第5話 期限前夜

 吉岡定点の広場から、その大男は淵をお姫様抱っこの要領で運ぶ。淵の意識は相変わらず無いようだ。暗い中、あまりよくわからないのだがこの辺りは海が近いようで、潮の香りと共に波の音も聞こえている。周囲には建物が何棟かあるのがわかる。そして道路を越えた向こうに淵が言っていた変電所のような大きな建物が見えた。ここが変電所か。その前の道路にはフェンスもない。

 そこにSUV車が止まっていた。黒のスバルフォレスターだった。如月はこれでこの男が誰だかわかる。先ほど、淵が話していた彼の部下、田口という人物ではないか。

「ひょっとして田口さんですか?」

「ああ、そうだ」

 そう言いながら淵を抱えたままで、パンツのポケットから車のキーを片手で器用に操作する。やはり片手で後部ドアを開けて淵を寝かす。田口は如月達に振り返って言う。

「乗ってくれ、急いでるとこ悪いが、まず淵さんを病院まで運ぶ」

「わかりました」

 如月とみゆきはうなずいて、フォレスターの前席に乗り込む。

 田口は淵さんが言っていたようにプロレスラーのような体形で、先ほどの外人並みに大きな男だった。190㎝はあるのだろうか、日本人離れしている。

 田口はすぐさま車のエンジンを掛けて走り出す。

「シートベルトはしているよな。ちょっと飛ばすぞ!」

 フォレスターは猛スピードで走りだす。まさにラリーカーのようだ。タイヤを鳴らしながらカーブを曲がり、でこぼこ道は跳ねる。とにかく急いでいるのだ。真ん中に座っているみゆきは目を白黒させている。

 田口が話し出す。

「俺は田口真治だ。淵さんの友人だ」

「如月です。こっちは娘のみゆきです」みゆきがうなずく。

「淵さんから話は聞いている。北大の円谷先生のところまで行くんだよな」

「そうです」

「まず淵さんを治療したい。病院に連れて行ってからになる。悪いな」

「いえ、当然です。それで病院はわかるんですか?」

「ああ、大丈夫だ。すまないが俺のスマホを使って病院を呼び出してくれるか、通話は俺がする。スマホはドリンクホルダーの中にある」

 如月が車のドリンクホルダーにあるスマホを取り、田口の指示を待つ。

「ここだと松前に病院がある。町立松前病院だ。調べて電話してくれ」

「わかりました」

 如月がスマホで病院を検索し、ダイヤルまで行う。田口はハンズフリーで話すようだ。ヘッドセットを用意している。

「松前病院ですか?急患です。はい、銃の暴発で腹部を怪我しました。・・・そうです。出血がひどいようです。・・・はい、ああ、航空自衛隊です。演習中の事故で・・・はい、そうです。名前は田中祐介、年齢は64歳、血液型はA型です。私は佐藤と言います。銃弾は貫通しているかもしれません。到着は10分後になります」

 田口は状況を事細かく説明し、電話を切る。ただし、全員偽名で話をしていた。この緊急時にもかかわらず、実に正確に話が出来ている。この男も得体が知れない。

 如月は後部座席で仰向けになっている淵を見る。呼吸はしているようだが、顔は青白くなっており、相変わらず意識は無いようだ。大丈夫なのかと心配になる。

「淵さんは今までも何度も死にそうになってる。その都度、生き延びてきた。今回も大丈夫だ」自分に言い聞かせるように田口がつぶやく。

「淵さんとはどういう関係なんですか?」

「自衛隊の上官だった。俺が20歳の頃からの仲だよ」

「そうですか」

「淵さんがアメリカで仕事をしたのは聞いたかい?」

「え、そうなんですか?何も聞いてないです」

「そうか、まったく律儀な人だ。じゃあ何も自分のことを話してないのか?」

「元自衛官というぐらいです」

「そうか・・・」田口は言葉を続けない。淵の過去に何があったのだろうか。

「それで、俺も如月さんの話を詳しくは聞いてないんだ。通信を傍受される可能性が高いってのは聞いていて、だから詳細は話せないって。北大まで運んでくれとだけ聞いた。何か急いでるんだって?」

