第6話 期限当日

 早朝、日が昇ってすぐ、まだ町は朝の営みを開始していない。松前町立松前病院も開院前。保科と冷泉、所轄の刑事たちが病院内の受付フロアで医師と話をしている。

 保科が医師に話を聞いて、冷泉はメモを取っている。

「その付き添いの3人がいなくなっていたということですね」

 医師は寝不足もあるのか少し険しい表情だ。

「そうです。一人は自衛官だと名乗っていました。残り2名は親族の方で息子と孫と言うことでした」

 冷泉が写真を出して医師に見せる。

「この人でしょうか?」写真は如月と娘のみゆきだ。

「そうです。この人です」

 冷泉と保科が顔を見合わせる。

「患者は今どんな状態ですか?話が出来ますか?」

「今ですか?無理ですよ。まだ、集中治療中なんですよ」

「すみませんが、緊急事態なんです。人の生き死にに関係します。短い時間で結構なんですが、お願いできませんか?」

 医師は少し考える。「では、10分以内にしてください」苦渋の選択のようだ。

「ありがとうございます。病室はどちらになりますか?」

「そちらの集中治療室になります」医師が指さす方向に扉があり、ⅠCUと表示も出ていた。

 保科と冷泉ならびに所轄の年配刑事が室内に入る。

 点滴のバッグが何個か吊るされており、今まさに点滴をおこなっている男がいた。男は寝てはいるが目を開けて起きており、保科達に笑顔らしき表情を見せる。

 保科が近くに寄り、話を始める。「どうですか?大丈夫ですか?」

 男が意外そうな顔をする。少し笑みも浮かべて、「刑事さんずいぶん優しいんだね。普通はガンガン聞いてきそうなもんだけどね」

 保科はこの男の態度から只者ではないと判断した。この状況で刑事たちに囲まれてこの余裕だ。一筋縄ではいかないだろう、さて、どこから話を聞けばいいか。

「まずはお名前を教えてください」

「匿名希望だ」なるほど、そう来たか。

「如月さんとの関係は?」「それも今は言えない」

 話が進まない。仕方がないのでこちらの手の内を明かす。

「警察は如月さんを逮捕する気はないんです。むしろ安全に保護する方針です」

「そうか、そこまで気が付いたのか・・・」男は納得の表情をする。

「気が付いたというと、どういうことですか?」

「いや、申し訳ないがその言葉を鵜?みには出来ない。もし、そうだとしても確証がないだろう」

「貴方が言ってる意味はわかります。ただ、如月さんたちも狙われています。我々はそれを保護する必要がある」

「うん、確かにそのとおりだな。ところで警察は誰を相手にしているかわかっているのか?」

「誰と言うと?」

「如月さんを狙ってるやつらだよ」

「いや、そこまではわかっていません」

「そうだろ、つまりは警察の相手じゃないってことだよ。まあ、推測だが警察庁長官か、警視総監あたりが騒いでるんじゃないのか、なんとかしろって」

 保科はぎょっとする。なぜ、そのことがわかるのか、この男は何者だ。保科が冷泉の顔を見る。彼女は保科の意図に気付いて、スマホを使って寝ているその男を隠れて撮る。無言で意思が通じるとはやはりできる刑事だ。

 冷泉がスマホを使って画像を送っている。まずは本人確認をする必要がある。警視庁のデータベースにあればだが。男はそれに気づいているようだが全く動じない。

「刑事さんはわかってないと思うが、おそらく大元はCIAかNSAあたりから言われてるんだろ、何とかしろってね」

「NSA?」

「アメリカ国家安全保障局だよ」

 この男は何を言っているのか、さっぱりわからない。なぜ、そんな機関が出てくるのか。

「国家的な危機ってところじゃないのか、俺も詳しくはわからないが、そういう話だよ。刑事さんが相手にしているのはおそらくロシアの情報機関だよ」

「KGBですか?」

「いや、今はロシア対外情報庁ってことになってる。まあ中身は同じだけどね」

「つまりは国家的な情報機関が動いているということですか・・・」

「俺も最初はそこまでだとは思ってなかったよ。どこかのエージェントが依頼されてると思ってた。ただ、これまでの動きを見ると情報庁クラスじゃないと無理だ。情報収集能力といい、この国を縦横無尽に動き回ってる」

