第20話 重力系女子

 放課後。僕は急ぎ足で地学準備室の鍵を取りに行った。だけど、もう既に鍵は持ち出された後だった。それを聞いた僕は、駆け足で地学準備室へと向かった。何故なら、其処にはもう、今僕が一番惹かれている人がいるから。

 扉を開けると、その人がいた。重力に逆らうように結い上げられた濃藍の髪。宇宙を思わせる、黒い大きな瞳。僕と同じぐらいの背丈。

 その人は僕を見るなり、満面の笑みで手を上げ、軽い調子で挨拶をした。

「よっす、シンタロー!」

 僕を『シンタロー』と呼んだ彼女――真弓一果さんに、僕もまた手を上げて応える。

「今日は早かったんだね、真弓さ――」

 ビシッと、彼女が真っ直ぐ僕に指を突きつけた。

「『一果』!」

「あっ……そうだね。……一果さん」

「ホントは『さん』も無くして欲しいけど……ま、今はいっか。よしよし!」

 名前を呼ばれて満足げに頷く一果さん。

 どうしてこうなったのかと言うと、昨日の放課後デートの帰り際の事が始まりだ。

 僕がデートについて『真弓さんのご褒美になっていないんじゃないか』と言ったところ、彼女はそれなら、とこう言った。

『明日から『一果』と『シンタロー』って呼び合おうよ』

 そして今、言う通りに呼んだ訳だけれど……正直に言って、途轍もなく恥ずかしい。深月を呼ぶのとは訳が違う。それなのに、満面の笑みで開口一番に呼べる彼女は、やはり肝の座り方が違う。

「まあ、それより一果さん。深月が来たら、夏休みの活動計画を話し合う訳だけど。その前に……ちょっと、これ見てくれるかな」

 僕は鞄から鍵付きのノートを取り出した。『天文部極秘ノート』と書いたそれは、天文部以外の人に見られないように用意した、真弓さんの重力制御の能力について書くノートだ。最初の方のページには、それまで調べた内容が記されている。その後のページには、ひとまず僕が今知りたい事を思いつく限り書いた。

「ちょっと待って、シンタロー。『知りたいことリスト』だけど……こんなにあるの?」

「本当に思いついたから書いただけだから、一果さんがやりたくないこともあるかもしれないけど。例えば……重力を強くする場合とか」

 テスト前の一果さんに最後に会った日、僕は彼女が重力を強くしたのを初めて体感した。自分の上に重りが乗るというより、全身に重りを纏うといった感覚。辛かったけど、あれもまた無重力と同じぐらい貴重に過ぎる体験だった。とはいえ、辛いのは彼女にとっても同じなので、強要する気は更々ないけど――

「いいよ」

「いいの……!?」

 軽くOKされ、思わず食い気味に反応してしまった。

「だって、シンタローの頼みだし。聞かないワケないっしょ」

「一果さんも重くて、しんどいけど?」

「ヘーキだって。フフッ、シンタローはしんどいのはイヤ?」

「しんどくて嬉しいって、趣味は無いけど……協力してくれるなら嬉しいよ。あの時はそんな余裕無かったけど、今思うとやっぱりあれも、僕にとっては興味深くて仕方がないんだ……!」