「そうです。ただ、期限は明日までです」

「明日の何時までだ?」

 そういえば詳しい確認をしていなかった。明日中でいいのだろうか。如月はみゆきを見る。それに対してみゆきが考えながら言う。

「72時間以内って聞いたから、明日の夜までは大丈夫だと思う」

「そうか、わかった。遅くとも昼までには、君たちを北大まで届けるようにするよ。朝一番に出れば昼までには着けると思う」

「すみません。よろしくお願いします」

 ここで如月はふと気になっている事を確認する。

「淵さんから聞いたんですけど、田口さんは函館北斗駅で待っていてくれたんじゃないんですか?」

「ああ、そうだ。でも駅の管内放送が聞こえてきてね。緊急停止だとか、それでピンときたよ。青函トンネルで何かあったんだってね。それで淵さんなら吉岡定点に出るだろうと、すぐに車を走らせたんだ。とにかく間に合ってよかったよ。もう少し遅かったら、助けられなかった」

 なるほど、そういった点では淵さんとは以心伝心する仲ということか、いい関係のようだ。再び気付く。

「でも田口さんは拳銃を持ってたんですか?」

「あ、いや、どうかな・・・」

 田口は空っとぼける。なるほど、どうかなって撃ってたよねと思うが、これ以上突っ込むなということのようだった。

 車は海岸沿いの国道228号を猛スピードで走っていく。街灯も少なく、割と暗い道だが、田口はお構いなしに突っ走る。


 その頃、保科達は吉岡定点まであと10㎞のところまで来ていた。助手席の冷泉の携帯が鳴る。

「はい、冷泉です。成田さんですか、はい、はい、え、そうなんですか、・・・・はい、わかりました。我々はもうすぐ現地に着きます」

 冷泉は成田となにやら話をしていた。その後、電話を切って保科に説明する。

「吉岡定点で銃声らしき音がしたそうです。ちょうどJRの変電所があって、そこの職員が聞いたらしいです。今から1時間ほど前です」

「銃声・・・」

「銃声かどうかわかりませんが、2回破裂音が聞こえて、しばらくたって職員が現場に行ってみたら、特に何もなかったとのことです」

「え、何もなかった?」

「職員の話です。そのあと所轄の警察官が現地に行ってます。ただ、その報告でもやはり何もなかったそうです。ただ、吉岡定点側の斜坑口が開いていて、通常、フェンスで締まっているはずですが、開けられていたそうです」

「誰かがそこを通過したことは間違いないと言うわけか、それと銃声がしたのに現場に何もなかった。じゃあ本当に銃声じゃなかったのか・・・」

「そうですね。気になります。もうすぐ現場に着きますよね。そこで確認できます」

 吉岡定点は付近に青函トンネルのメモリアルホールなどもある観光スポットのようだ。もっともここまで遅い時間だと、周囲は暗いだけで、ただ建物があるだけの海岸沿いの施設になる。