「いや、ロシアがそこまでしますか?ありえない」

「ありえないことが起きてるってことだよ」

 男の顔は実に真剣で冗談を言ってるようではない。本当に自分が話す内容が間違いないといった信念に近いものを感じる。

「如月さんは北海道大学に向かってるんですよね」

「それもノーコメントだ。ただ、もしそうだとして大学の警備はどうなってる。そういった連中を相手にしているってことだよ。それも今や手あたり次第だ。見境が無くなってる。なんとしても止めようとしているってことだよ。下手をすると大学に被害が及ぶぞ」

 治療室の扉が開いて医師が顔を出す。「このぐらいにしてください」

 保科はうなずいて最後に質問する。

「やつらの次の一手はどうなりますか?」

「当然、如月さん達の抹殺だろうな」

 あまりの話に保科は呆気にとられる。為す術もなく話を終え、治療室を出て茫然と歩いていく。

 警察が相手にしているのはロシアの情報機関だっていうのか、信じられない。そこに冷泉が近寄る。

「警視庁のデータベースで確認を取ってもらっています」

「そうか、あいつのいうことが本当だとするとこれは公安案件だ。いや、日本の警察じゃ無理かもしれない」

 保科が我に返ったように所轄の刑事に確認する。

「ここから出ていった車はわかりましたか?」

「病院関係者は気が付かなかったそうです。ただ、入り口に防犯カメラがありますので、今、解析中です」

「もう一人の自衛官ってのは誰なんだろうな。おそらくさっきの男の関係者だと思うが」

「それにしても、あの男は何であそこまで詳しいんですか?それがどうして如月さんと関わっているのかがわかりません」

「俺も同じだよ。ただ、あの男がいたからこそ、ここまで来れたということだ」

 それよりもまずはあの男の言うように、北大の警備をなんとかしないとならない。保科は清水に連絡する。

「清水さん保科です。如月達は北海道大学に向かっている可能性が高いです。それと先方の警護を増やしてください」

『北大の警備はもう増やした。上からの指示があった』

「え、そうなんですか?」

『ああ、だがね。それよりも困ったことが起きてる』

「何ですか?」

『その北大の教授が昨晩、事故死した』

「え、どういうことですか?」

『こっちが聞きたいよ。農学部の円谷教授が交通事故で亡くなったんだ』

 保科は唖然とする。そして空恐ろしくなる。やはりあの男の言うように我々が相手にしているのはとんでもない組織だということかもしれない。

 清水が話を続ける。

『保科は如月達を追っかけろ、とにかく何としても確保するんだ』

「わかりました。今、車種を当たっています。できれば非常線を張ってください。札幌までのルートは限られますから」

『ああ、わかった。車種の特定を急いでくれ』

「わかりました」

 保科が電話を切り、所轄の刑事に確認する。

「逃走車両の特定を急いでください。彼らの命があぶない」

「わかりました。急がせます」そういうと防犯カメラの画像を確認中の部屋に行く。冷泉が心配そうな顔で保科を見る。

「北大の円谷教授が事故死だそうだ。おそらく殺されたということだな」

 冷泉も言葉がない。さっきの男の言うことは絵空事ではないということだ。

 先ほどの刑事が戻って来た。

「車種がわかりました。黒のスバルフォレスターです。ナンバーまでは判読できませんでした。今から2時間ほど前になります」

 保科は時計を確認する。2時間前だと今頃は道央自動車道を走ってる頃だろう、非常線を張るしかない。とにかく急いで本庁に電話を入れる。


 フォレスターは道央自動車道を北上していた。

 如月は田口にこれまでのことを一通り説明した。ハンドルを握る手が汗ばんでいるかのような田口が言う。

