を夕霧は容赦なく、
「はい?単を十二枚など着ませんよ?」
と、ぶった切るのだった。
「え、でもボクの時代だと十二単って呼んでるよ?」
なんとかボクは食い下がった。
「さようでございますか……ならばその記述が間違っておりますかと」
そして夕霧がボクが十二単と呼んだ服装について教えてくれた。
そもそも十二単の
じゃあどのようなものかというと、夕霧先生は次のように教えてくれた。
まず小袖着物(夕霧が夜来ていた寝間着のようなもの)という肌着を着て、袴に足を通し、そして大きめの単衣(床を引きずるくらい大きい)を着る。
そして
「へぇ……」
夕霧のうんちくを聞いていてボクはあることに気付いた。
「あれ、でもさ。着てる枚数って十二枚じゃないの?」
そう、夕霧のうんちく通りに着ているのだとすれば、全部で十二枚の着物を着ていることになる。
「ですから、十二単の単というのが間違いなのですよ」
あくまでも夕霧は単というところが気に食わないようだった。
「じゃあ夕霧達は十二単のことをなんて呼ぶの?」
「
なんとも舌を咬みそうな長さだ。多分この長さだとめんどくさいから、後々の歴史で十二単って略されたんじゃないかなぁ?
「そもそもですね――」
またうんちくを語りだしそうになった夕霧にボクはあわてて、
「と、ところでさ!ボクはどんな服装にすればいいのかな!」
と無理やり話題を切り替えた。夕霧には悪いけど、夕霧のうんちくは難しい言葉が多すぎて頭が痛くなっちゃうもん。
それにパジャマのままだと非常に寒いので、ぶっちゃけ早く着替えたかったりするんだよね。
「……それでは」
少し不服そうな顔をしながら夕霧は突然ボクに予想もしなかった言葉を浴びせかけてきたのだった。
「お召し物を全てお脱ぎくださいませ」
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