蝋梅の友情

玄子(げんし)

蝋梅の友情

「予約したホテルが……ない?」

 前代未聞のハプニングが私を襲ったのは2018年の11月中旬。

 中国の山東省さんとんしょうにある沂南きなんという小さな街に行った時のことだった。


 人生の師と仰いでいる諸葛孔明先生への尊敬愛が高じて、高校卒業後、中国の四川省成都市に6年も留学してしまうほど、情熱と人生を孔明先生に懸けている私にとって、未だかつてない出来事が勃発した。


 中国大陸での一人旅はそれまでに何度となく体験して来たが、インターネットのない時代にはあり得なかった想定外の出来事が何の前触れもなく起こった。


「地図だと、この辺だよ?」

 私を乗せたタクシーの運転手さんは何度も地図を確認してくれたが、着いた場所は何もない荒野なのである!

「そんなはずはないんだけど!」

 こんな所に荷物と一緒に降ろされても困る。


「じゃあ、電話して聞いてみるわ」

 運転手さんはすぐにホテルに電話をし、担当者が出ると私に代わってくれたが

「え? 日本人? 誰よあんた! 知らないわよ!」

 まさかの、不審者扱い!

「すみません、間違いました」

 悪いことをしていないのに謝るはめになった私に同情した運転手さんは、

「地図と住所がちょっと違うから、もう一度探してみるよ」

 気を取り直すよう明るく声をかけてくれた。


「きっと、何かの手違いだったんだね」

「田舎町だからよくあることだよ」

 そんな他愛もない会話が、私の不安を解消しかけてくれた。と思いきや

「……ここだけど」

 辿り着いたのは、さっきの場所よりも更にレベルを上げた荒野だった。

「マジスカ?」

「間違いなく、ここ」

 間もなくホテルに着く! という私の期待と、間もなくこの変な日本人から解放される! と思っていた(であろう)運転手さんのテンションは一気に下がった。


「もう一度、電話してみるよ」

 そう言うと運転手さんは再び、ホテルの情報として掲載されていた電話番号にかけ、私を介さずに話をつけてくれることになった。


「ぇえ? ホテルじゃない?」

 運転手さんの反応に私の思考回路が止まった。


「ああ、そうか、わかった」

 通話を終えた運転手さんは、言いづらそうに

「君が予約した所、ホテルではなく部屋、らしいよ」

 は? 何それ? 

「マンションの部屋を売っている不動産屋らしい」

 な、何じゃそりゃ? 日本の某ホテル予約会社! サイトに載せる前に確かめてよ!

「場所はこの近くらしいんだけど、見てみる?」

 あまりにも突飛過ぎる展開に、とりあえず現実を確かめることにした。


「仮に本当にホテルだったとしても、この治安はお勧めできないなぁ」

 ホテル(仮)に着くまでの道中、荒野の果てに何がある? ってくらい、閑散とした砂埃にまみれた景色が続いていた。


「ここ、らしいよ。さっき電話で聞いたから間違いない」

 そう言われて車内から周りを見渡すと、そこにあったのは、どこをどう間違ってもホテルには見えない、仏頂面した四角い箱が建物として存在している現実だけだった。


「納得した? それとも、まだここに拘る?」

 このホテルに拘った理由はたった一つ。

 ホテルが「諸葛」という畏れ多い名を冠していたから。

 と言うのも、今回の目的地である山東省沂南は畏れ多くも! あの孔明先生の生まれ故郷だったのだ。

 その地で「諸葛」と名乗るホテルなら一度は泊まりたいと思うもの。

 だが、その淡い夢は実現しないまま終わってしまった。


「諦めがつきました」

 ガクッと項垂うなだれた私に

「お金はまだ払っていないんでしょ?」

 ホテルを予約した会社の唯一の救いは、現地後払いシステムだった。

「うん。お金は払っていないけどもうホテル知らないし!」

「それは大丈夫だよ! 今から連れていくから」

 運転手さんは私の気持ちを前向きにしながら、他のホテルを案内してくれることになった。


「マジであり得なくない? なんなの?」

 運転手さんは全然悪くない。むしろ私が大幅に迷惑をかけている。が! それでも

「沂南は小さな田舎町だから、よくあることなんだよ。今、いいホテル探すから安心して」

 運転手さんは私の怒りと不安を一手に引き受けてくれた。


 その間私は「荒野の現実」をサプライズオプションとして味わわせてくれた予約会社に国際電話を掛けた。

 どうなっているんですか、と。


 だが、この数年利用して加算されていたポイントと信頼関係は、事務的な対応により、あっという間に水泡に帰した。


「そうでしたか。では宿泊はキャンセルですね。でもお客様がサイトにログインして頂ければ、そこから予約の取り消しは可能ですが、いかがいたしますか?」

 はぁ? 私が抱えてる問題はそれじゃないんです! 