 斜坑口のある広場の場所はすぐにわかった。数人の警察官がいて、照明を設置したのか、周囲を明るく照らしていた。

 保科達が車から降りて現場まで走る。所轄の警察官が2名、現場付近を観察していた。さらにその近くにJRの職員らしき作業服の人間が立っていた。

「お疲れ様です。警視庁の保科です」「同じく冷泉です」

 保科が警察手帳を見せながら挨拶をする。所轄の警察官は敬礼で返す。

「吉岡駐在所の広岡と財前です」年配の警察官が挨拶する。もう一人は20歳前半と若く見える。

「何か銃声がしたそうですね」

「そうみたいです。ただ、銃声かどうかはよくわからんそうです。実際、銃声など聞いたことないですからね」

 まあ、そういうことだろう、日常生活で頻繁に銃声を聞くようなことになればそれはそれで問題だ。

「ちょっと暗いし、今は鑑識待ちです。松前署から来る予定です」

「そちらはJRの職員の方ですか?」

 先ほどから所在なさげに立っている作業服の男がいる。

「そうです。少し残ってもらっています」

 保科が近寄って職員に話しかける。

「警視庁の保科と申します。遅くまですみません。少し話を聞かせてください」

 職員がうなずく。

「そちらの変電所におられたのでしょうか?」

 現場から道路を隔てた場所に、工場のような大きな建物がある。そこがJRの変電所である。

「はい、そうです。今日は夜勤でして一人でいました。最終列車が走行終了までは管理する必要があります」

「それで、その銃声らしき音は何時ごろに聞こえましたか?」

「たしか10時頃だったと思います。正確に時計を見たわけではないので、それぐらいだと思います」

「なるほど、銃声は2回聞こえたということですか?」

「そうです。1回鳴って、何事かと思ったんですが、何かのバックファイヤかなぐらいに思っていました。しばらくして再び鳴りました。これは変だとは思いました」

「現場を見ましたか?」

「ああ、変電所の待機場所からは直接、ここは見れないんですよ。それと銃声だったら怖いじゃないですか・・・まあ、しばらくたって、現場を確認しました」

「どのくらい時間が経ってましたか?」

「そうですね。10分ぐらいかな。新幹線が緊急停止していましたので、そちらの対応もしないとなりません」

「なるほど、それで現場を見たときには何もなかったんですね。人もおらず不審なものもなかった」

「そうです。何もなかったです」

 銃声2発で何も残っていないとはどういうことだろうか。銃声ではないのだろうか、現場付近の地面を見ていた冷泉が保科に話す。

「これ、何ですかね。血痕みたいに見えませんか?」

 冷泉が地面を指さしている。保科が見ると確かに地面が黒くなっている。匂いも確かに血痕のそれだった。年配の警察官が言う。

「それには気づいていました。後で鑑識に調べてもらいます」

 しかし、これが血痕とすると、跡は大きい。直径30㎝ぐらいで地面に広がっている。ここまでの大きさだとするとそれなりの負傷だということになる。誰かが怪我をしている可能性が高い。

「救急依頼は無かったですか?」

「そうですね。それは調べてみます」

「それとタクシーを呼んだ形跡がないかも調べてもらいますか?ここから逃げた場合はなんらかの交通手段を使ったはずですから」

「ああ、そうですね。わかりました」年配の警察官が答える。

 先ほどから帰りたそうなJRの職員が言う。「私はもうよろしいですか?」

「遅くまでご苦労様でした。また、何かありましたら連絡させていただきます」

 保科達がお礼を言って職員は帰途につく。


 その後、所轄が確認したところ、救急車両の要請やタクシーの配車依頼はなかったそうだ。

 その話を聞いて冷泉が不思議そうな顔をする。また、所轄によると現場には防犯カメラが無いということで、翌朝、付近にある防犯カメラについては確認することとなった。

「保科さん不思議ですね。どういうことでしょうか?」

「如月達はどうやって移動したんだろうね。確かに不思議だ」

「それとここで何かあったとしたら、それはどういうことなんですかね」

 保科は先程からそれを考えていた。ただ、何も見えてこない。

「我々の想定を超えるやつらが、何かしているといったところだろうな。証拠を隠滅したのかもしれない。そうなると間違いなく、如月の仕業じゃない。それにしても如月達はどこに消えたんだろう。まさかまだトンネルにいるわけはないよな」

「そうですね。ここにいないということは確実ですが、トンネルに戻りますかね。どこかに行くとしてもどうやって移動したんでしょうか?それともまだ、近くにいるということでしょうか?」

 確かにその通りで、この時間、交通手段は限られる。タクシーぐらいしかないはずだが、タクシー会社にそういった連絡も来ていない。いったい、どうやってここから消えたのだろうか、そして銃声を発生させたやつらはどこに消えたのだろうか。

 突然、保科の携帯が鳴る。表示を見ると本庁の清水係長だ。この深夜にまた、面倒な人からの電話だ。

「はい、保科です」

『保科、今、どうなってる?新幹線が止まってるって聞いたぞ。いったいどういうことだ』

「ああ、はっきりしませんが、その新幹線に如月達が乗っていたようです。それで犯人側がトンネル出口を爆発させたようです」

『爆発なのか?犯人って誰だ?』

「それもよくわかりません。如月達はトンネル内で足止めさせられたようです。犯人側はそれを目論んだんだと思います」

『・・・それで』

「如月達はそれを良しとせず、トンネルの避難路から脱出を図ったようです。新幹線を降りた形跡があります」

『そんなことが出来るのか?』

「そのようです。我々はその出口と思われる吉岡定点に来ました。しかし、如月達はいません。ただ、その後、銃声がしたそうで血痕らしきものも残っています」

『銃声?誰が撃ったんだ?』

「それもわかりません。銃声らしき音というだけなんで・・・」

『はあ、さっぱりわからないな。ほかに現場に残ってるものはないのか?』

「血痕があります。そういった調査は道警の鑑識にお願いしています」

『でも如月達はそこにいないんだよな。じゃあ逃走手段は何だ?』

「それがよくわかりません。タクシーの配車依頼もなかったそうです。道警にお願いはしていますが、逃走手段がわからない状況では望み薄です」

『まだ、近くにいるんじゃないのか?』

「それもあるので付近を捜索してもらっています」

『はあ、困ったなあ、保科、なんとかしてくれ。管理官と課長から矢の催促だ。おそらく警視総監辺りからガンガン言われてるらしい。頼むよ。何かわかったらすぐに連絡をくれるか』

