エレクトロ1905

黒江次郎

第1話

 エレクトロへの入口は、エレクトロで生まれた人間だけが知っている。


 本能か、無意識のささやかな信号か、それとも首の後ろに埋め込まれたチップのせいかは知らないが、とにかくわかるのだ。


「こっちだ、ニッキー。このなかに反応がある」


 目の前には、石灰岩が堆積した古い採石場。


 そして、ニッキーは犬だ。


 足が短くずんぐりしていて、尻尾がふさふさしたオーストラリアン・キャトル・ドッグ。笑うとマヌケな顔だが、侮ってはならない。この犬種はフリスビー・コンテストの常連だし、ずば抜けた敏捷性とスタミナを持っている。


 おれがウェイストランドを放浪する6年のあいだ、ニッキーは何度も力を貸してくれた。


 知性の面でも。


 ニッキーがおれの足のすねに前足をのせる。すると、額から角のように飛び出したテスラコイルがぱちぱち放電しだし、ニッキーの顔つきが変わった。


 ニッキーは犬――それも、人間と会話できるサイボーグ犬なのだ。


〈ジョー、注意したほうがいい〉


 心のなかにニッキーの考えが流れこんでくる。早くひと暴れしたいといううずうずする欲求や、さっき食べたジャコウネズミのパイの味も。


〈この穴ぐらから、グールベアのにおいがするからね〉

「どんなにおいだ、ニッキー。古くて、カビの生えた靴下みたいなにおいか?」

〈まだ新しくて、腐った巨大ミートローフみたいなにおいだ〉


 つまり、この先注意というわけだ。グールベアはウェイストランド最大の捕食者で、かなり手ごわい相手だった。


〈でも、いい知らせもある〉


 ニッキーが毛むくじゃらの耳をぴんと立てる。


〈洞窟の奥から、ボイラーみたいな音がときどき聞こえてくるんだ。グールベアの寝息さ〉


 そいつは確かに朗報だった。どんなにおそろしい生き物でも、昼寝をしているあいだは無防備になる。


穴居人けっきょじんはいるのか?」

〈いいや。すくなくとも、人間のにおいはしないね〉

「よし、クマ公を狩るぞ。このくそったれの地上とも、今日でおさらばだ」


 エレクトロ。


 ニューヨークのはるか上空に浮かぶ街。科学と発明のユートピア。ニコラ・テスラが手がけた驚異の空中都市。


 ふだんは雲に隠れて見えないが、エレクトロは確かに存在する。もし高度15,000フィートかそこらに到達する手段を持っているなら、エーテル浮揚エンジンがささやく歌声が聞こえるだろう。


 エレクトロ。


 エレクトロ。


 エレクトロ。


 おれの故郷。おれから娘と左腕を奪い、おれを地上に追放した罪深い街。その事実を忘れたことはない。


 電気ショックによる手術を何度か受け、記憶のほとんどを失った今も――


 おれは捕鯨砲を改造したハープーンガンを肩にかつぐと、採石場のなかに入っていった。

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エレクトロ1905 黒江次郎 @kuroejiro

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