「世界の秩序を変えるか、それはあながち出鱈目ではないな。やつらがここまで必死に阻止しようとしてくるのは異常だ。あいつらは露骨な犯罪をしないのが常だ。世界的に自国が孤立しないように逃げ道は残す。毒殺したとしても証拠は残さず、はっきりと疑われるような真似はしなかった。それが爆弾騒ぎと銃撃戦だ」

「俺も美月が何をしようとしていたのかがわかりません。彼女が世界を滅ぼすようなものを研究しているわけがないと思うし」

 みゆきもうなずく。

「遺伝子の研究だよな。確かに生物兵器など作るわけもないか。でも奴らは必死に阻止しようとしている。まあ、一つ考えられるのは、研究成果がミリタリーバランスを変えるようなものになったのかもしれない」

「ミリタリーバランス?」

「彼女の研究がどうこう言うんじゃない。結論から考えてる。つまりは現在の東西のミリタリーバランスが崩れるような事態が起きるのならば、やつらは必死になるだろう。何が何でも阻止するだろうな」

「あの小さな瓶にそういったものが入っているということですか?」

「可能性はゼロじゃないだろう」

 フォレスターはいよいよ登別辺りを走る。

「札幌まではあと1時間といったところだな」

「このまま北大まで行けますか?」

「まあ、無理だな。おそらくどこかで検問をやってるはずだ。北郷インターチェンジあたりが怪しいと思う」

「どこですか、そこは?」

「札幌の直前に料金所がある。高速はやばい、とにかく早めに一般道に降りた方がいい。ああ、それからこれからは俺と如月さんは別行動にしよう。北大には俺が行くことにする。顔が割れてないのは俺だけだからな」

「瓶を田口さんが持って行くってことですか?」

「それがいいだろ、瓶を北大の円谷先生に渡したら、如月さんに連絡する。そのうえで先生と話をしてくれ」

 如月はみゆきの顔を見る。「みゆき、それでいいか?」

 みゆきは考え込む。その様子を見て田口が言う。

「悪いが俺を信じてくれ。初対面の図体ばっかりでかいおっさんを信じられないのはわかる。でもこれが一番の方法だと思う」

「みゆき、淵さんの一番の部下だった人だ。信じよう」

 みゆきがうなずいた。「わかった。信じるよ。田口さんママの夢を届けて」

「まかせとけ」田口が力強く言い放つ。

「で、どうするんですか?」

「うん、一般道で苫小牧まで行こう。車は限界だ。そこから俺は電車に乗る。如月さん達は苫小牧で待機してくれ」

 如月は田口の意見に従う。苫小牧はすぐそこだ。


 インターを降りて、苫小牧駅近くの駐車場に車を停める。ちょうど隣に東横インが建っていた。

 みゆきがリュックから小瓶を出す。田口がそれを大事そうに受け取る。

「ありがとう、俺を信じてくれて」

 小瓶は黒色の容器だ。如月もこれが世界の秩序を変えるようには思えない。

「田口さん、特に取り扱い上の問題は無いです。あるのは時間制限だけです」

「今日の夜までだよね」

「そうです」

「わかった。まかせとけ。円谷先生に渡したらすぐに連絡する。もし如月さんに何かあったら俺のほうに電話してくれ」

 如月は淵さんのスマホをそのまま持っていた。

「わかりました。田口さん、ほんとに気を付けてください」

 田口は瓶をジャケットのポケットに入れて、如月達に親指を向け、笑顔でサムアップする。そして駅に向かって走っていく。

 田口の後ろ姿が見えなくなる。如月とみゆきはしばらくその場に立ち尽くしていた。これで如月がやれることは無くなった。後は田口に託すしかない。

「みゆき、朝飯でも食べよう」

 時刻は7時になっていた。深夜から早朝まで走って来たわけだ。お腹もすいたので如月はみゆきと近くにあった喫茶店に入る。

 赤レンガ状の壁と燻煙された木材を使った趣のある雰囲気の店だった。メニューを見るとしっかりとした食事もできるようだったが、モーニングセットを二人分注文した。そこでみゆきがトイレに立つ。