「はい、わかりました」

 保科はそうは言ったものの何のしようもなかった。保科にとってもわからないことだらけの不可解な事件だ。

 道警には青函トンネル避難路を含め、付近を緊急で捜索するようにお願いはしたが、この深夜帯ではどこまでの動員が掛けられるのか、そうなると如月の発見はほとんど望み薄となる。


 田口の運転するフォレスターが、暗闇の中で街の灯りを捉える。おそらく松前町に着いたのだろう。そうなると病院はもうすぐだ。

 右手に公園なのだろうか木々が生い茂る森が見えてきた。さらには道路沿いに店舗らしきものも多く見えだす。間違いなく松前町だ。しばらく走ると右手に病院らしき建物が見えてきた。

「着いたぞ」車はそのまま入口から中に入る。

 そして病院の入り口に横付けすると、素早く田口が降りて後部座席の淵を抱きかかえる。

「如月さん駐車しといてくれ」

 田口はその言葉を言い残して、淵を抱えて病院に入っていく。

 如月は運転席に移り、車を駐車する。みゆきが心配そうに話す。

「淵さん大丈夫かな・・・意識がなかったよ」

「大丈夫だ。あんな良い人が死んでたまるか」

 如月の言うことに根拠はないが、みゆきも頷く。

 如月とみゆきも病院に入る。

 病院内は騒然としていた。すでにストレッチャーは用意されていたようで、看護師が淵を乗せて手術室まで運ぼうとしている。

 若い白衣を着た男性医師が田口と話している。

「出血量が多いですね。ここにある輸血量で足りるかどうか」

「私もA型です。言ってくれればいくらでも輸血します」

 田口が医師に懇願する。それを見て如月たちも話す。

「私もO型です。輸血します」後ろのみゆきも手を挙げる。「私もA型です」

 医師は突然、現れた二人を怪訝そうに見る。それを見た田口が弁明する。

「患者の息子と孫です。心配で駆け付けました」

「ああ、そうですか」医師は素直に信じる。そして如月達に話す。

「銃創よりも出血多量が心配です。相当の血液が失われたようで、意識もありません。出血性ショック状態を起こしています。止血は出来ているようですが、予断を許さない状況です。これから緊急手術をおこないます。それと輸血ですが感染予防の観点から緊急の輸血は出来ないんですよ。今はそういったルールです」