 想定外の出来事にパニクってどうしていいか解らず、震える手を抑えながら助けを求めるように国際電話をかけている意味、解りませんか?

「そちらで取り消ししてください!」

 そう言うのが精一杯だった。

 日本人、言葉が丁寧でも冷たいあるね! と思った。


「着いたよ」

 事務的な対応に心も疲弊しかけた頃、運転手さんがホテルを探して車を止めてくれたが

「チェーン店のホテルって外国人宿泊禁止って所多いんだけど、大丈夫かな?」

 今までに何度か経験済み。


「そんなこと、あるの?」

「あるんだなぁ、これが」

 すると運転手さんは

「聞いてくるから」

 心がげっそりして動きたくない私に代わって、ホテルの人に宿泊出来るかどうか聞きに行ってくれたが

「やっぱりダメだって!」

 案の定、外国人は宿泊できないホテルだった。


「えー! じゃあ、どうしてくれんのよ!」

 しつこいようだが、運転手さんは無罪である。

 それどころか寧ろ、とばっちりを喰らったようなものである。

「今から案内するのは沂南でも有名な大きいホテルだから、外国人でも大丈夫だよ。多分」

 運転手さんはそう言いながらも

「仮にそこもダメだったら、うちに泊まればいいよ! 奧さんと子供がいるだけだから客人が一人増えても全然大丈夫だから!」

 なんとも有難い厚意を差し出してくれた。なんていい人過ぎるの!?

「そこまで言うなら、任せるわ」


 この時の車内の情景を日本語で再現すると、何とも高飛車で傲慢な物言いに感じられるかもしれないが、実際には談笑を挟みながらの会話なので、日中友好に何ら支障をきたすものではない。

 それどころか中国ではこれくらい自己主張する気概と「巻き込み力」が必要なのではないかとさえ私は感じている。


 中国の人は優しく、情に厚い人が多いので本当に困っている時は、独りで何とかしようとパニクりながら頑張るよりも、思い切って地元の人に頼る方が、何かと色んな方面に道は開けるものである。

 日本に国際電話をかけて助けを求めるよりも、ずっとずっと、安心安全確実である。もちろん、誰でも彼でも信じろというのではなく、どんな人なのかを確認するのは言わずもがな。


 そんなこんなでホテル探しをしながら私が今回、沂南に来た理由を伝えると

「だったら明日、案内してあげるよ」

 どうやら沂南市内ではなく、沂南市から車で小一時間ほど行ったところにある、更なる田舎町こそが私が行くべき本当の目的地らしいことを知った。


 こんなにもネットが普及しているにも関わらず、目的地までの行き方や場所を事細かに紹介しているサイトは日本でも中国でもなかったので、とりあえず、何となくと言う理由だけで沂南に来ていた私にとって、運転手さんの言葉は渡りに船だった。


「じゃあ、明日の朝、迎えに来るから」

 幸い、沂南を代表する大きなホテルは外国人の宿泊も可能だったので無事にチェックインできた。

 元々予約していたホテルの宿泊費よりも高くついてしまったが、泊まれるホテルがあるだけでも有難いというもの。旅行時はお金は多めに準備するものだと改めて痛感した。


 この日は安堵の溜め息を吐いてから、沂南市内で有名な孔明先生関連の場所へ行ったが、それはあくまでも孔明先生の故郷であることを記念して、近年造られたばかりの公園だった。


 翌朝、時間通りに迎えに来てくれた運転手さんに、なぜ沂南に記念公園を造ったのか聞くと

「本当の生まれ故郷はかなり辺鄙へんぴな場所にあって行き辛いから、交通の比較的便利な沂南に記念公園を造ったんだ」とのこと。

 車で小一時間の距離なのに態々、記念公園を作るってどんだけ田舎よ? 大袈裟おおげさなんじゃ? と思ったが、実際に目的地に着いた時、悟った。納得した。そりゃそうだねと思った。


 何もないのである。

 民家もお店も、本当に何もない。

 この先に何かあるの? と疑い始めた頃、突如、静謐せいひつなその空間が現れた。

 が、開門時間を過ぎても門は閉ざされたままだった。

「まさかの定休日?」

 明日の早朝には青島へ戻らなければいけないので、定休日だったら万事休す!