 如月はこれまでの旅を振り返る。

 まさに激動の二日間だった。これまでの人生で、これほどの事件が連続して起きることなどなかったし、ましてや命の危険を感じることもなかった。今、こうして生きていることも不思議な気がする。

 店内は数人のサラリーマンと地元のお年寄りがいた。ここは老人たちには憩いの場所なのかもしれない。安心とこれまでの疲れが襲ってきたせいなのか、睡魔に襲われる。ウエイトレスからもらった温タオルで顔を拭いたせいかもしれない。ついうとうとする。

 突然、みゆきの叫び声がして、現実に戻される。何事かと覚醒すると目の前のみゆきが血相を変えている。

「どうした?」

「大変、円谷先生が死んでる」

 何を言ってるのか、理解するまで時間がかかる。みゆきがスマホの画面を見せる。そこには北海道大学の円谷教授が交通事故にあったとある。ネットニュースのようだ。如月がスマホを受け取り、内容を確認する。

『北大教授事故死¦昨夜、午後11時過ぎ北海道大学農学部教授の円谷慎吾56歳が北八条通りでトラックにはねられた。救急車にて病院に運ばれたが、2時間後の午前1時に死亡が確認された』

 あまりのことに愕然とする。どういうことだ。やはり殺されたということなのか。

「どうなるの?」みゆきが途方にくれた声を出す。

 如月も同じ気持ちだった。どうすればいいのか見当もつかない。いや、まずはこのことを田口に伝えなければならない。如月は自分の鞄から淵のスマホを出し、田口に電話をする。ところがうまく繋がらない。

「今、電車の中なのかな、うまく繋がらない」

 電波状態が悪いのかと思い、とりあえず、外に出て電話をしようとお店の人に断って外に出る。扉を開けて外に出た瞬間に気が付いた。店の外には数人の警察官がいた。

「如月さんですね」警察官が話す。

 どうして居場所がバレたのか。ああ、しまった。みゆきの携帯の発信だ。不注意だった。

「署まで同行願います」

 もはや何もできない状況だった。如月とみゆきは為す術もなく、苫小牧署に連れていかれるしかなかった。


 保科は冷泉と新千歳空港に着いた。松前町から函館空港まで戻り、飛行機に乗ったのだ。札幌に行くにはこれが一番早い。

 30分程度のフライトだったが、機内でいくつかの情報を入手した。

 まずは柴美月と如月の通信アプリの会話内容が公開された。

 それによると柴は如月に娘を使って北大までの運搬を依頼していた。品物についての詳細の記載が無いので、柴もよほど注意をしていたものと思われる。さらに夜になって、ホテルに到着してから今度は如月から呼び出されていた。ホテル付近のバーでの待ち合わせで、緊急に話がしたいとのことだった。おそらく、これは犯人側の罠だと思われる。これにより、柴は命を失うこととなった。

 交通事故死した北大の円谷教授は、柴美月の直属の上司に当たる人物で、おそらく如月達が会おうとしていた人物だと推測される。柴と同じ農学部生物機能化学科に籍を置いている。

 交通事故は実に不可思議な事件で、深夜、大学から帰宅する際に、道路に教授が突然飛び出してきたという。あたかも大型トラックに身投げをするかのような状況だったらしい。運転手は為す術もなかったそうだ。トラックの車内カメラの画像からも教授が飛び込む様子が映っていた。