 そういうと医師は手術室に向かう。そしてふと気が付いたように振り返り、

「自衛隊の演習での事故ですよね」

「はい、そうです」

「後で手続きが必要になります。上官の方はいつ頃見えられますか?」

「朝一番には来院します」

 田口は出鱈目にしては滑らかに嘘をつく。医師はうなずくと手術室に消えていった。

 しかし出血多量か、動脈に損傷があったのだろうか、屈強な淵でも意識がなくなるものなのか。


 手術室の前に長椅子があり、為す術もなく三人が座る。田口は緊張の糸が切れたかのようにうつむいている。しばらくそのままだったが、思い出したように田口が話し出す。

「如月さん、このまま俺の車で先に行ってくれてもいいぞ。後は俺がなんとかする。あとから何かと面倒なことになりそうだ」

 如月は行くわけにはいかないと思う。みゆきの顔を見ると彼女も同じ気持ちのようだ。

「田口さん、我々も残ります。このまま出かけるわけにはいきません」みゆきもうなずく。

「そうか・・・」

 田口はしばらく無言でいたが、ぽつりぽつりと話を始める。

「淵さんは上官でありながら、俺の心の師匠だ。俺と言う人間を作ってくれた人だよ。あの人がいなければ今の俺はない」

 なるほど、そういった関係なのか。

「自衛隊にいた頃も技術的なことはもちろん、人として何が重要なのかを教えてもらった。俺にとって淵さんと巡り会えたことが一番の財産なんだ」

 如月は今まで聞きたかったことを聞いてみる。

「淵さんって何者なんですか?ただの自衛官とは思えません」

 田口は少し考える。話していいのか迷っているのだろうか。

「淵さんが如月さんに話をしなかったのは、機密事項があったからだろうな。口外するなと言うことだ」

「そうですか・・・」

「ただ、今となっては世間には情報も漏れてるからな。話をしても良いと思う。一応、非公開情報だからそのつもりで」如月はうなずく。

 深夜の病院なので物音もしない。田口の声だけが響く。つぶやくように話す。

「俺が自衛隊に入る前の話になる。1995年ごろだと思う。淵さんもあまり話さないんでおそらくその頃だ。海外には当たり前のように特殊部隊といったものがあるんだ。アメリカでいうとデルタフォースだとかグルーンベレーのような作戦群だ」

「ああ、たしかイラク大使館の救出活動をやった部隊でしたよね」

「そう。しかし日本にはそういった部隊もなく、テロなどに対しても無策だった。それで自衛隊内にそういった特殊部隊を作ろうという計画が持ち上がった」

「そうなんですか」

「淵さんはその頃には自衛隊の中堅クラスでね。元々格闘技の経験もあったんで、彼に白羽の矢が立った」

「そう言えば、淵さんはなんであんなに強いんですか?」

 その話に田口は初めて笑みを見せる。そうすると優しそうな顔になる。

「淵さんは柔道経験者で有段者だよ。はっきりとはいわないがオリンピック候補までいったんじゃないかな」

「それはすごい」

「それと自衛隊で自衛官専用の格闘技を開発した経緯がある。いわゆる日本版マーシャルアーツってやつだよ。日本人用の戦闘に特化した格闘技だ。当然、反則技ありのね」

「淵さんが考えたんですか?」

「数人で考えたようだよ」

 なるほど、さっきも目つぶしだの、急所攻撃だの、普段は見ない戦闘方法だった。そういうわけなのか。

「俺も随分、鍛えてもらったよ。でもいまだに勝てる気はしないね。スーパー爺さんだよ。それもあって特殊部隊の指導者として抜擢された経緯がある。そして前例のあるアメリカに行って特殊部隊養成課程を習得をすることになった」

「へー、すごいですね。アメリカですか、そういえば研修でも結構過酷なことをするって聞いたことがあります」

「グレーンベレーだからね。まあ、命懸けだな。英語も会話がわかる程度だったらしいから、そういう意味でも必死だったみたいだ」

 なるほど、そういう背景があるのか、成田の事務所での採用時にも彼の英語力に感心したが、本場仕込みというわけか、少し納得する。

「通常は1年の研修なんだが、指導者としての研修もあって、結局、2年間アメリカにいたらしい。その後、日本に戻って陸自でそういった部隊を創設して、隊員の指導に関わることになる。その選抜部隊に入ったのが俺になる。それが2004年だ」

「田口さんはいくつだったんですか?」

「20歳だよ。自衛官は3年目だった」

 如月は計算すると田口とは同年代になる。それにしても体の鍛え方が違うのか、田口は若々しく見える。

「淵さんは指導者としては適任だったよ。俺は彼に鍛えられた。30名ぐらいの部隊だったが、日本の特殊部隊もなかなかのものになったと思うよ。実際まだそこまでの特命事項は起きていないが、いざというときには動けると思う。そこで4年間はみっちり仕込まれた。俺たちが育ってきて、後進の指導者も出来た時点で、淵さんは自衛隊を辞めたんだ。彼が言うには歳も良いころだし、前から畑仕事をやってみたかったっていうんだ」

「そうなんですか、その頃から農業に興味があったんですね」

「でもね。淵さんはそのつもりだったんだけど、実はアメリカで世話になった人から声がかかったんだ」

「アメリカですか?」

「そう、アメリカで民間の軍事会社を設立するっていう話が合った。そこで指導員をやってくれないかというお誘いだ。例の特殊部隊養成課程で知り合った米国人だ」

「へー、すごいですね」

「海外はそういった軍事ビジネスが進んでいるからね。金になりそうならなんでもやるっていう、いい意味でのバイタリティにあふれてるんだ。淵さんもまだ老け込む歳でもないし、金銭的にいい条件だった。まあ、そこで彼は5年間従事し、指導も受け持った。その時に俺も自衛隊を辞めて彼と行動を共にしたんだ」