 ここまで来て門前払いだったらどうしよう、と思った時だった。


 運転手さんが「お〜い!」塀によじ登って、中にいる人に声をかけると

「は〜い!」とお爺さんが現れ、門を開けてくれた。

 お爺さんと気軽に書いたが、実はこの聖地を守る館長さんで、一つ一つ丁寧に解説してくれた。


 そんな状況の中、タクシーの運転手さんが自慢するかのように

「彼女は遥々、日本から来たんだ」

 私が敢えて公表しなかった個人情報をアッサリと告げた。


 運転手さんは私と同世代なので友好的に接してくれていたが、中国では日本人というだけで危険な目に遭ったり、責め立てられたりすることもある。

 せっかく孔明先生の生まれ故郷に来たのに、館長さんも笑顔で案内してくれていたのに、もはやここまでか。

 館長は年齢的にも戦争を体験した世代であろうと思われ、私は上がりかけていたテンションを心と一緒に鎮めた。

 私が日本人であることを知った館長の態度が豹変ひょうへんしても、仕方がない、受け入れるしかないと観念した。

 

 だが、不安に駆られた私に向けられた館長の言葉は、実に意外なものだった。

「政府間のことは、政治家の問題。ワシら民間人がどうこうするもんでも、出来るものでもない。最も大切なのは、平和。国を超えて仲良くすることが何よりも大事。だからワシは日本人が好きじゃよ。安心してくだされ」


 館長のこの言葉は常日頃、日中関係について私が抱いている見解と同じだった。

 そればかりか、私が不安になったことさえお見通しとは! 

 まるで孔明先生が護ってくれたようだった。

 そう思ったからだろうか、外気は冷たかったものの、私の心は一気にホッと暖かくなった。


 すると

「ぉお、孔明殿も歓迎されているではないか!」

 館長の指差す方を見ると、そこには蝋梅ろうばいが一輪、咲いていた。

「いつもは春節頃に咲くのに」

 運転手さんも季節を先取りした蝋梅の開花に驚きを示した。


 地元の人さえ驚くほどの、想定外の速さで咲いた蝋梅の粋な計らいは、日本と中国の草の根レベルの友好を祝ってくれているような気さえした。


「今度来たら、手料理をご馳走するから!」

 帰る頃には

「次は友達として来訪する」ことを館長と約束し、

「また来ます! 楽しみにしています!」

 人生の師・孔明先生の生誕地を後にした。


 翌朝、青島へ戻る始発の高速バスに乗るため、運転手さんに朝一番で迎えに来てもらった。


 途中、運転手さんがいつも食べているという「油条」を購入しながらバスターミナルへ行くことになったが

「朝ごはん、まだでしょ?」

 なんと! いつの間にか私の分まで買ってくれていたのだ!

 そればかりか、バスターミナルに到着し料金を払おうとすると

「友達じゃん!」

 友達だからお金は要らない、と言うのだ。


「友情だから遠慮しないで!」

 中国では遠慮すると距離ができて相手に失礼だと言われたことがあったので、私はご厚意に甘えて朝食とタクシー代をご馳走になった。

「本当にありがとう」

「また来て! いつでも歓迎するよ」

 最後は運転手さんの屈託のない笑顔に見送られながら、再会を約束した。


 運転手さんへの感謝の気持ちと、買ってもらった油条が冷めないうちに早速食べたが、これまで何度となく食べ慣れたはずの味だったのに、今まで食べた油条の中で一番、美味しかった!

 気持ちが加わるだけで、同じ食べ物でもこんなにも味は違うくなるものなのだろうか?


 予約していたホテルがない! 存在しない! と言う前代未聞のハプニングがあればこそ、通りすがりの縁が友情になったのだから旅は面白い! と思う。

 どんなにAIが発展、普及して人間の代わりに仕事を担うことができたとしても、人情味だけは人間から奪えない。

 機械的、事務的な対応だけでは心まで動かせない。

 だからこそ心が温かくなる幸せとは何なのか? この旅で学べた気がする。


 中国での旅行はスムーズにいかないことやトラブルが多々あるが、その都度「人の和」を痛感させられる有難い幸運に恵まれる。


 今回もまた、貴重な心の触れ合いができたが、その分だけ、孔明先生への感謝の念と、尊敬愛が底なし沼状態で深まったのは言うまでもない。


 そして、そんな自分の人生は至極、幸せだと気付けた。

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