猫は敵のままでいなければ!?

無雲律人

猫は敵のままでいなければ!?

 ある年の初夏だった。


 私が巣作りの時から観察していた、ヒヨドリのヒヨちゃん一家の内の生まれたばかりの四きょうだいが、猫に襲われて絶命した。近所の野良猫の仕業だった。


 私は泣きに泣いた。あんなに親鳥も子育てを頑張っていたのに。灼熱の気温の中、水をかけてやる時もあった。どんな時でもヒヨちゃんは頑張っていた。それを、あの猫は一夜にして奪って行った。


 私はこの時に誓った。猫は一生私の敵である────と。


***


「ねぇ、見てよ律人。この猫の寝顔凄く可愛くない?」


 母が猫系のYouTubeを見ながら私にそれを見せて来る。


「ふんっ。猫なんて……」


 私はつっけんどんに返事を返す。だが、その画面に映っていたのはモフモフ過ぎる可愛い子猫だった。


 本当は、「可愛い~!!」と、叫んでしまいたかった。画面に映る猫に罪は無い。その猫はとは違う個体なのだ。


 でも、私は猫を可愛いと思う感情に蓋をする。猫を可愛がるだなんて事があってはならないのだ。


***


 ある日、母が動画を特集するテレビ番組を観ていた。猫の動画もたくさん流された。


「ああ、可愛い。猫可愛いわぁ」


 母は感嘆の声を上げる。


 だが、私は画面を観ないようにそっぽを向いていた。見たらきっと言う。「可愛い」と。


「ほらほら、観てみなさいよ律人!」


 母の善意は容赦ない。つい、私も画面を観てしまう。


「うん……可愛い……ね……」


 戸惑いがちにだが、「可愛い」と発してしまった。それはヒヨちゃん四きょうだいへの裏切りではないのか? ヒヨちゃん四きょうだいのために、私は一生猫嫌いを貫き通さねばならないのではないか? 猫を可愛いと思う事は、罪なのではないか?


 しかし、母の猫可愛い攻撃はそれからもずっと続いた。


 母は毎日YouTubeを観てはそれを私にも見せてくる。猫がどんなに可愛いかを説いて来る。母に悪意は無い。母はただの猫好きおばさんなのだから。


***


 ある日、うちのオカメインコのチャコちゃんがくしゃみをした。まだ飼い始めて一カ月くらいの幼鳥だ。つい先日に亡くなったコザクラインコのチーたんはくしゃみなんてした事がなかったから、私と両親は驚いた。チャコちゃんにもしもの事があったら困るから、私は動物病院にチャコちゃんを連れて行った。


 動物病院では、犬ゾーンと猫&その他の生き物ゾーンで待合室が分かれていた。


 私の目の前には、ケージに猫を入れた高齢の女性が座っていた。


 少しその猫が見えたのだが、ぐったりしていて元気が無さそうだ。


(大丈夫かな、あの猫……元気になると良いけど……)


 私は、不覚にも他所の家の猫を心配していた。猫は敵じゃないのか? 猫なんてどうなっても良いと思っていたんじゃなかったのか?


 しかし、しかしだ。私だって人の子だ。それに、チーたんを急に亡くしたから分かる。ペットは家族であり、その家族を失うという事はとてつもない喪失感を伴うのだ。


***


 私にとっては、犬も敵だ。犬は幼少期の私を追いかけ回し、数年前には私の腕に噛みついてきて私に大怪我を負わせた。だから犬なんて人んちのトイプードルでさえ可愛いとは思えない。


 ……でも、実際は違う。


 犬も猫も、モフモフ動画を観れば「可愛いな」と思ってしまうし、他所の家の犬や猫が死んだと聞けば、どれだけ飼い主が悲しんでいるかを想像して胸が痛かった。


「犬も猫も大嫌いだ」


 という事は、私にとっては自己防衛のひとつの手段だった。そう思う事で、自分の中の悲しみや怒りを正当化し、自分を癒していた。


 でもどうだろう。テレビやYouTubeに映る猫のモフモフ。肉球。ちょっとクールなその瞳。犬だってそうだ。モフモフしていて、尻尾を振って人に懐く姿は「可愛い」の一言に尽きる。


 そろそろ、自分に素直になっても良いのだろうか?


 猫動画を観て、「可愛い」と素直に発しても良いのだろうか? ヒヨちゃん一家はそれを許してくれるだろうか?


 でも、X(旧Twitter)に人んちの猫の写真が流れてきたら、無意識に「いいね」を押している自分がいる。


 私は、私を傷つける猫や犬が苦手だ。だから飼う事はしないだろう。


 でも、苦手だけども、観るだけだったら「可愛い」と思ってしまうのだ。人んちの猫も、犬も、可愛いものは可愛いのだ。


 今日も母はYouTubeのモフモフ動画を私に見せて来る。もう毎日の恒例行事だ。


「あー、うん。可愛い……ね……」


 そう生返事をするが、実際はもっと観たい。モフモフを愛でていたいのだ。


 猫は敵のままでいなければいけないのだろうか。犬も敵のままでいなければいけないのだろうか。それが本当にヒヨちゃん一家への弔いになるのだろうか? 自分を癒す事になるのだろうか?


 怒りや悲しみを、完全に捨て去る事は出来ないだろう。でも、楽しい思い出でアップデートしていく事は可能だ。


 今なら思う。あの野良猫も、もしかしたらもの凄くお腹が空いていたのかもしれないのだ。


 私は親鳥にこう呟いた。


「もう、あんな外敵から丸見えの木に巣を作ってはダメだよ……」


 食物連鎖。弱肉強食。自然の世界で生きる事は、とても厳しい事だ。


 人間だって、生き抜いていくのは大変だ。自分を保ちながら生きていくには、どこかで妥協点を見付けなければならない事だってある。


 この猫の日を記念した企画への執筆を通して、私はこの事実をついに認めるだろう。


 私は、心底猫と犬を恨んでいるわけではない。本当は、モフモフを観たら素直に可愛いと発したいのだ。


 この事実を私に認めさせてくれたこの企画に感謝の意を伝えたい。これからは、少しは素直になって猫と犬を愛でよう。


 それはきっと、ヒヨちゃん一家への裏切りでも、自分への裏切りでも何でもないのだから──。



────了

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