「そうなんですか」

「淵さんと別れたくなかったんだよ。俺は英語はほとんど話せなかったけどね」

「大変でしたね」

「俺自身もいろんなことを勉強したね。自衛隊では知らなかったことも学ぶことになった。淵さんも同じだよ。世界には色々な裏の動きがあるってことだ。軍事作戦だけじゃない、裏工作のような活動もある。そして、世界中に色々な機関が、それこそとんでもない活動をしてるんだよ。日本だけがそういった部分から取り残されてる。気が付いていないんだ。いい意味でも幸せな国なんだよ、この国は」

「そうなんですか」

「5年間向こうで活動して、淵さんと俺は帰国する。まあ正直、疲れたんだ・・・」

 何か思い出したくない過去があるようだ。田口の顔が沈痛なものになる。

「その後は如月さんも知ってるように、淵さんは成田で兼業農家になるだろ」

「そうですね。私のお手伝いをしてもらいました」

「俺は北海道で仕事を見つけた。以降も何かあると淵さんには相談に乗ってもらってたんだ」

 如月は自分にとってそういう人はいなかったように思う。人生を変えるような人との出会いとは羨ましい気持ちもある。

「それで今回の事件だ。いったいあいつらは何者だ?」

「それがよくわからないんです。淵さんが言うには、どうも海外の組織らしくって、私たちが持っているものを狙ってるようなんです」

「俺も銃声を聞いたころに着いたんで、詳しくはわからないんだが、間違いなくプロの仕業だ。おそらく東側だと思う」

「わかりますか?」

「まったく声を出さなかっただろ、普通、撃たれたりしたら、悲鳴を上げたり叫んだりするもんだ。やつらは一声も出さなかった。プロだよ。軍隊経験があればわかるが声を上げるとそれだけで攻撃されるからね。声は出さないんだ。それが身についてる」

 そういえば格闘中もほとんど声を出さなかった。しかし淵さんもそうだった。

「瓶を届けるんだよな」

「そうです」

 如月がみゆきのリュックを受け取って、中から黒い瓶を取り出す。

「これです」

 田口がそれを受け取り、注意深く観察する。

「何かの液体みたいだな。特に取り扱いに注意は無いんだね」

「ええ、蓋は開かないようですが、振動や温度についても制約はないようです」

 田口はしばらくそれを見てから、如月に返す。

「明日までに北大に届けるのか。しかし、あそこまで必死に奪いに来るのが不思議だ。何か切羽詰まってる感じだ」

「淵さんもそう言ってました」

「ああ、海外の工作員だとしても、証拠は残さないようにするもんだ。精々事故に見せかけるとか、やっても毒殺ぐらいだな。それも疑義が残らないようにする。それが見境なく爆弾を使ったり、銃を使うなんてありえない」

「じゃあ、この瓶はそこまでのものなんですか・・・」

「そういうことになるな。俺には全く想像がつかない」

 田口との話はこれで一段落となり、淵さんの手術を待つことになる。


 如月もついうとうとしてしまう。するとふと左肩に重みを感じた。みゆきが頭を如月の肩に乗せて眠っている。如月には心地良い重みだ。少しは打ち解けてくれたのだろうか、こうやって寝ている顔を見るとみゆきが子供の頃を思い出す。

 実際、みゆきと一緒にいたのは、小学校に上がるまでだった。そのあとは離婚と同時に北海道に引っ越していった。面会も数カ月単位だった。徐々に疎遠になっていた。 

 もちろん、娘としてみゆきに会いたくないわけではなかった。ただ、そこでも如月は遠慮していた。自我を押し通すことはせず、美月からの話に沿う形での面会となっていた。そういった如月の煮え切らない態度が、みゆきに抵抗感を与えていたのかもしれない。

 さらにそのあとの渡英以降は帰国のタイミングで会っただけだった。仕事をいいことにこっちからイギリスに行くようなこともしなかった。今回会ったのも2年ぶりだ。

 父親失格と思われても仕方のないことだった。


 保科と冷泉は待機中、車で仮眠を取る。それでも2、3時間といったところか。

 周辺が明るくなってきて、松前署から鑑識が到着したと連絡があった。

 保科達は再び現場に戻る。昨晩は暗くてよくわからなかったが、近くに大きな鉄塔があり、変電所まで送電しているようだった。広場にはJRの建物があり、現場は草野球でもできそうなぐらいの広さで、周囲には雑草が生い茂っている。