「うえっ……ちょ、シンタロー。顔近いって」

「……あっ」

 思わず興奮して、随分彼女に顔を近付けてしまった。顔を紅くした一果さんと距離を取ったものの、妙な沈黙が流れてしまう。

「シンタローってさ……夢中になると、凄い前のめりになるよね……色々と」

 頬を掻きながら、消え入りそうな声で言う一果さん。嫌な思いをさせただろうか、と少し怖くなったところで――

「でも――そういうシンタローが良いよ」

 顔を紅くしたまま、はにかみながら顔全部で一果さんは笑った。その顔を見た瞬間、僕はまたしても一果さんの間近まで接近していた。

「一果さん」

「……へっ?」

 それだけで飽き足らず、両手で肩を掴んでいた。彼女はみるみるうちに、耳まで夕日のように真っ赤に染まっていた。

「その、実は……また僕が宇宙物理学者を目指そうと思ったのは……そりゃあ、宇宙と物理が好きだからってのは当然なんだけど……」

 ここまで殆ど身体が勝手に動いたのに、喉が塞がれたように声が止まった。けど、ここまで言って今更逃げられない。

「最後に背中を押されたのは……僕が今のままなら、一果さんと疎遠になるんじゃないかって思って……それが嫌だったから、なんだ……」

 言ってしまった。心臓が警鐘のようにうるさく鳴っている。肩を掴む手も震え、手汗もかいているだろう。一果さんは黒い瞳を大きく見開き、僕を見つめ返している。

「シンタロー……それってつまり……」

 そこで気が付いた。震えているのは、一果さんの肩も同じだと。

「シ……シンタローはアタシのコトが……す……」

 肩と共に声を震わせる彼女の逃げ道を塞ぐ。

「好きだ」

「~~~~~~ッ!!」

 声にならない声と共に、顔から火を噴き出す一果。そして、多分僕も同じだ。真夏であるというだけでは説明出来ない高熱が、身体中から放出されているのを感じる。自分自身が、空に燦然と輝く太陽になったようだった。

「いいの……? アタシで……」

「君じゃないと駄目だ」

「知ってるっしょ? アタシ、重いよ……?」

「君に重荷を降ろして貰った僕には、むしろ軽いぐらいだよ」

 瞳を潤ませ、声を震わせる一果さんの肩を、より強く掴んだ。そうして彼女の問いに応えると、一果さんは観念したように目を伏せた。

「あ……あのね、シンタロー……」

 一果さんは――僕の腰に手を回して、胸に顔を埋めた。

「アタシが……あの時重くする力を使ったのは……そうでもしないと、シンタローがアタシを置いていなくなっちゃいそうだったからで。つまり……それぐらい、シンタローと離れるのがヤだったから……だから……」

 顔を上げた彼女の瞳は、さっきより更に涙で濡れ、蛍光灯を反射して光っていた。その様が、無数の星々で輝く宇宙を彷彿とさせた。

「つまり……ア……アタシも……シンタローが……」

 一果さんの瞳が、僕と同じ高さに並び、近付いてくる。それが閉じられ、僕は彼女の要求を理解した。ゆっくりと息を吐き、気持ちを少しでも落ち着けてから、僕も目を閉じた。そうして、互いの距離がゼロになろうとした時――

「ハァッ、ハァッ……クッソ悪い!! 遅れ――たぁ……?」

 凄まじい音と共に開かれた扉から、肩で息をする深月が現れた。つまり、殆どゼロ距離に顔を近付けていた僕達の姿をバッチリ見られた訳で……。

「し……」

 先程の僕達を凌駕する程激しく身体を震わせた深月は、いつか見たように頭を抱えて大絶叫した。

「心太郎と一果がチューしとる~~~~~~!!!!」

 深月は重そうな手提げバッグと通学鞄を落とし、床にガクリと手を着いた。一果さんは大慌てで深月に駆け寄り、両手をバタバタさせながら弁解する。

「ちちちち、違うからね!? チューはしてないよ!? 未遂だから、未遂!!」

「未遂って事はヤル気マンマンじゃん!! いつから天文部室はリア充の逢引き部屋になったんだチクショー!」

「いいから深月、とりあえず話だけでも聞いて欲しいんだ。別に僕達逢引きしてた訳じゃないし、そもそも――」

「黙れ黙れ! ぶっちゃけさっさと付き合えやコイツらとは思ってたけど、学校でチューしろとは思ってなかったわ!! もういい、鞄の中に『シン・心太郎復活記念』として家にあった天体観測だの物理だのの本全部詰めて来たけどこんな事ならブックオンにでも纏めて売り飛ばしてりゃ良かっ――グホッ、ゴホッ!!」

「あ~あ~……ミヅキ、大丈夫? お茶飲む?」

 またしても咳き込んだ深月の背中を一果さんがさすり、その間僕は、崩れ落ちた時に散乱した、手提げバッグに詰め込まれていた本類を拾い集める。天文学に物理学など、深月が言ったように僕に関係ある――幾つかは昔彼女に借りたことのある――本ばかりだった。

「まあまあ、機嫌直してよ、深月。折角これから夏休みで、天体観測には最高の季節なんだからさ」

 咳がおさまり、一通り騒いで落ち着いたか、深月は一果さんの支えなしに一人で立ち上がっていた。僕は本入りの手提げバッグを持ちながら、深月の意識を宇宙に向けさせようと試みる。