 確かにどうみても身投げのように見える。ただし、飲酒や薬物使用の形跡は無いとのことだった。現在、事件と事故の両面で捜査をしているそうだ。保科は間違いなく、殺人だと睨んでいた。そしてこのことこそが、円谷教授が今回の事件のキーマンであったことを意味している。

 さらにもう一点、松前病院で治療を受けた人物が特定された。淵敦彦64歳、元自衛官で如月の会社フリーダムステイの従業員だった男だった。経歴も明らかになった。自衛隊特殊作戦群のメンバーで、自衛隊退役後はアメリカの軍事会社に勤務していた。まさに筋金入りの軍人のようだった。さらにそこから黒のフォレスターの人物も特定される。田口勉40歳、淵の自衛隊時代の部下で、軍事会社にも同行していた。

 こういった情報が警察の捜査能力だけで、さらにこの速度で判明するとは思えない。やはり淵の言うように、アメリカの情報機関の手助けがあったと考えるべきだろう。

 そして犯人側の組織は今や見境無しに、死に物狂いで何かを阻止しようとしている。それが何なのかがわからないがそれは間違いないようだ。柴美月や円谷教授を殺し、如月達も抹殺しようとしている。


 保科が札幌へ行くために駅に向かおうとしているとスマホが鳴る。清水からだ。

「はい、保科です」

『保科、如月が確保されたぞ。すぐに苫小牧に行ってくれ』

「苫小牧ですか、全員確保できたんですか?」

『いや、田口はいなかった。とにかく苫小牧署に行って如月の話を聞いてきてくれ』

「それは朗報です。しかしよく確保できましたね」

『娘がスマホを使ってくれた。位置情報から判明したらしい』

「なるほど、わかりました。現地に向かいます」

 保科が冷泉に説明する。二人は苫小牧へと方向転換する。新千歳からは電車で苫小牧に向かうのが最短だろう。

 さすがに保科の歳で連夜の徹夜はつらい。実際、この二日間はまともに寝ていない。冷泉の若さがうらやましくなる。彼女ははつらつとしていた。都内の電車と同様のロングシートに二人が座る。冷泉の声が心なしかキンキンと聞こえる。