 冷泉が見つけた血痕を今は鑑識が調べている。鑑識数名と所轄の本部刑事課の連中が数人来ていた。駐在所の2名が眠そうな顔でそれに応対していた。この地域でここまでの事件は初めてだろう。

 保科達は挨拶を交わし、鑑識に話を聞く。

「何かわかりました?」

「そうですね。おそらく人間の血液だと思います。こちらの血痕が大きい。相当な出血量だと思います」

「そうですか、当然、手術が必要になりますか?」

「そうですね。救急要請がないのが不思議ですね。直接、病院に行くとしても銃創の場合、警察に連絡が来るはずです」

 確かに鑑識の言う通りだ。保科が隣にいた所轄の若い刑事に質問する。

「そういった連絡はないんですよね?」

 若い刑事は半分、寝ていたのか、保科に言われて目が覚めた顔をする。ただ、返答は出来ない。二人の会話を聞いていた、現場を仕切っていると思われる年配の刑事が代わりに答えてくれた。

「そういった話はないですね。我々も不思議なんですよ」

 鑑識が話を続ける。少し先の方を指さしながら、「それともう一か所、あそこにも血痕があります」

 鑑識が指さした方向にもう一人の職員が検査している。保科達はそちらに行く。

「ここにも血痕があるんですか?」

 若い鑑識が答える。

「はい、こっちにもあります。向こうと比べるとそれほどの大きさではないですけど」

 となると、やはり銃撃が行われたということか、2回の銃声と一致する。

さきほどの年配刑事が保科のところに来て話をする。

「あとですね。薬莢がないんですよ」

「ああ、銃撃の後に薬莢が残るはずだということですね」

「そうです。探してはいるんですが、見当たらない。となると使用したのはリボルバーですかね。あとそれと銃弾もないですね。貫通してないということかもしれませんが・・・」

「となると銃撃があった事実もない可能性が出てきますね」

「証拠がないとなると、そういうことになります」

 やはり、保科達が相手にしている犯人は、想定を超えるものかもしれない。証拠の類を残さないようにしているとしか思えない。

「確認なんですが、もしここで銃撃されて手術が必要となると、この近くにそういった施設はありますか?」

「この近くとなると限られます。松前町に病院があります。後は函館市内ですね」

「病院に確認を取ってもらえますか?」

「わかりました。連絡してみます」

 緊急を要する手術だった場合、やはり近くの病院で治療するのが普通だろう、救急を使わないでどうやって銃創の手術を行えるのか、そんな方法があるのかわからないが、まず間違いなく病院だろうと考える。


 松前病院の手術室の扉が開いて、中から医師が顔を出した。手術開始から実に2時間以上も経過していた。医師は疲れた表情をしながらも柔和な様子だ。

 長椅子に座っていた3人が飛び起きる。

「手術は成功しました」3人ともほっとする。

「血液の凝固障害も起きてないようですので、まずは命の危険は脱したということでしょう。輸血も問題なかったです。ひとまず、このまま様子を見ましょう」

 淵さんが助かる。何よりもそのことがうれしい。

「先生、ありがとうございます」

「ええ、止血の応急処置も良かったです。自衛官のたしなみですかね」

 田口はそれほど自慢げでもない。ただ笑顔だ。

「意識が戻るまでにはもう少し時間がかかるでしょう。付き添いの方も仮眠を取っておいてください。看護師に案内させます」

 再び三人が医師に深々とお礼のお辞儀をする。そのあと、看護師が来て仮眠室に案内してくれた。

 仮眠室には2段ベッドが二つあり、そこで寝ることができるようだ。看護師がいなくなってから田口が言う。「よし、じゃあ、出発するよ」

 如月とみゆきがうなずく。こうすることは目に見えていた。

 いつまでもここにいることにメリットはない。ましてや淵が喜ぶはずもない。

 時刻は午前2時過ぎだ。病院の通路を静かに歩く。非常灯のみが辺りを照らしている。通常、何事もない夜間の病院に戻っていた。

 病院入り口から外に出て、駐車場の車に飛び乗る。静かにエンジンを掛けてゆっくりと出発の途に就く。


 そしてそれからさらに2時間後、病院に警察から電話があり、銃創の患者の問い合わせがある。しかしながら、その時間に如月たちは国道228号線を抜けて、八厚やまぶきラインから道央自動車道に入ろうとしていた。

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