「それにほら、もうすぐみずがめ座デルタ流星群だし。その次には、やぎ座流星群がピークだ」

 口で落書きのような三日月を描くと、一果さんが「流星群!?」と興味深げに返してくれた。彼女としては単に興味を惹かれたから言っただけだろうけど、それが良いアシストになった。

「流星群……はっ、心太郎!」

 深月が僕に俊敏に近付いてきた。赤縁眼鏡の向こうの瞳は、キラキラと輝いていた。

「あんた……本当に復活したんだな! だってそうだろ!? この間は流星群の見頃なんて、前日でも把握してなかったってのに!」

 狙いの方向とはちょっと違ったけれど、とりあえず深月の機嫌は直せた。そして同時に、僕は彼女が幼馴染だったことを、改めて幸せに思った。

「そりゃあ……宇宙物理学者目指す身だし。いつも宇宙の事考えるぐらいじゃないと」

「良ぉし良し。その意気だぞ心太郎。じゃあ早速、ミーティングやろうぜ」

 深月が近くの椅子に座ると、手で僕らにも着席を促す。

「ミーティングって、夏休みの活動予定だよね」

「そう。それに一果の能力の実験も日取り決めてやりたい。夏休みなら、わざわざクソ暑い外に出なくても、校舎内の空き場所使えるしね」

「はいはいミヅキ、アタシ合宿行きたい! 合宿やろ!」

「やらないやらない。部員三人の部活動にそんな予算出ない」

「え~~、ミヅキとシンタローと遊び行きたい!」

「いや遊びって言ってるじゃん。建前は守れよ……」

 思い思いの事を口にする一果さんと深月。二人の話し合いは、友達数人での勉強会のようにだんだん方向性がずれていき、途中から単なる雑談へと様変わりした。そして今は、進路についての話になっていた。

「でもさ、アタシ理系も文系もどっちも違う気がするんだよね」

「私は昔っから理系だったから、そっちだな」

「ミヅキはまさに理系女子だよね~~」

 一果さんはまだ、自分の進路を決めあぐねているらしかった。成績を見ればどちらかと言うと文系だが、出来る出来ないで進路を決めようとは思っていないらしい。

 彼女という人間について、少し思いを巡らせる。思わず振り向いてしまうような美少女で、明るく軽いノリで、周りの人の心も軽くしてしまう。そして何より、僕を含むほんの数人だけが知っている秘密。彼女は――

「心太郎、あんたはどう思う?」

「……重力」

「は? ……重力?」

 考えていたら、深月が顔を近付けて僕に話しかけていた事に気が付かなかった。しかも、『彼女は重力を操る超能力者だ』という部分が口に出ていたらしく、それも聞かれていたようだ。

「……ごめん。聞いてなかった」

「いや、一果が文系理系どっち向けかで話してたんだけど――」

「プッ……」

 深月の後ろから、女子の吹き出す声が聞こえた。同時に視線を向けると、一果さんが口元を押さえながら肩を震わせていた。

「アハハ。重力って! 文系理系で重力って!」

「えっ、そんなにおかしかった?」

「おかしいよ! だってホラ、アタシ実際重力操れるし! アタシっぽくない、『重力系女子』って言ってみたら!」

 僕と深月はお腹を抱え始めた一果さんに怪訝な目線を向けていたけれど、やがて深月も喉を鳴らして肩を震わせた。

「『重力系女子』……なるほど、確かに合うわ。偶然とはいえ面白いこと言うじゃん、心太郎」

「面白い、か……」

「後はまあ、その手の冗談を狙って言えりゃあ最高なんだけどな。……ま、期待はしてないけど」

 揶揄うような笑みを向けてくる、幼馴染の深月。その後ろで、笑みを浮かべながら瞳に浮かんだ涙を指で拭っている『重力系女子』一果さん。

 この三人で迎える夏休みと、これからの日々。それを思うと空を飛ぶどころか、重力圏さえ脱出出来そうな気がした。

 僕は深月が持ってきた本の一冊を手に取りながら、二人に笑顔を向けた。

「まあまあ、考え事はゆっくりしようよ。楽しい事は――これからいくらでもあるんだから」

 後で二人に聞いたけど、この時の僕の笑顔は、お父さんに瓜二つだったらしい。

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重力系女子は重くて軽い @tsuru_endou

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