「苫小牧で確保されたんですよね」

「そうらしい」

「ということは、今は田口一人で行動しているってことですね。苫小牧で降りたとなると電車で札幌に向かっているんですかね」

「そうだな。そこは道警が抑えてると思うぞ。田口の確保も時間の問題だ」

「そうですか、いよいよ事件の全貌がわかりますね」

 確かにそのとおりだ。なるほど、それで冷泉は盛り上がっているのか。

「如月はどうやって確保されたんですか?」

「娘がスマホを使って見つかったそうだ。今時はスマホのGPS機能ですぐにわかるからな」

「なるほど」「冷泉」「何でしょう?」「少し寝るぞ・・・」「ああ、はい」

 保科はしばしの休息を切望する。


 しかし保科は寝る間もなく、苫小牧に着いてしまった。およそ30分である。

 欠伸をしながら、苫小牧署に急ぐ。

 保科にとって苫小牧は工業都市といったイメージだったが、市内はそんな重厚感はなく、駅前などを歩くと都内の新興ベッドタウンと変わらなかった。

 タクシーで行こうと思ったら、駅からは500mほどの距離だそうで、冷泉に止められた。よって署まで歩く。

 苫小牧署は2階建ての建物で、敷地を十分に使えるのか横に広い、地方都市にはよく見られる警察署の形態である。

 保科と冷泉が警視庁から派遣されて来た旨を説明し、署長と挨拶をした後、如月との面会が取調室にて行われる。 

 面会前に保科と冷泉が苫小牧署の刑事と話をする。

「お疲れ様です」地元の刑事は若干、疲れ気味に話す。

「どんな状況ですか?」

「ほとんど、話をしないです。如月と娘は別室にしていますが、両者とも何もしゃべらない。娘には女性警官が話をしていますが、完全黙秘の状態です」

「そうですか、わかりました」

 保科と冷泉が取調室の扉を開ける。

 この二日、探し続けていた如月が机のむこうに座っていた。

 写真で見るよりも若々しい。ざっくり言うと良い男である。線が細い気はするが、それなりに社長業としての場数を踏んできた背景が伺える容貌である。

 如月の前に保科が座り、部屋の隅にある椅子に冷泉が座る。調書を取るわけではないので、スマホで録音を行う。

「警視庁の保科と申します。こちらは冷泉といいます」

 如月が浅くお辞儀をするが言葉はない。

「如月さん、状況をお聞きと思いますが、これは逮捕ではありません。むしろ我々の捜査に協力していただきたい。何が起こっているのかを知りたいのです」

 如月の反応はやはり変わらない。話をすることを拒否しているようだ。残念ながら保科自身も頭が働かない。長年の刑事生活で取調はこれまでもやっているし、それなりにコツも掴んでいるが、犯人でもない容疑者でもない人間だと勝手が違う。しばらく同じような問答が続くも一向に進展しなかった。如月はほぼ完全黙秘だ。

 冷泉が保科の近くに来て耳打ちをする。

「ちょっとよろしいですか?」いったん、外で話をしたいようである。取調室から出る。

「差し出がましいようですが、私の方から提案があります」

 何だろうとそのまま聞く。

「娘さんと一緒に話を聞くというのはどうでしょうか?」

 娘と一緒と言う意味がよくわからないので、保科は黙る。

「これは取り調べではありません。むしろ娘さんがいないので余計に不信感が増しているのではないですか。娘さんにも如月から口止めしているでしょうから、似たようなものではないでしょうか?」

 保科はその提案を少し考えてみる。二人とも警察に不信感があり、態度を硬化させているというのか、確かに懐柔するにはそういったことも効果があるかもしれない。

「それも一理あるか、わかった」

「それと私が話をしてもいいでしょうか?」

「冷泉がか?」保科は考える。まあ、それもいいかもしれない。女性のほうが物腰が柔らかいし、雑談の延長で話をするといったものかもしれない。それと冷泉のお手並みを見てみたい気もした。

「わかった。それでやってみるか」

「ありがとうございます」冷泉の顔が輝く。


 苫小牧署の刑事にその旨を説明し、了解をもらう。まあ、向こうもここまで完全黙秘だったので、なんでもやってみようということかもしれない。

 さあ、冷泉のお手並み拝見といくか。


 如月とみゆきが隣同士で一緒の席に着く。先ほどまで保科がいた席に冷泉が座り、保科が隅に座る。

 冷泉が二人にそれとなく、笑いかける。なるほど、若い美人のお姉さんは得だなと思う。如月達、特にみゆきが和んだ気がした。

「警視庁の冷泉です。私は本庁ではなく目黒署に勤務しています。お母さまの事件を担当させてもらっています。ですので、如月さん、みゆきちゃんと同じ思いなんです。なんとしてもお母さんを殺した犯人を捕まえたいと思っています」冷泉が力強く言う。

「それと如月さん達がやりたいことをお手伝いしたいんです。ここまで懸命に北海道まで来られた意味が無くなってはいけないとも思います」

 みゆきに反応があった。それとなくだが、如月の顔を伺う様子が出てきた。

「警察にも色々情報があります。そして如月さんが持っている情報もあるはずです。まずは田口さんに訪れる危険を除去したいんです。いまや犯人側は見境が無くなっています。まさに狂気の所業です」

 冷泉の真剣な問いかけに二人とも熱心に聞くようになった。

「田口さんが持っている液体を北大に届けるんですよね」

 みゆきがあっと言う声を出す。

「警察もそれを支援します。いや、そうしないとならないと思っています」冷泉は確認の意味で保科の方を見た。「保科さん、そうですよね」

 いきなり液体ときたか、保科は呆気にとられる。しかし、二人の態度が一気に軟化したことがわかる。おもわずうなずく。

「今、田口さんはどこにいますか?」

 みゆきが如月に話しかける。

「この人の言う通りかもしれない。ここまで来たら警察に協力してもらおうよ」その言葉を受けて如月は冷泉に確認を取る。

「液体のことをどうしてご存じなんですか?」

 さすがは如月だ。冷泉はどう対処するんだろう。

「申し訳ありませんが情報源についてはお答えできません。ただ、その存在はわかっています」

 冷泉は遅滞なく返答する。保科はその対応に感心する。

「本当に信用してもいいんですか?」

 冷泉がはっきりと言う。「大丈夫です。信じてください」

「わかりました。その言葉を信用することにします」

「ありがとうございます」

 これで一気に話が進んだ。


 如月がこれまでのことを話し出す。聞けば聞くほど、不思議な事件である。田口の動向がはっきりしたので、保科はすぐさま道警に保護を依頼する。

 さらに如月からも電話を入れてもらう。ところがやはり田口は電話に出ない。何故か携帯の電源を落としているようだ。

「出ませんね・・・」

 田口は警戒しているのかもしれない。保科が話を続ける。

「それで確認ですが、我々が昨日、北大の円谷先生に問い合わせたところ、柴先生と面会の約束はしていないとおっしゃっていました」

「え、そうなんですか?」如月が意外そうな声を出す。

「ええ、それで我々は、如月さんが本当に北大に行くのかどうかに疑念があったんです。でも、柴先生から円谷先生に瓶を渡すことを頼まれていたんですよね」

「そうです」

 なるほど、となると、やはり瓶を渡せばわかるということなのかもしれない。

「しかし、円谷先生は亡くなってしまった」

「残念です。おそらく我々の情報が漏れてしまったのだと思います」

「それと今回、警察が初めて知ったのが72時間以内というタイムリミットがあったということです」

「そうです。そのために警察に足止めされるわけにはいかなかった」

「液体にタイムリミットというのが不思議な気がしますね。それ以外に条件はなかったんですか、例えば温度とか紫外線とか振動とか」

「はい、時間制限だけなんです」

 保科にはそういった話はよくわからない。

「とにかく、北海道大学に行きましょう。そこに事情を知っている人間がいるかもしれない。田口さんも向かっているはずですから」

 如月達がうなずく。

「パトカーで行くのがいいでしょう。緊急事態ですから」

 苫小牧警察の緊急車両で北海道大学まで行くことになった。苫小牧署長には緊急事態ということで使用許可をもらった。


 冷泉が運転するパトカーに保科と如月親子が乗る。パトカーのサイレンを鳴らしながらの走行である。なんとなく冷泉がうれしそうだ。

「保科さん、パトカーの運転は初めてです」

「そうか」

 こういうところは普通の娘と変わらないということか。冷泉のこういった部分を見ることができて逆に安心する。このまま道央自動車道を行けば1時間もかからず、到着できる見込みだ。

 すると高速道路に入り、しばらくして道警から無線連絡が入る。

『今、手稲警察署から連絡がありました。手稲駅に到着した普通列車内に心肺停止の男性がいたそうです』

「どんな男性ですか?」

『はい、今、道警で捜索を続けている田口勉と思われます』

 後部座席の如月親子が愕然としている。

「所持品はどうでしたか?」

『今、確認中です』

「我々が気にしているのは小さな黒い小瓶なんですが、それを確認してください」

『わかりました。それを重点的に探してみます』

 保科は間違いなく、田口は殺されたと思った。そして小瓶はもう無くなってしまったはずだ。我々が相手にしている組織はとてつもなく大きく、そして力を持っている。

 後部座席から娘のすすり泣く声が聞こえる。

「ママ、ごめんなさい・・・」

 如月親子の夢、柴美月の夢が絶たれた。

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